【小説】2:土壌/3:萌芽 

ゲームでは、2と3をあわせて、2土壌とすると思います。
とりあえずSS版です。

2 土壌

 目を覚ますと、シエルは見覚えのない場所にいた。

 寝かされていたらしい寝台はふわりと羽の心地のする敷布で埋められ、寝台の際からは螺旋の細い柱が伸びて、天蓋を支えている。天蓋から垂れ下がる薄く揺れる絹布を押し上げると、寝台は部屋の中央に据えられているようで、部屋の様子が見渡せた。

 広い部屋の壁には、品の良い蔦模様の入った白い壁紙が貼られ、高級な材を思わせる艶光りする箪笥が並んでいる。
 壁の一面には天井まで届くほどの高い窓が間隔をあけて何枚か嵌め込まれ、青空を映して柔らかな日射しを取り入れている。

 衣類は身につけたままだったが、寝かせる都合か、ブーツは外されていた。
 そっと寝台から素足を下ろすと、床に敷かれた毛の長い緋色の絨毯はよほど良いものなのか、シエルの爪先を柔らかく受け止めた。

 自分とは全く縁のない豪奢な部屋に、一瞬記憶が飛ぶ。ティアナの私室に似ている。王侯貴族の邸宅だろうかと考え、街道で出会った男のことを思い出した。システィーナの伝道師の一人で『黒の祈り』と名乗った彼は、君自身もいただいていくと告げた。

 ――では、ここはシスティーナの伝道師の隠れ家?
 そう思ったとき、重々しい音を立て、部屋の入り口の両開きの扉が開き、あのローブの男が姿を現した。

「お目醒めのようだね。気分はどうだい? シエル」

 どうして彼が自分の名を知っているかは愚問なのだろう。代わりにシエルは尋ね返す。

「そういうあなたは……?」
「ああ。失礼したね。俺はジュサプブロス。最初に紹介した通り、システィーナの伝道師『黒の祈り』さ」

 シエルの問いに答えながら、ジュサプブロスは気乗りのしなさそうな顔で、ちらちらと部屋に佇むシエルを見ている。気分はどうかと聞かれたが、ジュサプブロスの方がよほど落ち着きがない。

「あなたの方こそ……大丈夫?」

 思わずシエルが尋ねると、ジュサプブロスは眼鏡の下の目を見開いた後、ふーっと大きく息を吐いた。理由は分からないが、ため息のようだった。

「気遣い痛み入るよ。ま、悪いようにはしないつもりだが、俺の方にも心の準備ってものがあってね。入り用のものがあったら後で言ってくれ」

 そう告げると、ジュサプブロスはさっさと部屋を出て行った。おそらくシエルの様子を見に来ただけなのだろうが、態度が解せない。シエルは不可解な気持ちで、ジュサプブロスの立ち去った扉を見つめていた。


* * *


 その一刻ほど前、寝室の階下にある応接間ではシスティーナの伝道師が珍しく集結していた。
 ジュサプブロスがシエルを連れ帰った報を受けてのことだ。

 だが、ジュサプブロスが連れ帰ってきた無限のソウルを見て、ばっさりとゾフォルは言った。

「あれではウルグは降臨せんな」

 だねー、とシャリも宙で頷いてる。ちらりとエルファスを見れば、エルファスは澄ました顔で飲み物に口を付けていた。知らぬはジュサプブロス一人のようだ。

「無限のソウルを持つお姫様をウルグに捧げる。それじゃ駄目なのか?」
「儂の予言を覆すとしたら、予定調和外の存在、無限のソウルをおいて他はない。それは確かじゃ」
「でもあの子には、願いが足りない」

 シャリの言葉に訝しげな顔をしていると、ゾフォルが続けた。

「ウルグが降臨するには、条件が二つある。一つは神を受け入れる器量。もう一つは邪神が欲する精神」
「……最愛の兄を自分で殺して、あげく誰も隣にいなくなって絶望してるんじゃ足りないのか」
「絶望が足りぬのではない。糧が足りぬ」
「虚ろに憑くのは魔人だ。神が欲するのは強い意志だ。ウルグのように、奪われたものを取り戻す、叶わないなら世界を壊すというくらいの、ね」

 エルファスが落ち着いた声音で口を挟み、シャリが明るい声で続けた。

「要するに身体はウルグが入っても壊れないほど頑丈で豊か、心には強ーい願いが欲しいってことさ。さっすがエルファス。救世主だけあって分かってるねえ」

 エルファスは神経質そうに銀の髪を払って告げた。

「悪いが僕は今回の件は乗り気じゃない。ウルグにはネメアをくれてやればいい。闇に堕ちて邪神となる末路こそ、あの男にふさわしい」
「それで君はシスティーナの伝道師として、ネメアならぬウルグを祀るっていうわけかい」

