姉思い・弟思い
剣を握らせれば、向かうところ敵無し。今一番の目標は、レムオンや剣聖レーグのダブルブレードのスキル獲得だという姉が、剣の代わりに握っているのは、細長い二本の編み針だった。
赤い毛糸を器用に手繰りながら、どんな魔法かと疑うような見事な手つきで、くるくると指先を動かし、編み物をしている。
物心ついたときから母親代わりをしていた姉・リリアンは、一通りの家事をこなす。料理も裁縫も得意だ。だがチャカの記憶にある限り、姉が編み物をしている姿は、一度も見たことがなかった。
「……姉ちゃん、編み物なんて、できたんだ?」
「んー。リューガのお屋敷の女中さんに教わったの。一番簡単な編み方だけどね」
髪の色こそチャカと同じ黒だが、リリアンの瞳の色は、母親譲りの見事な青だった。
サファイアのような輝きを持つ青い目が、自分が編んだ目を確かめるように、注意深く細められる。
男勝りの豪快さと気の強さをもつ姉だったが、外見は文句なしにノーブル村で一番の美人かつ、相手を和ませるような明るい愛嬌も持っている。だが、戦闘や 救助依頼が舞い込めば、一息に真剣な表情になり、恐ろしいばかりの集中力と決断力を示す。だてにノーブル村でボルボラ相手に奮戦していたわけではないの だ。
だが、今、編み物に集中している姉には、そういった冒険者の喧噪事とはほど遠い、家庭的な柔らかさが漂っていた。
「なんで、編み物なんか、してるの?」
「んー。プレゼントしようと思って」
……誰に!?
思わず上がりかけた声を飲み込んだのは、リリアンを勝手に義妹にした、あのにっくきリューガの当主の金髪三つ編み頭が浮かんだからだ。
なんだか知らないが、あの男は姉ちゃんに馴れ馴れしい。素っ気ない態度を取りながらも、この間は王女の面会に一緒に王宮に連れ出したりした。ちなみに自分は、セバスチャンと共に留守番させられた。
ああいう男は、どうにも信用できない。だから、戻ってきた姉に、弟は忠告した。
『気をつけろ、姉ちゃんはお人好しすぎるんだ。もうちょっと色々警戒した方がいい』
『あんた、馬鹿? 考え過ぎよ。それにきっと、レムオンは……ふふふっ。もろバレなのにねぇ~』
『何だよ、その含み笑い』
『内緒』
あれでバレてないと思ってるんだから、あの人はあんたが思ってるよりも、ずっと可愛いわよ♪
と姉は何だか上機嫌だった。会いに行った光の王女様が、それほど凄い人だったのだろうか。この姉と妙に気があったらしいから、ただ者ではないのだろう。
それはともかく。姉は知らないのだ。自分がどれほど美人で、どれほど人を惹きつけるかを。
だから、チャカが見ていて、とても心配になるくらい、無防備なのだ。
そんな姉が、よりにもよって、手製の編み物。
もらった男は、もちろん嬉しいに決まっている。そしておそらく誤解する。
……いや、誤解、なのだろうか?
驚きが喉元を過ぎ去れば、嫌な予感の方がわき起こり、恐る恐るチャカは問いかけてみた。
「プレゼントって……だ」
「おい。用意が出来たら、とっとと出発しろ。まずはギルドだ。あのティラの娘とやらが、また出るかもしれん」
ばたんとドアを開き、チャカの声をかき消したのは、とても偉そうな男の物言いだった。
宿泊室に入るなり、己の用件だけを告げてきた無礼な男は、パーティに(強引に)押し入り、いつの間にかちゃっかりと常時メンバーに居座っていた、セラという名の剣士だった。
あんまりにも唐突かつ不躾な物言いに、思わずチャカは文句を言いかけた。
だが、チャカの文句を封じ、偉そうなセラさえもたじろかせたのは、姉の突発的な行動だった。
「あ! セラ、ちょうど良かったわ」
ぱっとリリアンは立ち上がり、黒い髪をなびかせ、翼が生えているかのような軽やかさでセラに駆け寄る。
そのまま、セラの胸に飛び込んだ。
「!!!! 姉ちゃん!」
「!!!! 貴様、何の真似だ!?」
うろたえた男たちの調子はずれな二重奏が響いたが、リリアンは頓着しなかった。
セラのむき出しになった腹に、白い腕を回して、きゅっと力を込める。それから身体を密着させたまま、腕を回して、ぐるりと背中側に回りこみ、首をかしげる。
「あ。やっぱり。セラって、細いかなと思ったけど、さすがに男の人だね、筋肉堅い!
