10周年記念フリー配布SS第2弾(セラ、ロイ、ネメア、女主)/るしふぁーさまより
I declare
硬いブーツの踵がディンガル政庁の長い廊下を蹴る。石壁に反響する靴音は四つあった。広めの歩幅が三つ、それよりやや狭いものが一つ。時折それが乱れると壁に掲げられた篝火が不定型の影を作り出した。
先頭を行くのは黄金色の鬣を持つ獅子、ディンガル皇帝ネメア・ランガスター・ディンガル。すぐ後ろを無限の魂たるユージィンが続き、その背を守るようにセラとロイが並んで走っていた。
背後から冷たくじめじめした気配が腐敗臭を纏って追ってくる。ロイが振り向きざま腰に下げた短剣を抜いた。闇の中から伸ばされた凍える手を白銀の軌跡が鮮やかに払う。手応えなく霧散する死臭。ふうと息を吐くと、前を行く三人が少し離れたところで足を止め振り向いた。
「そう簡単には行かせてくれないようだな」
ネメアが重苦しく呟く。物憂げに頭を振ると豪奢な金髪が篝火を受けて赤く輝いた。つかの間の沈黙。僅かに乱れた吐息が彼らの存在をその場に際立たせる。
「兄様、大丈夫?」
「ああ、問題ないよ」
ユージィンが小走りに近づき、疲労と焦燥を滲ませた顔で兄を仰ぎ見る。ロイは一瞬だけ優しい微笑みを閃かせ、鋭い眼差しで背後を見据えた。走り抜けてき た廊下の先に点々と炎が見える。にも関わらず、その周囲は恐ろしく暗く闇に包まれたままだ。政庁全体を何かよくないものが覆っている。圧迫感と不快感が徐 々に強さを増し、真綿で首を絞められるような感覚がずっと消えない。
彼らの目指すものはここにはなかった。一刻も早くこの場を切り抜け廃棄されたかつての魔王の居城へ乗り込みたいところだが、それを赦さぬとばかりに次から次へと死の眷属が襲い掛かってくる。時間が惜しい。追いつかれるたびに足を止めて戦うのでは体力も奪われてしまう。
ロイはきゅっと唇を引き結ぶと覚悟を秘めた表情で妹を見下ろした。
「私が残って足止めをしよう。ユージィン、先に行ってくれ」
「兄様そんな!」
驚きを素直に表情に出すと、あどけない顔つきが一層幼く見える。ロイは柔らかく微笑んでユージィンの頬に手を添え軽く撫で下ろした。
「心配要らない。兄に任せておきなさい。それとも私は頼りにならないか?」
妹の肩に手を置き、子供の頃から変わらぬ噛んで含めるような口調で語りかける。昔からユージィンを安心させてくれる穏やかで暖かな声。だが今の状況ではそう簡単に不安が払拭されるはずもなく、妹は非難と気遣いの混じった瞳で兄を見上げた。
「そんなんじゃ……」
「ロイ、私も残ろう。一人では危険すぎる。ここを抜ければケリュネイアがいるはずだ。ユージィンはそこで」
「俺が残る。ユージィン、お前はネメアと行け。ロイ、それでいいな?」
進み出ようとしたネメアを遮って、それまで沈黙を保っていたセラが間に割ってはいった。ずいと一歩踏み出してロイの傍らに立つ。有無を言わせぬ口調に、ユージィンは目を見張った。
「ネメア、貴方は行くべきだ。貴方の運命でもあるのだから」
ロイはセラに対して微笑みかけた後、ネメアに向かって言った。ロイもセラも、もう何を言っても聞き入れそうにない態度でそこに居る。ネメアは二人の顔を交互に見やり、やがて小さく頷いた。
「わかった」
「でも」
「ユージィン!」
「は、はいっ」
聞き慣れたセラの鋭い声に、ユージィンは反射的に身を竦ませる。大きな手が細い顎を捉えた。後退りしかけた彼女を引きとめ無理やり上を向かせる。
セラは腰を屈めた。長い髪が影を作り表情を隠す。
ユージィンは迫る気配に耐えかねて瞼を硬く閉ざした。
掠める吐息。触れた先は、くちびるの端。僅かに残る、己のものではない、熱。
ひゅっと息を呑んだのは誰だったのか。
「行け……続きが欲しければ生き残れ」
そして俺の元に戻って来い。
耳元で囁いた言葉が届いたかどうかはセラにもわからなかった。
ユージィンの手が口元を覆った。大きな瞳に涙が滲む。
