04B:記念写真
西日が差し込んできた特命室で、ブラインドを下ろそうと窓辺に近寄った杉下は、鋭い光を目に受けて、立ち止まった。
何かが鏡となって残照を跳ね返している。窓際に置かれているガラス戸の棚の中で、二つ並んだ写真立ての表面が、ちょうど西日を受けて白く光っていた。
杉下はブラインドを下ろすと、身体の向きを変え、戸棚を開けて写真立てを手に取った。
一枚は、この特命係発足時に撮影されたもの。
もう一枚は、この特命係に、数年間所属していた部下と、二人並んで撮ったものだった。
「――杉下警部。何見てるんですか」
ちょうど部屋に戻ってきた長身の青年が、背後から、好奇心丸出しの声を投げかけてきた。
現在の杉下の部下である、神戸尊である。
杉下よりも背の高い彼は、遠慮なく杉下の肩越しに、写真をのぞき込んだ。
彼が特命係に配属されて、そろそろ半年になる。
半年で、この堂々とした厚かましさは、ある意味立派なものだと褒めるべきかもしれない。
それなりに頭脳明晰で、眉目秀麗。いつも仕立ての良いスーツに身を包み、身だしなみにも余念がない。
一見すれば優男という表現が合うのだろうが、見かけほど軽い人物でもなく、容姿から想像されるよりは、はるかに肝も据わっている。
そんなことを瞬時に思いながら、杉下は手元の写真に目を落としたまま、素っ気なく答えた。
「昔の写真ですよ」
「あ、これ、官房長ですね。今より若いですね。杉下警部も。
周りの黒い服着た怖そうなお兄さんたちは、SAT――特殊急襲部隊、ですか。へぇ」
邪険にされても気にする様子もなく神戸は、写真の中央に立っている杉下と、隣の小野田、二人を取り囲むように控えている眼光鋭い極秘部隊の男たちの姿を見て、声を上げる。
杉下が言った。
「一番最初の特命係――『緊急対策特命係』のときの写真です。もっとも、すぐに解散しましたが」
「一番最初って、いつくらいのことです?」
「そうですね。20年ほど前になりますか」
「20年って……特命係って、結構歴史が古いんですね」
「おや。君のことだから、もうとっくにこの係の由来など知っていると思っていましたが」
するどく告げた杉下に、神戸は不服そうに口を尖らせた。
「そんなに僕のこと、疑わなくたっていいじゃないですか。
杉下警部と小野田官房長は、古くからのお知り合いなんだろなあ~とは思ってたんですけど。昔、一緒にお仕事されてたんですね」
「最後まで一緒だったわけではありませんがね」
「え?」
杉下の最後の呟きは、神戸には届かなかったようだ。
杉下はそのまま二枚の写真を戸棚に返した。神戸はそんな杉下の動きを眺め、ガラス戸の上から、今度は隣の写真に目を移して尋ねた。
「もう一枚の方……警部の隣の大柄な男性が、僕の前任だった、亀山薫さん、ですか?」
「そうですよ」
「なんだか杉下警部とは、全然タイプの違う人ですね。あ、だから馬が合ったのかな」
不思議そうに杉下は問い返す。
「どうして、そんなことを思うのですか?」
「右の写真と左の写真。ずいぶん、警部の表情が違いますから。亀山さんと一緒に写ってる時のほうが、気楽そうですね」
「今と同じで、暇だったんですよ」
嘘をつけ。……いや、嘘では、ないのか。
とっさに神戸は、心の中で呟いた。特命係そのものとしては暇だったのだろうが、実際のところは、余所の課の補助という形で(要請を受けて、あるいは強引に捜査に割り込んで)関わった事件は、ずいぶん多いと聞いている。そして数々の難事件を、見事に解決に導いている。
中には、事件にされていなかったものが、特命係が関わることで、事件として蘇ってしまい、隠滅されたはずの不祥事が発覚し、記者会見を開く羽目になったものも、複数ある。