それでも腕が余裕で回っちゃうくらい細いけど! うーん。もうちょっとサイズ大きめにした方がいいかな」
抱き合うその姿だけ見れば、恋人同士の甘いひとときに見えないこともない。が、姉の本意と目的は全く違うところにあるらしい。
リリアンが飛び出した拍子に、机の上から転がり落ちた赤い毛玉が、ころころっと、セラの足下まで、転がった。
* * *
姉の編んでいた赤い毛玉は、赤い腹巻きに化ける予定らしい。
白い毛玉もおいてあったので、これはどうするの、と聞いてみたら、星だという。
『赤一色だと面白くないでしょ。模様を編み込もうと思って。セラの武器って月光っていう名前だし、月だったら、星でしょう?』
北斗七星の形にしようと思うのよ、と意気揚々と構想まで語ってくれた。
腹巻きに面白みが必要かどうかは分からないが、赤地に白い七星入りの腹巻きを贈られるセラの図は面白いだろう。
そう思ったので、チャカは編み物にいそしむ姉を、そのまま見守ることにした。
だが、贈る方は作業に集中すれば良いが、贈られる側はなんとしても阻止せねばならぬと、周囲から攻めていくことにしたらしい。
「……貴様、ちょっと来い」
ある夜、低い声で呼び出され、うへえ、来たよ来たよ来たよ! とチャカは首をすくめた。
だが、ここで逃げては男がすたる。
セラの後につづいて、宿屋のベランダに出る。ここ数日の快晴を反映して、見事な夜空が広がっていた。満月が白く冴え、涼しげな光を地上に落としている。
だが、相手はそんな月夜を楽しむ気など、さらさらないようだ。
白い光を肩越しに受けるセラの顔は、端正ではあるが不機嫌そのもので、無駄なく用件を切り出してきた。
「やめさせろ」
主語こそなかったが、昼間はギルドの依頼をこなしつつ、夜、合間を見つけては、リリアンが編み物をしている姿は、ここ数日見慣れたものとなっていたから、何のことかは分かる。
「それ、俺じゃなくて、姉ちゃんに直接言えよ」
「もちろん言った。だが、必要ないと言っても、向こうは贈りたいから贈るのだと言っている」
苦々しげにセラは言った。
……実はチャカも、同じ危惧を抱いて、贈っても捨てられるんじゃないか? と姉に忠告をしてみたが、姉はちょっと小首をかしげて、そんなことないんじゃないかしらと、聞く耳を持ってくれなかった。
編み物って、道具がかさばらないし、いつでもどこでもできるのがいいわね、とは姉の言だ。今のところ仕上がりは、残すところあとわずかの様子だった。七つの星のうち、五つまでが編み込まれて、着々と作業は進んでいた。
姉の人の良さと、人をあまり疑わない性分と、時々人の話を聞かないところは、弟にとっては心配の種でもあった。
「姉ちゃんは、あれでなかなか頑固だから……俺が言ったって、聞かないよ」
弟の実感を込めて、しみじみとチャカが言うと、じろりとセラがチャカをにらんだ。
それから、フンと鼻を鳴らして、唇を結んだまま、黙って前を向いてしまった。
しばし沈黙が流れた。
月ばかりが皓々と輝き、男二人の沈黙を済ました顔で見守っている。向こうの茂みから聞こえるホーッホーッという低い笛の音のような鳴き声は、ミミズクだろうか。
……なんで俺、ここで、こいつと一緒に、夜空を見てなきゃならないんだろう。
というか、用件がこれで終わりなら、部屋に帰っちゃ駄目だろうか。夜風は案外冷えるのだ。
だが、どうも切り出しにくかった。
どちらかと言えば、姉と同様、陽気な性格のチャカなので、誰とでもそれなりにうまくやっていくことはできるし、気まずい場面をさらっとかわすこともできる。
自分ではそう思っていたが、唯一例外で苦手なのが、セラだった。
セラ相手だと、何故だか、言葉や態度……とるべき対応に迷ってしまうのだ。
相手の取り澄ました、冷たいところが、自分と合わないせいかもしれない。
いや、それで言えば、レムオンだってそうだ。
そういう人物だと分かってしまえば、それはそれで対応のとりようがある。
だから、たぶん、問題はそこではない。
セラの場合は――不思議な心地になるのだ。
