10周年記念フリー配布SS(ゼネテス、レムオン、女主)/るしふぁーさまより
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石畳の道を外れると埃塗れの空気が襲い掛かってくる。立ち並ぶ住居も重厚な石造りから粗末な土壁になり、戸板代わりの幕が風にはためいては新たな埃を巻き上げていた。
ディンガル帝国首都エンシャント。
名高き獅子皇帝のお膝元であってもスラムの風景は他と大して変わりない。長引く戦乱と、先の見えない日々に行き交う者の表情は沈みがちだ。
南の大国ロストールとの戦は決着の見えぬままに停戦となった。ディンガルを率いるはずの皇帝ネメアは行方知れず。いかに有能な人材が揃うディンガル政庁とは言え、絶大なるカリスマを失っては混乱を避けようもなく、漣のように広がる動揺を抑えるのに精一杯だった。
煙るような景色の中を三人の男女が歩いていた。先頭を一際体格のいい男が往き、そのやや後方に長い金髪を後ろで束ねた男と、並んで小柄な娘。三人とも足運びに迷いはなかったが、寛いだ雰囲気の中に刺すような緊張感を秘めていた。
路地に入ったときから「それ」は着いてきていた。三人ともわかっていて、あえて放っておいた。スラム街を通り抜ける道を選んだのは、自分たちが紛うこと なき敵国の「要人」であるという自覚があったからだ。皇帝ネメアが姿を消した今、ディンガルにそんな余裕がないこともわかっていたが余計な騒動は起こした くない。
起こしたくなくとも、寄ってくるものだが。
動いたのはほぼ同時だった。
前を歩く背にそれが飛びかかろうとした瞬間、レムオンが長い脚を軽く横に出して転ばせ、フェリオが派手な音を立てて倒れこんだ身体を体重をかけて押さえ込む。それと同時に弾き飛んだ小さな刃が澄んだ音色を響かせた。
当のゼネテスは、まるで二人がそうすることがわかっていたかのように悠然と振り向いた。
「やれやれ、なんの用だい?」
フェリオのしなやかな腕に押さえ込まれているのは年の頃十歳前後の少年だった。少年は自分を押さえつける手を押しのけようともがくが、いくら細身の女性 とはいえ冒険者として慣らしているフェリオをそう簡単に払えるわけがない。暴れる手足をも簡単に封じられ首だけを伸ばしてゼネテスを睨む。その顔は苦痛 と、大きな怒りとで真っ赤に染まっていた。
「お前のせいだ!」
「……なにをしでかした」
少年の叫びに、レムオンは胡乱な視線をゼネテスに向ける。信用というものが欠片も感じられない視線だ。
「ちょ、待てって。別に俺はなんもしてないぜ……たぶん」
語尾が自信なさげに揺れたのは、冒険者という稼業ゆえに何処でどんな恨みを買っているかわからないからだ。公明正大に生きているとは言いがたい。脛に傷を持つのは誰だって同じだった。
「煩い! お前が悪いんだ! お前が父ちゃんを……」
「あん? お前の父ちゃんがどうした」
「父ちゃんは戦争に行って帰ってこなかった……あんなに強いのに、負けるわけないんだ! お前が殺したんだろう!」
変声期を迎える前のカン高い声で叫ぶ。曰く、少年の父はディンガル兵で、先の戦争に従軍していた。少年にとっては憧れの強い兵士で、敵の兵士などに負けるはずがないのだ、と。だから父を殺したのは名のある男に違いない。
そして少年は、それを敵国の将軍だと信じたのだ。
喚きたてる内容に、何事かと事態を見守っていた周囲は潮が引くように去って行った。よくある話だ。よくあるがゆえに、周囲の大人達は少年を哀れみこそすれ、それ以上に何かしようとは思わない。巻き込まれるのは御免だとばかりにそそくさと逃げ出していく。
「何を言い出すかと思えば……ガキ、それが戦争というものだ」
一言で切り捨てたレムオンを少年は睨み返す。
「煩い煩い煩い! 皆お前らが悪いんだ!」
頭を抑えられたまま叫ぶ声は湿り始めていた。噛み締めたせいか唇に血が滲み、跳ね上げた埃が顔を汚しても気にも留めない。少年の体内で渦巻く怒りがそのまま身体を突き動かしていた。
「……なぜそこで俺まで……そもそもあれはロストールにとって仕掛けられた戦争だ。先に始めたのはディンガルだぞ?」
「うるさい! お前らがネメア様に逆らうからいけないんだ! さっさとネメア様に降伏してれば戦争になんかならなかった!」
ベルゼーヴァの人心掌握術はたいしたものだ。為政に携わる――否、携わっていた者として、レムオンは内心舌を巻いた。もっとも今それに感心している暇はない。
「あのねぇ、ぼうや」
「よせ、フェリオ」
