そのころの彼 

その頃の彼1

「広い砂漠の、どこに落ちたかも分からない首飾りを探すというのか……あきれたお人好しだな」
「人助けは大切です。これは立派な仕事です。働くことは良いことです」

 セラの言葉に、早口言葉のように小気味のよいリズムで、ルシカは言いかえした。
 人助け。その言葉はこういうときばかりだけでなく、普段の依頼時にも発揮される。
 他人のために働くことは尊いと、亡き父から教わったのだそうだ。
 まるで神官らしくないくせに、こういうどうでもいいときだけ神官らしくなる。

 そういえばロイも勤労精神に満ち溢れていた奴だった。
 人助けと称して、やっかいごとばかり背負い込み、そのとばっちりがこっちにまでやってきた。
 行方のしれない、懐かしい親友の姿を思い出し、セラは遠くの空を見る。
 あいつは今頃、どこでどうしているのだろうか。

 そのころ。

「サイフォス、靴を磨いてちょうだい」
 椅子に腰掛け、足を組んだアーギルシャイアは、つま先を差し出した。
「はい」
 傲岸な口調を気にするそぶりもなく、彼は女王の足下にひざまづき、恭しくその命令に従う。

 もくもくもくもく。
 …………。

 予想とは様子の違う下僕の姿を、女王はいぶかしげに見つめる。
 彼女の視線を気にすることなく、サイフォスは一心不乱に、靴磨きに集中している。
 彼が手を止めると、曇り一つなく磨きあげられたブーツが現れた。
 黒光りする仕上がりに満足したのか、サイフォスは意気揚々と、主人に問いかける。

「いかがしょうでしょう!」

 労働の喜びと達成感に満ちあふれ、すがすがしさを漂わせている、仮面の騎士。

 ……何か違う。

 彼は、主人の命令には、いつだって嬉々として従ってくれるのだが。
 隠れ里の神殿という、拾った場所が悪かったのだろうか。
 邪気も悪気も全くなく、真摯に自分に仕えてくれている下僕の姿に、アーギルシャイアは、なぜだか不憫なものを感じて、仕方なしに口を開く。

「ええと、完璧よ、サイフォス。ありがとう」
 彼は彼で、それなりにうまくやっているらしい。

元・神官家ミイスの一族。記憶はなくとも、勤労意欲と奉仕精神に満ちたロイが残っているようです。
そんなサイフォスに、アーギルシャイアも、ちょっとずつ飲まれているようです。
気がつけばフォーリングラブ。

 

そのころの彼2

 ルシカがじっとフェティを眺めている。
 正確にはフェティの後頭部にある、リボンの巻き付いた角を見ている。

「何よ下等生物」
「いや、どうやったら長い髪が、そんなに小さくまとまるのかなあと思って」
 宿でフェティが髪を解いた姿を見て以来、感心しているらしい。
「見かけによらず、フェティって器用なんだね」
「見かけによらずとは何よー! 高貴なエルフを馬鹿にするんじゃなくってよ。
 まあ、アンタみたいな下等生物に、こんな高度な真似はできないんでしょうけど」

 確かに角は無理だろう。
 だがルシカが口をつぐんで答えないのは、どうも普通に髪を結うことさえも苦手だかららしい。

「あたしも昔は髪が長かったんだけど」
 森でかけずり回って遊ぶルシカの髪は、しょっちゅうほどけていた。
 だが自分では、解けた髪を元に戻せない。
 騒ぐ妹のために、兄のロイが、その役目を負うことになったという。
「お兄ちゃん、最初はリボンもうまく結べなかったんだけど、だんだんうまくなっていって……」

 最終的には、乳母に感嘆されるほどの腕前になったそうだ。
 兄の出来が良すぎると、比べられるのが嫌で、妹はむくれて手を出さなくなるのが兄妹の常なのだそうだ。

 そういえばあいつは、無駄に器用な奴だった。
 しみじみと語るルシカの声に耳を傾けながら、セラも思い出した。
 子守のついでに磨かれたものだったのかと思えば同情もわくが、使いどころのない技術ばかり増えたところで何にもなるまい。あいつはどうも、そういう器用貧乏なところが目立つ奴だった。

 そのころ。

「サイフォス、髪を梳いてちょうだい」

 艶やかな黒髪を後ろに払いのけてアーギルシャイアが命じる。
 サイフォスは彼女の背後に立って、言われるままに櫛を滑らせる。
 …………?
 さらさらと丁寧に櫛をかけるその手つきが、妙に慣れているもののように感じる。
 おまけに、さっさと手慣れた調子で、彼女の黒髪を分けて、束ねていく。

「ちょっと、何をしているの?」
「ああ。お動きにならないでください、アーギルシャイアさま」
 成り行きでアーギルシャイアが動きを止めると、サイフォスのにこやかな声がかかった。
「仕上がりました」

 髪の動きが、いつもと違う。
 つまんで見ると、編み目が見えた。
 左右に一本ずつ三つ編みが。

「お鏡を」
「結構よ」
「お気に召しませんでしたか?」
「……普通でいいのよ、普通で」
「そうですか。美しく飾ってさしあげたかったのですが。髪飾りなどあると良かったのですが」

 心底残念そうに言う彼に、一瞬色々任せてみようかしらなどと考えてしまい、慌ててアーギルシャイアが頭を振る。
 三つ編みを解くと、ゆるくウェーブがかった髪が流れ落ちた。
 それを見たサイフォスが一言。

「お綺麗ですよ、アーギルシャイア様」
 !!!