分かるような分からないような、分からないながらに身に覚えがあるような。何がどうと具体的に指摘はできないのだが。
ともかく、ここで二人で無言でベランダに居ても、不毛なだけだ。勇気を出して、チャカは口を開いた。
「話がそれだけなら、部屋に帰っていいかな。俺に言われても仕方ないよ。姉ちゃんに言うんだな」
そこまで言って、付け足すようにチャカは言った。
「その……姉ちゃんは、贈りたいから贈るって言ってるんだろ。たぶん、それ、本当のことだよ。特別な気持ちや、親切を押しつけるわけじゃなくて。
だから、その気持ちを貰っておくことにして、品物は使わなければいいんじゃないかな?」
姉ちゃんは別に気にしないと思うよ、と続けようとしたが、セラは素っ気ない口調で応じた。
「毎夜、時間をかけて、丁寧に作られたものだ。贈られたら、使わんわけにもいかないだろう」
チャカは、テレポートで不意打ちをくらったかのように、一瞬反応を忘れてしまった。
――贈られたら、使わなくては相手に悪い。そういう気遣いは、どうやらちゃんとあるらしい!
そう脳内で変換できて、初めて見るもののように、隣の男を眺めた。
セラはベランダの柵に片手を乗せ、外へと視線を送ったままだ。彫像のようなその横顔は、はっきりと美的価値があると認められたが、どうもその中身は、分かりにくい価値観が占めているらしかった。
……やめろって、あれだけ、はっきり言えるのに、気遣い……。
それと同時に、これだと悟る。
セラと話しにくいと思うのは、どうもセラの求めている道や価値観が、分かるようで分からないからだ。
何か基準はあるのだろうが、その基準がどこか曖昧なのだ。これだけ己の信念に忠実で、言いたいことはズバッというわかりやすさを備えているように見えるのに、たまにスカっと予測から外れた言動が飛び出してくる。
ぽかんとしたチャカの顔に、何を思ったかはわからない。
セラは少しばかり思案するような難しい顔になり、ぼそりと言葉を絞り出した。
「貴様の姉は……時々、姉さんと似たことをする。
いや、姉というのは、もしかしたら、みなそうなのかもしれないが」
その言葉には、セラには珍しく、どこか湿った響きがあった。
何かしらの実感があることを感じ取り、納得と疑いを半々混ぜて、チャカは問いかけた。
「セラも、お姉さんが居るのか?」
「ああ。探している」
「? 探しているのは、確か親友じゃないのか?」
「…………。親友もだ。親友と姉の、両方だ」
そこでセラは、不機嫌な顔をしたまま、言葉を切った。
それから急に真面目だが居丈高な調子で、チャカに向かって言った。
「貴様とて、もし姉から何かもらったら、使わなくては悪い、という気にならないか?」
「うん。まあ……そうだけど……」
「だが、貰って困るものなら、どうする?
タダではなく、それなりの時間や手間のかかることなら、相手にとっても無駄だ。だったら、早いところやめさせた方がいい」
「いや……うん……まあ、分かるけど……」
なんとなく、セラの考え方というか、発想が分かってきたような気はした。
親切はありがたいが、手間をかけさせたくはない。ありがた迷惑な気持ちも確かにあるが、だからといって丸ごと否定して切り捨てることはできない。
そういう、ちょっとしたところでのジレンマやもどかしさは、チャカも弟という立場から、共感できる部分はある。
だが、同時にチャカは、実際にリリアンの弟なので、セラよりも分かることもある。
「分かるけど、さっきも言ったように、姉ちゃんは、あれでなかなか頑固だから。俺が言ったって、聞かないよ」
そもそも、腹巻きを贈ろうと思った経緯から話した方がいいのかもしれない。
チャカは先日の姉との会話を、そのままセラに伝えることにした。
『なあ姉ちゃん。何であいつに腹巻きを贈ろうと思ったの? いや、格好からってのは分かるけど』
『んー。ほら、この間の、竜骨の砂漠の探索の時に。
砂漠って昼はいいけど、夜は冷えるのよね。それで、そのとき、聞こえたから。
――セラがね、くしゃみしていたの。