それが、杉下右京が重宝される理由であり、煙たがられる理由でもある。
「この2枚だけなんですか?」
「何がです?」
「最初と最近のが一枚ずつ……この間の方々は、どーされたのかなーなんて。
確か亀山巡査部長の前に、6人、こちらの課にあなたの部下として、配属されていますよね」
「そうですね。残念ながら、写真は残っていないようです」
まるで他人事のように杉下は言った。
写真を撮る間もなく、みんな、次々に警察を辞めていったのだ。
『杉下右京は人材の墓場。下についたものはことごとく警視庁を去る』
そう囁かれていた頃、その7人目として、亀山薫がこの課にやってきて、途中ブランクがあるものの、都合7年ほど、杉下と共に特命係として働いたのだ。亀山のなかなか見事なパートナーぶりにより、杉下右京の墓場伝説は、今では知っている者のほうが少ない。
『奇跡のような二人だった』と評したのは、神戸尊とも馴染みの深い、監察官・大河内春樹の言葉だ。
ふぅん、そういうものなのか、と小野田と写っている一枚目、それから亀山と写っている二枚目を眺めながら、神戸はよりかかっていたデスクから身を離し、姿勢正しく杉下に向き直った。
「じゃあ、僕たちも、写真撮りましょう!」
「はい?」
唐突な神戸の提案に、杉下が語尾を上げて問い返す。
神戸は前髪を揺らし、にこやかな口調で告げた。
「せっかく僕も栄えある特命係の一員として任命されたことですし、記念に一枚撮っておきましょうよ♪」
「何故僕が、わざわざきみと、写真を撮らなくてはいけないんですか」
「そんなあからさまに嫌がらなくたっていいじゃないですか。
ここで半年頑張った僕には、特命係の歴史の三枚目を飾る資格があると思いますよ」
眼鏡の奥の不愉快そうな杉下の目など無視して、思い立ったが即実行とばかりに、神戸はいそいそと机の奥からデジタルカメラを取り出し、続き部屋となっている組織犯罪対策課に声をかけた。
「すいませーん。角田課長。暇ですかー」
「暇じゃねえよ!」
そう怒鳴りながらも、呼ばれた角田は素直に姿を現した。
シャッター切ってください、と神戸からデジタルカメラを手渡されると、不審者を見る目つきで、特命係の二人を交互に見やり、角田は言った。
「男二人でツーショットかよ。何やってんだお前ら」
「特命係の歴史の一枚を」
「はぁ?」
「……神戸くんが勝手に盛り上がってるだけです」
杉下は憮然として、隣に立っている神戸をにらんだが、神戸はどこふく風と、いつもの軽い口調で、角田に話題を振った。
「角田課長。課長は、亀山さん以前の、特命係の人たちって、覚えてます?」
「あぁ?」
突然尋ねられ、角田は眉をあげたが、落ちた眼鏡を戻しながら、そういや覚えてねえなと呟いた。
「ね。記録として残しておくって、大事だと思いません?」
「……お。おお。まあ、な。
なんだかよくわかんねえが、まあ、課の記録だってなら、撮ってやるよ。じゃ行くぞ。
ほら警部殿も、こっち向いて。はい笑って! ポーズ決めて!」
乗り気になった角田の言葉に、杉下はため息を一つつくと、カメラにいつもの超然とした眼差しを向けた。
そんな杉下の隣で、愛想のよい極上の笑みを浮かべた神戸が、前を向いたまま唇を動かした。
「――杉下警部。僕だってね。色々と、負けませんよ」
思わず杉下が言葉の意味をうかがうように隣を見たちょうどその瞬間、シャッターが切られた。
……ばっちりカメラ目線を決めている神戸尊と、少しばかり目線がカメラとずれている杉下右京の姿が、その後新しく追加されたフレームに納められたという。
特命係、節目の一枚として。
- 04A:同床異夢
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