無垢な人形
昔のことだが、狂ったように人形遊びにのめりこんでいた時期があった。
正確に言うなら、人形遊びではなかった。人形集めというほうが近い。
気に入った人間の精神を根こそぎ奪って、所有する。
手に入れることだけが目的だった。
だが、何体集めても、そのどれもが、同じ形をした物体でしかなかった。物を言わない、自らの意志では動くこともできない、人としての造形と肉体的機能だけを残した精神の抜け殻は、どれも個性がなくてつまらなかった。
好きなものを好きなだけ食べつくすような、雑な遊び方だった。すぐに飽きた。
つまらない物を何体も用意するよりも、最高の一体を手に入れて、こよなく愛すほうが、多分楽しい。
料理と一緒だ。材料を厳選して、きちんと手を掛けて調理すれば、驚くほどの美味が生まれるのと同じ原理で、もともと素材としての個性と魅力があり、手をかけて足りない部分を補完しながら育て上げた人形は、きっと愛着が湧くだろう。
次回はそういう楽しみ方をしようと決めていた。
――だからアーギルシャイアは、ロイを手に入れたとき、彼の精神全てを奪うことはしなかった。記憶は封じ、意志も奪うが、精神の核のような部分は残しておくことにした。
おそらくそれが人形の個性を支えることになるだろうと思ったからだ。
初めての試みだった。うまくいかなかったら違う物と取り替えればいい。
それくらいに、考えていた。
*
その人形が一番最初にしたことは、寝ているアーギルシャイアに毛布を掛けたことだった。
そっと毛布を掛けられた瞬間、アーギルシャイアは飛び起き、人形の手を払いのけた。背中にかけられた毛布が滑り落ち、むき出しの白い肩がのぞいた。
「何をしようとしたの!?」
「……風邪をひくと、思いましたので」
人形は戸惑ったような声で答えた。自分の格好が寒そうに見えたらしい。
それに気づくと、アーギルシャイアは可笑しくなって笑い出した。今までどの人形も、自発的にそんな行動を示したことはなかった。
「面白いことを言うのね、お前は」
「面白いこと、ですか? お気に召さなかったら、他のことをお言いつけください」
「……そうね。寒そうに見えるというなら、私を抱いてみる?」
人形はきょとんとしたようだった。アーギルシャイアの言葉の意味を、瞬時判断しかねたらしい。やがて自分の中で適合する答えを見つけたのか、素直な返事をした。
「はい」
そう言って、ごく普通に、子供を抱き締めるような形で、アーギルシャイアを自分の腕の中に抱き締めた。
……意味が違う!
「何か、違いましたか?」
自分を腕の中に収めたまま、見下ろすようにして人形が尋ねてくる。
「少しね」
「少しというのは?」
教えようと思ったが、そうすればこの人形は、言われたことを言われたとおりに繰り返すようになるだろう。
そんな思いが一瞬よぎって、気づけばアーギルシャイアは答えていた。
「それはまた今度、教えるわ」
新しい人形の遊び方は、随分と面白いようだ。
ひとまずアーギルシャイアは、人形にサイフォスという名前を与えた。
*
最初のうち、アーギルシャイアはサイフォスを連れて歩くことはせず、隠れ家で留守番をさせていた。知識の欠けている状態のサイフォスは、どちらかといえば子供に近く、連れて行っても役に立たないことが多かったからだ。時間をかけて、ゆっくり教育することにした。
留守番をさせておいても、自分の中に残っている知識を元にして、サイフォスは学習を重ねているようだ。戻ってくると、暖炉に火が入っている。品の良い紅茶の香りがする。
「お疲れのように見えます」
自分を気遣ってくれる。それがただの思いつきで人を殺した後であろうが、気の向くままに集落を破壊したあとであろうが関係なく、ただアーギルシャイアの身だけを思う。
こういうのは新鮮で、悪くなかった。
*
アーギルシャイアは少しずつサイフォスに様々な事柄を教えていった。
その際、なるべくサイフォス自身の個性を損なわないように注意した。やりすぎれば、サイフォスは自分の命令を実行するだけの道具にすぎなくなってしま う。そういうのは昔の遊びで知り尽くしていた。相手が素直に自分の言うことをきく様子は、最初のうちは面白いが、すぐに飽きる。
それよりもサイフォスが示したような、アーギルシャイアの発想にはないことをしてくれる方が、ずっと面白かった。
サイフォスの主人であり、母親であり、教師の立場にあるアーギルシャイアだったが、彼女自身もサイフォスを通じて学ぶことがあった。
そのうちの一つ。サイフォスと共に過ごしているこの時間のあり方を何と呼ぶのか分からなかったが、「安らぎ」というものであるらしいと、もう少し後になって彼女は知る。
Fin
2007-02-15