【小説】5:蕾
5 蕾(1)
シエルの前では素顔でいることが増えていたジュサプブロスが、外の世界に出るにあたって、眼鏡をかけ、尖った特徴ある耳を隠し、念の入ったことに、うっすらとした無精髭を模した付け髭までつけている。
「ダークエルフは面白がって狩られる。そういう奴らを返り討ちにしてやるのも吝《やぶさ》かではないけど、目立ちすぎると面倒だからね。難しいところだ」
手早く変装を整えながら、ジュサプブロスは飄々と言った。
最初に会ったときには何の違和感もなかったのに、素顔を見慣れていた今となっては、わざわざ身を偽るその姿は不自由そうにも見えた。もっともそんなことを言ったら、彼は機嫌を悪くするだろう。それくらいは分かるようになっていた。
たとえ真似事であっても、恋人の距離で素顔を見て、話をして身の上を知り、生活を共にすれば。情はなくても、互いに合意の上で触れ合い、口づけを交わし、共に夜を過ごせば。
水が滲むように、通じ合ってくるものはある。
だからといって、深いところに踏み込めたことにはならないが、ある種の信用と気安さが生まれるのも確かなようで、こうして共に外の世界へ出ることになったりする。
冒険者を辞めた自分が、再び剣を携え、今度はジュサプブロスと共に、探索に赴くことになろうとは思いもよらなかった。
ジュサプブロスは、陽気とも言える口調で言った。
「久しぶりに向かう外の世界が、空気の澱む陰気な場所で悪いけど、俺とのデートはこういうものだと諦めてもらうしかないね。まあその代わり邪魔も入らないだろうから、遠慮なく暴れられるよ。じゃあ行こうか、シエル」
行き先は、大陸はずれの古い城だそうだ。
――伝道者たちは現在手分けをして、闇の神器を集めている。そもそもシエルを連れてきたのもその流れの一つで、ウルグ降臨の儀式のためには闇の神器が必要なのだそうだ。
結界の境目まで館の敷地を歩きながら、ジュサプブロスが語った。
「もっとも全部は集まらないと思うけどね。いくつかは『喪失』されてるみたいだし、今世で使われ一時的に闇の効力が弱まっているものもある。君の持ってる束縛の腕輪や……忘却の仮面のようにね」
シエルが左手首に嵌めている腕輪をさして、ジュサプブロスは言った。
闇と闇は引き合う。闇の神器を探し求めるに当たり、何か一つ身につけていけと言われて、一番邪魔にならなさそうなこれを選んだのだが、シェムハザの情念を飲み込み、フレアの身体を維持するために使われていたこの腕輪には、今は大して闇の効力は残っていないらしかった。
言われてみれば、身につけているシエルには、特に何の変化も影響もない。
「これで役に立つの? 別の方がいいのなら、それにするけど」
「いいよ。今回俺たちが取りにいくものは、在処自体は分かってるから、気休め程度に共鳴すれば十分だ。情報の欠片もない神器を闇雲に探すとなれば、もうちょっと強いのを身につけてもらう必要があるかもしれないが、そいつは俺の担当じゃない」
「担当?」
「俺はもっぱら在処が分かってる物を、殺して奪《と》ってくるのが中心。シャリは、俺と違って、闇の神器を人間社会の中で作用させる方法をとってる。君の代わりに別の誰かに闇の神器を使わせて、依代の方じゃなく世界の方に、ウルグを呼び込みやすい『場』を作ろうってことらしい。あいつはそういう面倒くさい人形劇が大好きだ」
続けてジュサプブロスが笑った。
「ゾフォルの爺さんは、昔アカデミーで『虚無の剣』について研究してたらしい。これは、普通の人間には認知できない神器だそうで、今でもどこにあるか、実在するかどうかも分からない。もっともこの話は、人間連中には一笑に付されて、爺さんは未だに根に持ってるけどね」
闇の神器は全部で十二個あるが、そのうちの三割ほどは在処が分からないらしい。
忘却の仮面も、つい最近まで誰が持っているか、どこにあるかは不明だったという。
闇と闇は引き合う。その言葉通り、シエルが冒険に出たあたりから、闇の神器は次々と表舞台に現れ始め、それ自身が所有者を選ぶかのように、転々と人の間を彷徨っているらしかった。
巡り巡って現在シエルの手元にあるのは『束縛の腕輪』『焦燥の耳飾り』『傲慢の首飾り』『忘却の仮面』の四つ。手元にこそないが『色惑の瞳』は、シャリによってロストールの王女に使われている。それを間接的な所有として良いのなら、現在五つ。
そして『憤怒の槌』が大陸はずれの古城にあることが判明して、それを手に入れられれば、ちょうど半分が闇の陣営の手元に揃う事になる。
そこでシエルは考えてしまう。
久しぶりに冒険用の服に着替え、剣を携えたものの、妙な居心地の悪さを感じて、落ち着かなかった。
もう自分は二度とこの服を纏って、剣を握ることはない。無意識のうちにそう思っていたのかもしれない。
ウルグの依代になる運命を受け入れているわけではなかったが、この数ヶ月の間に、闇の伝道師の住処での生活、もっと言ってしまえばジュサプブロスとの生活に、すっかり馴染んでしまっていたのが、自分でも意外だった。
彼との生活がそう悪いものではなかったからだろう。
闇の神器が集まれば、ウルグ降臨の儀式となるのだろう。
そういうものだと他人事のように思っていたが、ウルグを宿したら、自分はどうなるのだろう?