いきなり何をとか、兄様が見てるのにとか、おそらくはそんな言葉がいくつも頭の中を通り過ぎているのはくるくる変わる顔色と表情ですぐにわかった。結局出てきたのはもっとも単純な罵りの言葉。
「せ、せ、せ……セラの、セラのばかー!」
これ以上ないほどに赤面してユージィンが叫ぶ。残響を置き去りにして彼女は駆け出し、全速力でその場を去った。
その背を見送ってセラは息を吐いた。ふと顔を上げると、物問いたげな、しかし明らかに敵意の篭った視線とぶつかる。交錯する眼差しが火花を散らし、つかの間にらみ合った二人はやがてどちらからともなく視線を外した。
「貴様には譲らん」
零れた言葉に込めた独占欲と自負。共にあり続けたのは自分だけだという。
「ならば、力尽くでも」
重々しい口調でネメアは呟いた。最後にもう一度だけ強い眼差しを向けてから踵を返す。金髪が闇を裂くように揺れた。
「ネメアに挑む前に私に挑んで欲しいものだけど」
やり取りを興味深く眺めていたロイは、黒鎧が薄暗がりに溶けて消えるまで見送ってから苦笑をかみ殺しながら言った。
セラは今更と言いたげな視線をちらりと投げ鼻を鳴らす。
「今度はお前が俺を追うか?」
かつて奪われたものを取り返すために地の果てまで追うと誓った。追い詰めて、目の前で再び掠め取られたのだ。ならば同じことをこちらがしても構わないだろう。そうして互いに奪い合いながらも、ロイとセラはやはり互いにとって唯一無二の存在だった。
セラはゆったりとした所作で月光を抜きロイと並び立って周囲を見回した。
腐敗臭を孕んだ闇が徐々に二人を包む。目に見えない何かが肌を撫で稲妻にも似た刺激を残した。無謀にして不遜なる生者を今まさに屠らんと死霊が迫る。それを視界の端に捕らえながら、ロイは破顔した。
「お前とこうするのも久しぶりだね」
戦場にあるとは思えないほどの穏やかな声。その鷹揚さは以前から変わらない。ユージィンが無条件に信頼し、時に信仰に近い感情をもって接するのはこの性格にもあるのだろう。セラはこのロイの鷹揚さが時に羨ましかった。
「そうだな」
「少しは強くなったかい」
含み笑いと、からかうような口調も変わらない。
「……ここまでで見ているだろう」
出会った頃、既に神官戦士として修行を積んでいたロイと、姉の元を飛び出した勢いだけしか持たなかったセラの間には大きな実力の差があった。追いかけ続けた背中はいつの間にかとても近くにある。隣に立つロイの横顔は平素と変わらない落ち着きを持っていた。
一つだけ昔と変わったことがある。以前は、この顔を見ることが叶わなかった。セラはずっとロイの背中を見てきたのだ。
「ユージィンは貰うぞ」
「だめだと言いたいところだけど、あの子次第かな」
「フン、ならば決まりだな……来たぞ」
和みかけた二人は瞬時に顔を引き締めた。轟く闇の咆哮が大気を揺らす。セラは下げていた刀身を立て青眼に構えた。
「セラ」
「なんだ」
「終わったらミイスに来ないか」
迫りくる幽鬼をものともせず、相変わらず穏やかなロイにセラは小さく苦笑を浮かべた。
「気が向いたらな」
終わらないことなど、考えていない。
生き残らないことも。
「切り込む。後ろは任せた」
セラは堅い床を蹴って軽やかに跳躍した。闇の力を纏う月光の刃に闘気を乗せ、同じ闇の者であるはずの死者たちを易々と切り刻んでいく。
前へ。ただ、前へ。
背後からロイが笑って首肯する気配がした。
それを背負う限り、負けはしない。
End
HEAVEN'S DOORさまサイト開設10周年記念・フリー配布第二弾!
自信過剰で俺様で、宣戦布告で、続きが欲しければなんて殺し文句を吐くセラですよー!!
2011年度にかけての素敵すぎるお年玉に、狂喜乱舞しました。
セラは最初から主人公の傍にいるのに、苦労が絶えないというかメリットが少ないというか、ライバルが多すぎて、内心でとても冷や冷やしっぱなしだと思うので、是非とも勝ち抜いて幸せになって欲しいと切に願います(笑)
るしふぁーさま、素敵な頂き物をありがとうございました!