ラストダンス 

 耳の奥を洗う潮騒の音色に、意識が引き戻された。
 目を開けば、見慣れた海辺の隠れ家に戻っていた。寝台から身を起こそうとして、アーギルシャイアは鈍い痛みに息をつく。街道でヴァシュタールの襲撃を受け、そこにこの器の弟と無限のソウルが通りかかり――咄嗟にダストの術で姿をくらませたところまでは覚えている。その後の記憶はとぎれていた。

「お目覚めですか、アーギルシャイア様」
 首をひねると、寝台のすぐ傍らに、サイフォスが膝をつくような形で控えていた。
「あなたがここまで運んでくれたの? サイフォス」
 はい、という短い返答に、そう、と答える。
 忠実な仮面の下僕であればそうするものだろう。だが。
 アーギルシャイアは寝台から腕を伸ばした。傍らに控えるサイフォスの顔に――その仮面に指を触れさせる。心なしか、サイフォスが背筋をこわばらせる。
 どこか夢から覚めきらない口調で、アーギルシャイアは告げた。
「目覚めたとき、あなたはもう私の傍にいないかもしれないと思ったわ」
「……何故、そんなことを?」
「ウフフ、さあ? 何故かしらね」

 転移の術も使えないほどに弱った魔力だ。
 忘却の仮面の力も、もう失われているかもしれないと思った。
 今だって、この指に力を込めれば簡単に仮面なんて剥がせるかもしれない。一瞬そんな危険な誘惑に駆られる。不穏な気配を察知したのか、サイフォスは無言でアーギルシャイアの手を取ると、自分から引きはがすようにして寝台の上に戻した。
「お身体に障ります。しばし、お休みください」
「あなたの怪我はもういいの?」
「…………。はい」
 警戒するような声音で、仮面の男が答える。その下にある顔が、自分のサイフォスなのか、それともあの焼いた村で拾った青年ロイなのかは、分からない。
 仮面を被った瞬間が始まりなら、仮面が外れる時は終わりだろう。
 この下僕が役目を終えたときか、あるいは自分が消滅したときか。
 アーギルシャイアは唇を歪ませて笑い、身を起こした。傷の疼きに顔をしかめると、慌ててサイフォスが腕を差し出す。その腕に自分の腕を絡めて、からかうように告げる。
「そう良かったわ。あなたは私のお気に入りのオモチャなの。そして、オモチャは簡単に壊されてしまうものだから」
「アーギルシャイア様?」

 サイフォスが言葉の意味を図るように、顔をこちらに向ける。
 そのサイフォスの胸元に、とんと押しつけるようにアーギルシャイアは頭をもたれさせかけた。サイフォスが少しためらった後、背中に腕を回して、アーギルシャイアの身体を引き寄せる。
 よくあることだ。面白半分に小さな村を焼き払うように。
 魔法の火種程度に思われて、簡単に燃やされてしまうように。
 ――報復も、支配も、自分の存在も、壊される瞬間はあっけない。
 だから終わりが来る前に。この関係が壊れる前に。全てが燃えて消えてしまう前に。

『来るべきウルグ様の終末の業火に、その人間ともども焼かれて同じ時に死ぬるがよい』

 同胞に投げつけられた言葉の意味を噛みしめながら、アーギルシャイアが告げる。
「ねえサイフォス。私を楽しませて」
 サイフォスの腕の中で彼を見上げ、傲岸で気まぐれで誇り高い瞳で、魔人は綺麗に晴れやかに笑った。
 終わりの時は全てが無に帰すだけだ。だからその瞬間までは、あなたとともに、この炎と熱の中で踊らせて。

2018-09-11

アーギルシャイアの誕生日に書いたものです。実はこれは表というかおまけ版です。
メインはほぼロイの記憶が戻っているサイフォス視点のラストダンス(R-18)の予定です……アップできたら案内します。