【小説】4:双葉
4 双葉
この館に庭がある、と教えた時、彼女は驚いた顔をした。
闇の伝道師の男4人が庭を造ったことが意外だったのか、風吹き荒ぶこの岩山に草木が育つことを危ぶんだのかは分からない。
もっとも庭は、館の塀の内側にあり、天井には硝子窓が嵌め込まれている。造園や植栽の選定をしたのが自分たちであることは確かだが、日々の手入れは城の亡霊達に放任だ。風は吹かないから、吹き飛ばされて、かき消えることもない。花壇をふわふわ綿毛のように飛び回って水をやり、花殻を摘むにはうってつけだろう。
人里離れた亡霊の城で、硝子越しの光を浴びて咲く、人工の庭。
彼女はこの薬草園を気に入ったようで、今日も庭の一角にはシエルの姿があった。
硝子天井から注ぐ陽光で、シエルの金の髪が目映く光っている。
彼女はこの館内では、冒険者時に着ていた服ではなく、黒い女物のドレス――四元素の巫女服を模したような、何枚かの絹布を留め具で繋いだ薄い黒い巫女服を纏っていた。
箪笥の中の服は好きに使っていいと言ったら、彼女はごく自然にそれを選んでいた。
もとは森の奥の隠れ里の巫女姫だったそうだから、選んだ服自体に違和感はない。
ただ、色は白を選ぶと思っていた。何故黒を選んだのか、理由は聞いていない。
闇の伝道師の住まいに身を寄せてることに倣ったのか、この白い館で白を纏えば自分の影さえなくなるように思ったか、それとも喪に服しているつもりなのか。
ともあれ金の髪に黒いドレスを纏ったシエルの姿は、白い館の中ではよく目立ち、けれど違和感もなかった。
柔らかに緑が生い茂る花壇をすり抜ける姿は、自分が言うのもなんだが、人間というよりハイエルフのように見える。驚くほど透き通った白い肌に、柔らかそうな金の髪。深い湖畔の碧玉の瞳は、密やかな森に棲む精霊のようだ。
その皮肉と可笑しさに、ジュサプブロスは一人嗤った。
シエルの細い背中が、庭の奥の一郭に消える。館はどこも好きに歩いていいとは言ったが、彼処はまずい。そろそろ花が咲くはずだった。
ジュサプブロスはローブを払うと、すたすたと緑の植物園の中のシエルの背中を追いかけた。
* * *
緑の瞳が熱心に、目の前の植物を観察している。野生の花にしては珍しい、黒い花弁に興味を引かれたのだろう。
シエルの白い指がその花弁に触れる寸前のところで、ジュサプブロスはその手を包み込むように握りしめ、それを押し止めた。
「おっと、この花は触れたら危ないよ。人間の君にはたぶん毒になる」
急に飛び込んできた黒い手と声に、驚いたようにシエルが目をあげた。
毒と聞いて目を戻し、自分の手を握ったままのジュサプブロスの手の甲が、黒い花弁に触れているのを見て、口を開く。
「あなたは……大丈夫なの?」
「ああ。これでも森の種族の成れの果てだからね。精気そのものなら別だが、俺にはこういう薬草の類はあまり効かない。効力も得られないから、得か損かは分からないけどね」
そう告げながら、シエルの手を花壇から押しのけるようして離す。特に抵抗もせずシエルは花壇から身を離し、背後に広がる花壇の一群を振り返って言う。
「かなりの種類があるのね……トロネラ、ルバロゥ、アニス、オレット……私の知らないものもたくさん」
「単純に服用したりもするが、大抵は呪力の増強や召喚、魔道具の生成に使うから種類と数がある程度必要だね。一番よく使うのはゾフォルの爺さんだが、エルファスも色々摘んでいく。俺やシャリは自分で使うことは殆どないから、爺さんに頼んで薬や道具に作り直してもらうことが多いな」
そこでジュサプブロスは、先ほどすらすらといくつかの薬草の名をあげたシエルを見下ろして言った。
「君も詳しそうだから説明はいらないかな」
「ミイスの神殿にも小さな薬草園があったわ。鎮痛や消炎剤、解毒などの処方薬として使うことが多かった。全部、燃えてしまったけれど」
遠くを見る目でシエルが告げ、ジュサプブロスは笑って切り捨てた。
「燃えてしまえば、どんな珍奇な花も高価な薬草も、等しくただの灰さ」
「そうね」
特に感傷を含むことのない平坦で淡々とした声でシエルは答えたが、彼女はどこかエルファスにも似た、感じやすく脆いところがあった。影を手放して突き進んできたことの反動か、時々言動と心が乖離するような危うさを見せる。
シエルの横顔と視界の端の赤い花を映し、ジュサプブロスは花を指さしてシエルに告げた。
「珍しい花や効果がご所望なら、あれなら後で香にして試すことはできるよ。もっともあの花の催淫効果は、状況次第でかなり強くなるから、君にはキツいかもしれないけどね」
「……さいいん?」
一瞬言葉の意味を掴み損ねたらしいが、要するに媚薬だと悟ると、状況次第というジュサプブロスの含みも分かったらしい。
白い首筋を微かに赤く染めて、シエルはジュサプブロスから目をそらすと、そのままその場を立ち去った。
* * *
黒いドレス姿を見送っていると、背後から声がかかった。
「ずいぶん優しいじゃん、ジュサプー」
「仕事熱心だと言って欲しいな」
からかうようなシャリの言葉に返答ながら、ジュサプブロスは先ほどシエルから遠ざけた黒い花の花壇から、開花しているものを選んで順に摘み取り、シャリに手渡す。
「ちょうど良かった。後でゾフォルに渡してくれ。できるだけ濃く頼むってな」
人間であるゾフォルやエルファスにもおそらくこの花の効果はあるだろう。
だがシャリならば受け付けない。だからシャリは平然と生のままの花を受け取ったが、手渡された数の多さに、小首を傾げて問い返す
「何をする気かは分かったけど、これ全部使う気でいるの? 意味がなくない?」
「俺は与えられた仕事はきっちりこなすよ? あの子は『愛を知りたい』と言ったけど『愛が欲しい』と言ったわけじゃないからね」
くすくすくすとシャリが笑った。
「なるほどねー。僕は『願い』を叶えるけど、ジュサプーは『祈り』を遂行するんだもんね。らしいといえばらしいか」
予想外の言葉に、どういう意味だとジュサプブロスは問おうとしたが、その前にシャリは宙でひらりと身を翻した。
「ま、いいや。面白そうだから頼まれてあげるよ。ついでにゾフォルが反対したら説得しておいてあげる。お礼は楽しい婚礼の儀ってことで。じゃあねー」
そういってシャリは闇に消えていった。
灰が光の加減で白くも黒くも見えるように、一瞬何かを決定的に取り違ったような気がしたが、もともとシャリには全ての物事を攪乱させて楽しむ悪戯傾向がある。今のもその一種かもしれず、真面目に取り合うべきか分からなかった。
同じシスティーナの伝道師内であっても行動や読めない。そもそも信頼という名の友達ごっこをしているわけではないから、気遣いや慰めとは無縁の関係だ。
ジュサプブロスは頭を振って、危惧を払うと、黒い蕾だけが残された花壇を見つめた。