この生活は、この関係は……どう変わるのだろうか。
自分の隣に立つ、ジュサプブロスをそっと見上げる。『久しぶりに向かう外の世界が、空気の澱む陰気な場所で悪いけど、俺とのデートはこういうものだと諦めてもらうしかないね』という言葉が甦る。
それはシエルを明るい場所に連れていく気がないということではなく、彼自身がそうした場所に行けないという自嘲だろう。
変装をしなければ表の世界を出歩くことも叶わない。物心着いた頃に、家族を惨殺され、既に闇の中で暗躍することを余儀なくされた生き残りのダークエルフ。
似た境遇の生き残りの元神官家の娘がそんなことを考えるのは滑稽かもしれないが、思わずシエルは口に出していた。
「もし私がウルグを宿したら、あなたは変装もせず、表の世界を堂々と出歩けるようになるのかしら」
ぎょっとしたように、ジュサプブロスが自分を見た。
てっきりいつもの皮肉な笑みで『そうなるかもしれないね』と答えると思っていたのに、一瞬ぎこちない間があって、ジュサプブロスが低い声で答えた。
「さあね。別に俺はそんなもの、望んじゃいないよ」
それから何故か、自分でも不思議そうな顔をして、シエルから顔を逸らした。
* * *
5 蕾(2)
剣を握るのは久しぶりのはずだが、さすがに凄腕の冒険者だけあって、シエルの腕は良かった。瞬間的な判断力と風のように機敏な動き、無駄のない的確な剣筋で、相手の急所を突く。
初対面こそ剣を交えたが、あのときの彼女は戦意を喪失、いや端から放棄していた。もし本気でこられていたら案外苦戦したかもしれない。
ただ剣の冴えの割には、気迫や集中力、意志といったものが薄い気もした。
「久しぶりの剣は重いかな?」
「そんなことはないわ。大丈夫よ」
静かな声で答えたが、シエルは表情に乏しい。大丈夫という言葉を信じて良いのか分からなかった。
ふとジュサプブロスは、思いついて尋ねてみた。
「もしかして君、剣を使うけど剣は嫌いかい?」
シエルは驚いた顔をして、自分でも首を捻った。
「わからない。好きとか嫌いとか、考えたこともなかった。魔人が来たら戦うものだと、幼い頃からずっと教えられてきたから」
少し苦い顔をして、シエルは目を伏せた。
藪蛇とは思わなかったが、彼女の中ではまだ故郷のことは、消えていないらしい。まあ幼い頃の環境や出来事がその後の人生を決めることは良くある。
――人のことを言えた義理ではないが。どうも彼女と居ると、調子が狂う。
「生きていくには、力が物を言うから、強いに越したことはないよ。君のおかげで楽に片づいたから、さっさとダナンを片づけて、こんな黴くさい城とはおさらばするよ」
自分でも言い訳じみてると思いながら、ジュサプブロスは何故かそう口にしていた。
ダナンを倒し、続けて邪竜シャンマを倒す。
『憤怒の鎚』は、ドワーフが扱っていただけあって、シエルの手の中にあると、ずっしりと重たそうだった。それを見つめながら、シエルが呟く。
「……これが憤怒の鎚。焦燥の耳飾り、傲慢の首飾り、束縛の腕輪、忘却の仮面、憤怒の鎚。これで六つ?」
「半分を超えれば儀式は行えるらしい。色惑の瞳は既に使用済みとして、あと一つか二つでウルグ降臨の儀式は決行できるかな。君次第だけどね」
「私次第?」
シエルが、その言葉に目を上げた。
彼女の目には何の感慨も浮かんでいなかった。だがその目を見た途端、ジュサプブロスの中に、濃い靄がかったような、それでいて苛々と心を炙る炎のようなものが、急速に宿るのを感じた。
「そう、君次第さ。心が定まったならウルグは君に宿るよ。闇が知りたい、愛が知りたいって答えは、いい加減分かったかい。それともここまで来て、ウルグを宿すのは嫌になったかな?