 ジュサプブロスの軽口にエルファスは顔をしかめ、ゾフォルは僅かに眉をあげた。くすくすとシャリが告げる。

「でも絶望ってね、ホントは深い、深ーい願いなんだよ。だから見込みはあるよ。実際彼女もちゃんと願いは持ってる。闇とは何か。愛とは何か知りたいって」

 理解が追いつかず、一瞬ジュサプブロスの思考が停止した。
 闇は分かる。が。あい? 愛。
 追い打ちをかけるようにシャリが続ける。

「そうだ。練習もかねてジュサプーが教えてあげなよ。いきなり破壊神のものになるんじゃ可哀想だしね。
 気持ちいい楽しいことってわかったら、ウルグを呼び込むやる気もでるかもしれないし。彼女は愛を知ることができて、逆にウルグを従えちゃったりするかも。みんなの願いは叶って、めでたしめでたし~」
「はあ!?」

 ジュサプブロスは悲鳴を上げ、思わず隣のエルファスを指す。

「何で俺がそんなこと。だいたいあのお姫様となら俺よりエルファスの方が年齢でも適任だろ」

 不愉快そうに顔をしかめてエルファスが言った。

「冗談じゃない。そんな薄汚い真似に、僕を巻き込むのはやめてくれ」

 あまりな台詞に言葉を失い、気を切り替えて、ジュサプブロスは精神的には一応一番の年長者であろうゾフォルに救いの手を求める。

「おい爺さん。何とか言ってくれ。破壊神降臨に愛だの何だの必要か!?」
「案外悪くないと思っておる。愛憎というのは表裏一体にして、一番業の深い欲望じゃからな」

 部屋の片隅に目をやり、ゾフォルは続けた。

「愛故に身を闇に落とした者は数多いぞ。儂もごく身近で一人知っておる」

 それでも俺にやれというのは間違ってないか?
 長年生きてきて、殺せではなく愛せとふっかけられるとは思わなかった。
 しかしシスティーナの伝道師は四人だ。自分以外の三人が賛成している時点で、ジュサプブロスに勝ち目はなかった。



 * * *

(※ここから3:萌芽)

 

 窓の外では、燃える橙が地平の果てに沈みゆき、藍の色が広がり始めている。
 この隠れ家、いや城は標高の高い場所にあるらしく、先ほどシエルが窓際に近づいて外を眺めたときには、澄み切った青空がどこまでも続き、眼下には岩や窪地といった荒れ地が広がっていた。
 結界の作用かもしれないが、人里はおろか、魔物や生き物の姿さえも視界に見つけることはできなかった。

 この中で生命ある者は、自分の他には、あの男ジュサプブロスと、他のシスティーナの伝道師シャリやゾフォル、エルファスくらいしか居ないのかもしれない。
 部屋の壁から壁へ、ふわふわと踊りながら燭台を灯していくウィル・オ・ウィスプのような影を見つめて、シエルは考える。

 白い幻影は時々人のような形を取りながら、シエルに仕える小間使いのようにまめまめしく働く。
 伝道師の誰かが召喚したものだろうか。それともここを離れられない精神体の名残か何かだろうか。

 亡霊の棲む白い城は、あの世の入り口のよう。
 ……闇に踏み込むということは、もっと暗くて深い淵に身を沈めていくようなことだと勝手に思っていた。

 重い音を立てて扉が開き、窓際に立っていたシエルが振り返ると、予感した通り、そこに立っていたのはジュサプブロスだった。
 一見印象が違ったように見えたのは、眼鏡を外しているからだ。

 揺れる燈火で、ジュサプブロスの髪が金のようにも銀のようにも光って見え、褐色の肌が溶け込むように夕闇に馴染んでいる。
 陰影を帯びた読めない表情のまま、ジュサプブロスはすたすたと歩み寄ってきてシエルの隣に立つと、単刀直入に切り出した。

「君の処遇は決まったよ。君の望みを叶えて、ウルグを宿してもらおうってね」
「……望み?」
「闇が知りたい、愛が知りたいってやつさ。そのお役目が俺に回ってきて、俺も色々考えたんだが、残念ながら、俺は闇は山ほど知ってるが、愛なんて二百年生きていても分からないからね。知らないものはあげようがない、だから一つ交渉をしにきた」