 ……密かに、負けているかもしれない。

サイフォスは天然で口説き上手。知らないうちに女王の方が懐柔されています。
うちの女王と下僕の日常風景はこんな感じです。

 

その頃の彼3

 夕暮れの薄明かりの中で、ルシカは火打ち石で上手に火種を作り、石で作った炉に移した。
 セラは仕留めたウサギの食用処理を行いながら、そんなルシカの姿を不思議に思って見ていた。
 冒険者であれば、野宿など当たり前のことだった。
 野営には慣れていないだろうと思ったが、予想に反してルシカは実に手際よく動いた。
 言われなくても薪を拾い集めてくるし、水の用意もしてくる。火の起こし方も、特にセラが教えなくても知っていた。

「お前、村から出たことがなかったんじゃないのか?」
「でもあたし、森で育ったもの」

 セラは一瞬その言葉の意味を考え、質問を変える。

「お前に野営の方法を教えたのは、ロイか?」
「うん。野営って言うか、夏に村の外れでキャンプをはったくらいだけど。焚き火をして 釣った魚を焼いたり、村のお祭りの時に捧げる動物を狩りに出かけたりしたよ」

 あいつはクレリックではなくて、アルバレストだった。
 ロイが狩人のソウルを宿していた事が不思議だったが、森の中で動き回るには、その方が便利なのだろう。
 この兄妹に会ってから、『神官』と『神官戦士』は、違う存在なのだとセラは知った。もしかすると、地域による差なのかもしれない。ミイスとミイス以外では、きっと、色々と『聖職者』の定義が違うのだ。
 祈る人ではなくて守る人の村なのだ。……その方が何かと便利なのだろう。

 ルシカが、ウサギの皮を剥ごうとしているセラの手元を見る。
 セラの手には月光ではなく、こういった作業用の小さなナイフが握られている。
 ルシカはそれを、単に月光が長剣で料理には使いにくいからだと思ったらしく無邪気に言った。

「お兄ちゃんの日光があれば便利だったのにね」

 ――日光は、友情の証だったはずだが。

「日光、小さくて使いやすいし、切れ味抜群だし、調理用にちょうどいいよね。お兄ちゃんは料理も得意で……って、セラも一緒に旅をしたから知っているでしょ?」

 知ってはいるが、自分の目の前では日光を使いはしなかった。
 いや一度、使おうとしたロイを、セラが睨んで牽制したような、そんな記憶が、うろ覚えにあったりしたが、親友のそんな姿を認めたくないセラは、それを無意識に忘れてたらしい。
 友情の証なのに。

「どうしたの? セラ」
 ふうっと遠い目でため息をついたセラを、ルシカは不思議そうに眺めた。

 そのころ。

「サイフォス……これは何かしら?」
「魚です」
「この、浮いている固まりは?」
「貝です」

 目の前に出された皿にのっているのは、サイフォス手製の魚料理だ。
 なんとなくアーギルシャイアは、目を部屋の外に向ける。
 通路を歩き回っているのは、水属性の生き物たちだ。鱗があったり、鰭があったりする者たちなのだ。
 貝のこのつるっとした外観は、試験管から出たばかりのホムンクルスを連想させたりも、するのだが。

「材料は、どうしたの?」
「私が釣ってきました」

 ここは海辺にある秘密の研究所だ。確かに、手近なところで材料を調達しようとすれば、こうなるのだろう。
 この下僕が妙に器用だとは知っていたが。

 役に立たずよりも万能である方が、いいわよね……?
 半ば自分に言い聞かせるように考えながら、アーギルシャイアは目の前の料理を口に運ぶ。 
 そこでアーギルシャイアの目が驚いたように瞬きをした。

「……美味しい」
 じっとアーギルシャイアを見守るように見つめていたサイフォスが、その一言に、嬉しそうに言った。
「お口に合ったようで安心いたしました」
「明日も頼むわね」

 うきうきとした口調でアーギルシャイアが命じる。
 家事万能な下僕は案外得な拾い物かもしれない。

女王は自分がすでに深みにはまっていることに気づいていません。
うちのサイフォスは家事万能で、無駄に器用。
女王と奴隷はけっこう幸せらしいです。互いに気づかぬうちに新婚生活真っ最中。