そういえば君のお兄さんの形見の忘却の仮面も、既に『使用済み』だ。だから闇の神器はその分の補填にあと二つ必要かもね。その仮面は、既に効力を失ってるだろうから」
「……ジュサプブロス?」
急にジュサプブロスの様子が変わったことに気付いて、シエルが怪訝そうに問う。ジュサプブロスも違和感を覚えながらも、口が勝手に動いていた。
「君が『闇を知りたい・愛を知りたい』っていうきっかけになったお兄さんさ。本当はもう答えは出てるんじゃないのか? 単純に、女の身体を乗っ取った魔人とやることやってそういう仲になっただけで、それが許せなくて君は殺したんだろ?」
「……!」
シエルの目つきが険しくなった。自分でも止めようのない衝動に突き動かされて、ジュサプブロスは続けていた。
「闇に落ちたから、魔人と恋に落ちたから、じゃない。自分以外の他の女に心を奪われたから、許せなかった。それが認められないから、知らない、分からないフリをしてるだけ。
愛なんて思ってるほど綺麗なもんじゃない。
君の知りたいと思いこんでいるものは、甘いまやかしだ。見えてる答えを無視して探したって、本当の答えなんて出やしない」
「何を……!」
シエルの顔に、初めて見る、怒りに似たものがわき起こった。その左手を掴んで更に言いつのろうとして、指先に触れた金属の冷たい感触に、我に返る。
――闇の神器。
心をかき乱し、闇に落とす作用を持つ道具。効力の残っていた腕輪と手に入れたばかりの鎚の二つ。共振すれば威力は増す。ましてやここは封印の古城で、仕留めた邪竜の残留思念まで重なっている始末だ。
ジュサプブロスはぱっとシエルの腕を離し、自我を保つようにシエルから目をそらした。
「……その鎚と、腕輪」
唐突に腕を放され、シエルが勢いを削がれた顔をした。だがジュサプブロスの苦い顔と呟きに、遅れて、闇の神器のせいだと気付いたらしく、慌てて腕輪を外し鎚を手に取り、ちょっと困った顔をして、ベストを脱いで、それでくるむ。
剥き出しになっていないだけでも違うらしい。
徐々に気が鎮まるのを感じて、ようやく人心地ついでジュサプブロスが息を吐き出した。
「まさか君じゃなくて、俺に効くとはね。腕輪の効力も十分残ってるじゃないか。何が『ダークエルフには闇の神器はおそらく作用しない』だよ。エルファスのやつ、嘘を教えやがって……」
その言葉にシエルが目を見張る。何かに気付いたらしい様子に、ジュサプブロスが問いかける。
「何? エルファスの言葉に何かあるの?」
促され、シエルが迷ってから口を開いた。
「闇の神器を捜索していたのはオイフェだった。エルファスの言葉は、一部は正しいと思う。オイフェは激しい負の感情でエルフからダークエルフになった存在だから。……だから」
シエルの言葉の先は、ジュサプブロスも気付いた。
既に闇に落ちるほどの感情を受けて変化した存在だから、おそらく闇の神器の作用はもう受けない。けれどそれはハイエルフが闇落ちしてダークエルフになった場合だ。生粋のダークエルフは違う。
その事実に、思いがけない衝撃を受けていた。
生粋種と変化種の根底にある差異。誰よりも何よりも、闇を深く知っていると思っていた自分なのに『闇の効果を受ける』ということは『闇に染まっていない』証でもある。
同時に闇の神器の作用を知って、先ほどシエルにぶつけた感情の正体も悟る。
きっかけはウルグ降臨の儀式の話だった。彼女がウルグを宿す心づもりがあるかを尋ねたときだ。そして自分に影響を及ぼした『束縛』と『憤怒』という二つの黒い感情。それが合わさったもの。
あれは――嫉妬、だ。
シエルが本当は兄をどう思っていたかが重要なのではない。自分がそう見てしまった、ということが重要なのだ。
あれは、自分の中にあるものだ。
余談:
とりあえずSSメーカーのものですが、(1)と(2)をつなげてあげてみました。
画像化の関係で文字数制限があるので、なんというか……内容が超駆け足ですね……!
サウンドノベルの方は、もうちょっと腰を据えてじっくり会話させたいです(笑)
せっかくなので小説の方は全編ジュサプー視点、サウンドノベルの方は主人公視点でも良かったかな?と今では思います(笑)
あと例によって、書いてから気付いたのですが(…)これ、たぶんジュサプー、主人公が闇の神器を身につけてると触れないですね!!(笑)
一応このあと6章が『開花』だったのですが、ちょっとミイス主が言われた言葉を受け止めるターンが必要になりそうなので、加筆というか内容が増えた分、少し後ろにズレていくかもです。
※予定では6章最初にジュサプースチル画込みの問いかけシーン(髪下ろしVer)で、その後ジュサプーとゾフォルの会話、色々考える……だったのですが、構成が逆になるかも??
また少し詰めてみます。どっちにしろ尺が足りないかもなので、色々加筆することにもなりそうです……。