 さばさばと語るジュサプブロスの言葉をシエルは呆気にとられて聞いていたが、途中で出てきた年月に瞬きをする。

「二百年?」
「あぁ、俺はダークエルフなんだよ。といっても白いエルフが闇落ちしたんじゃなく、生まれながらのダークエルフさ。六歳の時に殺されかかって以来ずっと闇に生きてるから、外のことは知らないけどね」

 ジュサプブロスが皮肉気な笑みを浮かべた。

「それともダークエルフはお気に召さないかな?」

 ジュサプブロスの言葉は忌憚がなく、嘘は含まれていないように見えた。だからなのか予期せぬ脱力感に襲われて、シエルは目を伏せ、呟いていた。

「……そう。二百年生きても分からないものなのね」

 シエルの反応にジュサプブロスが驚いたように眉を上げ、唇を歪めた。

「そうだね。愛は知っているか知らないか、持っているかいないかの二択みたいだからね。俺は最初から受け取れる場所にいなかったから、持っていないし、知らないね」

 ただ、と、シエルの顔を上げるように顎を掴んで自分に向けさせると、ジュサプブロスは続けた。

「外の世界でどういうものを『それ』としているか、恋人が何をやるかは知ってるよ。だから真似事で良ければ、付き合ってあげるよ。もっとも君は君で、色々と代償を払う必要はあるけれどね」
「代償?」

 シエルが問うと、ジュサプブロスは斬り捨てるような涼しげな声で答えた。

「純真無垢なままではいられないってことさ。知れば汚れるっていう点では、闇も愛も変わらないかもな。教えてあげて、後で泣かれたりしても面倒だからね」

 『黒の祈り』は祈りをする側ではなく、受け取り代行する側なのだ。
 自分をのぞき込むジュサプブロスの瞳を見返して、ふいにシエルは思う。
 鏡のように瞳を交わして、祈りの文句を復唱するようにジュサプブロスは告げた。

「付き合う代わりに、君にはウルグを宿してもらう。交渉とはそういうことさ。どうだい? あるかないかわからないものを知るために、全てを捨てて、汚れる覚悟はあるかな?」

 思いがけず、シエルはふっと綻ぶような笑みを浮かべていた。
 率直であり、ある意味で公平なジュサプブロスの言葉は好ましかった。
 少なくとも、心だけで愛を語られるよりは、よほど良かった。

 脳裏に海辺の洞窟での、血の海に横たわった兄とセラの姉の姿が甦る。何も語らないまま、あれが愛だと見せつけられ、立ち去られてしまった。立ち入ることもできず取り残された者は、心の中の骸に永遠に問い続けるだけだ。
 それよりは、何かを得るためには何かを喪うと、面と向かって言われた方がまだ分かる。
 知ることには痛みを伴う。
 ……愛も、おそらく例外ではないのだろう。

「構わない。なくすものは、もうないもの」

 追い求めて断ち切られて、手に残されたのは闇の神器だけ。そしてその闇の神器の持ち主である破壊神さえ、愛を知り、そのために身を滅ぼしたというのに。
 身が惜しいのならば、闇を求めたりはしない。
 シエルの答えに、ジュサプブロスは笑みを浮かべた。

「交渉成立だね。とりあえず今日のところは、目でもつぶっているといいさ。ひとときの夢だからね、すぐ終わる」

★ ジュサプブロスの言葉を聞きながら、言われたとおりシエルが目を閉じると、唇に乾いたような、それでいてしっとりとした感触が降り落ちた。
 熱い吐息にそのまま身を委ねていると、ふわりと身体が宙に浮いた。白い幻影たちに担ぎ上げられ、軽やかに寝台まで運ばれる。
 とんと背中から沈みこむ感触が心地よかった。
 ふっと自分の上にかかった影に目を上げると、髪を邪魔そうにかき上げ、ダークエルフの特徴である尖った耳を晒したジュサプブロスが、真上から自分をのぞき込んでいるのが見えた。
 寝台の隣に置かれていた香炉から、いつの間にか細い煙とともに、ゆらゆらと甘い香りがする。最初に出会ったときと似た香りだと、夢うつつに思う。
 所詮は、亡霊の城でのゆめまぼろしだ。目を閉じていればすぐに終わる。
 甘い夢に飛び込むように、シエルは真上から覆い被さってきたジュサプブロスに腕を投げだし、そのひとときに身を委ねた。

※★から先は、たぶんゲームでは、カットすると思います。