ああ、昼は暖かいから問題ないし、あの服装もきっとこだわりがあってのことだろうから放っておいてあげた方が親切なんだろうなあって思っていたんだけど……やっぱり、夜はねえ。きっと、冷えるんだろうなあと思って』
「あれは、単に、鼻先に砂が飛んできたからだ」
セラが素早く答えたが、チャカは言った。
「問題はそこじゃなくて、『寒いだろうなあ、そうだ、暖かいものを用意してあげよう』っていう、姉ちゃんの世話焼き気質に火がついちゃったところだから」
「…………」
「悪いけど、俺じゃ姉ちゃんを止められないよ。逆らえないもん」
姉の親切心を無下に否定できない、そういう弟であるセラならば、分かるはずだ。
弟に対する姉の愛情に火がついてしまったら、止められないのだ。
特にチャカは、何かあれば拳骨も飛んでくるような強い愛情を受けて育っているので、それがよく分かる。
――姉よりも弟の方が、とてもとても立場が弱いのだ。
がっくりとまでは行かなかったが、己の不利を認めざる得ないくらいには、何かを悟ったのか、セラは無言でその場に立っていた。
夜風がセラとチャカの黒髪を揺らす。
ふっとチャカは思った。
もしかしたら、セラの姉も、リリアンと同じような黒い髪なのかもしれない。
「ほら。もう夜も遅いし、寒いし! じゃ俺、寝るね。お休み」
ちょうど会話の切りもよいところで、そそくさとチャカはセラを残し、暖かな室内へと戻っていった。
* * *
実はセラには言わなかったが、姉との会話には続きがある。
『なんか、セラのくしゃみを聞いたら、あんたのこと、思い出しちゃって』
『……え、俺?』
『小さな頃、よく布団を蹴飛ばして、お腹を出して、寝てたでしょう。
で、次の日、風邪を引いて。子供心に馬鹿ねえと思っていたけど、可哀相だなあとも思って。看病してあげたじゃない。覚えてないの?』
覚えている。覚えているが、姉は都合の悪いことは忘れている。
農家の狭い家の中で、父と姉と自分と、床に雑魚寝が当たり前だった。
人が三人寝ていれば、それだけで床が埋まってしまう。ごろりと寝返りを打った姉に蹴飛ばされ、布団から追い出されることが、幼い時分にはよくあったのだ。
寝返りを打った姉は、なぜかまた反対に寝返りを打ち返し、寝たままくるりと布団にくるまり直すことができたのだが、追い出された弟は、姉ほど器用ではなく、そのまま床に腹を出して寝たままだったのだ……。
まあ、それも小さな頃の、懐かしい思い出だ。
「あら。遅かったのね。セラと何話してたの?」
部屋に戻ると、姉は編み棒に目を落としたまま、チャカに問いかけてきた。
――やっぱり鋭い。
「別に。そういやさ、姉ちゃん。セラって、お姉さんいるんだって。知ってた?」
「知ってるよ。本人から聞いたもの」
あっさりと返されて、チャカはまじまじと姉を見た。いつの間に。
リリアンは、編む手は止めなかったものの、何かを一つ一つ注意深く確かめるように、言葉を紡いだ。
「弟なのか? って聞かれて、似てるでしょ、って、答えて。
姉弟で冒険者をしてるのか? って聞かれたから、うん、って答えて。
そうしたらセラは、そうか、って黙ってたけど。
けど……何か言いたそうだったから、話を聞いたのよ」
淡々と語るセラの様子が、チャカにも想像がつくような気がしたし、それを聞く姉の姿も分かるような気がした。
「……無事に、再会できるといいわねえ」
姉はそう呟くと、できた! と声を上げ、編み棒を置いた。
――その赤い腹巻きが、実際どうなったのか、チャカは知らない。
寝冷え対策として贈られたものなので、ひとまず昼間は使っていないらしい。
もしかしたら宿で寝ているセラの布団、あるいは野宿時に使っている掛布をめくってみたら、ぱきぱき割れた自慢の腹筋の代わりに、白い星が七つ見えるのか もしれないが、セラは用心深いのか、そういう習性なのか、夜は遅く、朝は早い。寝ている姿を見せないので、使用状況の確認はとれていない。
ただ、リリアンの笑顔と共に渡された贈り物だ。
断り切れず、捨てることも叶わず、それなりに大切にしてくれているに違いないとは、信じている。
- 姉思い・弟思い