呆れたようにため息をついて少年を諭そうとしたフェリオを、ゼネテスは軽く押し留めた。そして押さえつけられたままの少年の前に屈みこみ、視線を合わせる。
「お前の父ちゃんは強かったんだな?」
「ったりまえだ!」
当然のように即答する少年に、僅かな羨望が湧いた。そんな風に言える父親であればどれほどよかったかと、浮かんだ感傷をゼネテスは瞬時に封じ込める。
「なぁ坊主。お前が俺を殺したいってんなら俺は止めはしねぇ」
口元を緩ませて発した声は気の抜けた響きを持っていたが、どこか苦みばしったものを感じさせる。そう気づいたのは、やはりレムオンとフェリオの二人だけだった。
「ゼネテス!」
非難の声にも手を揚げてそれ以上を拒む。
「だけどな……」
ゼネテスがすうっと顔を近づけると、少年は喉の奥底でヒッと引きつった悲鳴を漏らした。
「お前、俺を殺したいなら俺に殺されても文句は言わねぇよな?」
地面を這うような低い低い声。周囲の気温が下がり、レムオンもフェリオも直感的な恐怖に肌を粟立てる。命をその手で散らせたことがある者だけが出せる陰 湿な殺気。背負い込んだ命の分だけ重みを、粘質さを増し、澱み、穢れ、纏わりついて離れない、酷く絡まった感情。同じものを抱えているはずのフェリオでさ えそれに慄き、思わず腕の力を緩めてしまう。
その隙を逃さず、少年は柔らかな檻から逃れ出た。しかし立ち上がることも出来ずに呆然と目の前の男を見上げる。
獲物を品定めするような眼差しでゼネテスは暗く笑った。
「どうした。向かってこねえか?」
少年は尻餅をついたまま後退る。見開かれた目は恐怖に揺れていた。
ゼネテスが浮かべた酷く下卑た哂いが少年のプライドを刺激した。十二分に距離をとって立ち上がった時には眦を吊り上げ、新たな決意に瞳を、心を燃え立たせて可能な限りの大声で叫ぶ。
「ぜ、絶対ゆるさないぞ! 絶対だ! 絶対殺してやる!」
そのままくるりと踵を返し脱兎のごとく走り去る。いくらも行かぬうちに躓いて、また立て直して走リ出す。その背が傾いた建物の向こうに消えるまで、三人は声も出さずに見守った。
「おーおー、元気なガキだぜ」
ゼネテスは殺気を納め何事もなかったかのように頭を掻く。止まっていた刻が緩やかに流れ出し、レムオンは知らず詰めていた息を吐いた。
「まったく……道理の通じん奴だ」
「そりゃガキだからな」
「貴様もだ。余計な面倒を背負い込んだな」
命は取らないまでも、他にいくらでもやりようはあった。あえて挑発する必要などなかったのだ。
フェリオもそっとゼネテスに寄り添い心配そうに囁きかける。
「よかったの、ゼネテス?」
「何、たいしたことじゃねぇ」
ゼネテスは目を閉じ、しばし思考を彷徨わせた。
あの少年が、生きる意味を復讐に見出せるのであれば。抜け殻のように生きるよりはマシではないか。
そう簡単に殺されてやるわけにはいかないし、殺されない自信もあった。自分が奪ったかどうかもわからない命を贖ってやるほどお人よしでもなければ、これまでに奪った全ての命を自分ひとりで贖おうと思うほど自惚れてもいない。
ただ、父親を失った少年の超えるべき壁として存在できるのであれば、それもいいと何故か素直に思えた。
「また襲われても知らんぞ」
「そんときゃあ、お前が助けてくれんだろ?」
さらっと告げられた言葉にレムオンは絶句し、次いで顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ばっ、馬鹿を言うな! 何故俺が貴様などを!」
「フェリオ、お前もな」
「な! ちょ、自分で何とかしなさいよ!」
からからと笑ってゼネテスは再び歩き始める。先ほどまでの暗さは欠片もない、晴れ渡る空のような笑みだった。
残された兄妹は互いに顔を見合わせて諦めのため息をつく。口ではなんと言おうとも、いざとなればどうにかしてしまうのだろう。二人は同時に肩をすくめ、先行く男の後を追った。
立場が変わればゼネテスが、同じ行動を取ることもまた、わかっていたから。
End
サイト開設10周年記念として、フリー配布されていたのを頂いてきました。格好いいゼネテスとノーブル兄妹の旅道中。「ゼネテスとレムオンの、将来の父親度数の差を見た気がします」と呟いたら、「良い父親になるかどうかは、どっちもどっちでしょう」と返されました(笑)
でもゼネテスって、遊び人だなんていいながら、いざ家庭に入ったら、実はとても良い父親をやってくれそうな気がします。改めてるしふぁーさま、10周年、おめでとうございます!!