Poorcook 

 戦争で両親を亡くして、何度目の冬だったか忘れたが、高熱を出して倒れたことがあった。
 今なら健康状態を保つことも己の責任だと分かるが、そのときは、そこまで気が回らなかった。別にたいしたことじゃないと放っておいたら悪化したらしい。
 後から姉の話を聞いたところだと、意識のない状態が長時間続いて、危なかったそうだ。

 そのこと自体は、熱のせいか、あまりよく覚えていない。
 ただ、目が覚めた時、隣には、そっちこそ病人なんじゃないかと思えるような真っ青な顔で、寝ずの看病をしていた姉の姿があったことは焼き付いている。
 目が合うと盛大に泣き出された。

「どうして、こんな無理をしたの」

 そんなつもりはなかった。ただ気づかなかっただけだ。
 そう告げようとしたが、泣きながら言われた「あなたにまで死なれたら、私は独りきりだわ」の言葉に、言い返すことはできなかった。
 もともと物静かな方だったが、両親の死がよほどこたえたのか、姉は気が塞ぎがちだった。昔のことを思い出すのか、時々涙ぐんでいる姿も何度か見た。

「……ごめんね、セラ」

 震えながら、そう呟かれたとき、本気で自分の身を大事にしようと思った。
 姉を独りで放っておくわけにはいかないと思ったのだ。

 その日の夕食は、形がなくなるほどよく煮込まれた麦粥だった。
 口に含むと、麦の味がそのまま広がった。病人相手だからと味付けを控えてあったからなのだろう。
 申し訳ないが、姉の料理の中では、それが一番うまかった。



* * *



 額に乗せられたひんやりとした感触に、一気に目が覚める。
 すかさず手で払いのけると、ため息混じりの青い目が自分を見下ろしていた。
 セラはくるりと毛布を被りなおし、背を向けて、その視線を遮った。

「セラ。ご飯は食べないと」
「いらん。ただの風邪だ。寝てれば治る」
 答えた声に咳が混じって、自分で自分に腹が立った。
「食欲ないのは分かるけど、何かお腹にいれないと。昨日だって何も食べてないのに」

 その言葉にセラは顔をしかめた。自分の感覚では、ほんの少しまどろんだ程度のつもりだったが、見ればたしかに窓の外は暗くなっていた。思っていた以上に、体力が落ちているらしい。
 渋々起きあがると、すぐ傍らでルシカが小さな盆を片腕にのせて立っていた。
 不機嫌なセラに呆れた表情を向けていたが、目は心配を浮かべていた。

「……。よこせ」
 それに免じてというわけではなかったが、ルシカが運んできた器を手に取る。
 だが中身を見た瞬間、前言を撤回して、突き返した。
「貴様、これは何だ!」

 匂いと形状からして、おそらくは麦粥なのだろう。だが色が普通ではなかった。
 ――それはそれは見事な、真緑色。
 ルシカがむっとして、早口で言い返した。

「見た目が悪いのは確かだけど、これは薬草をすりつぶして混ぜてあるからなの! ミイスでは風邪をひくと薬草粥を作るの。特にこの薬草は、熱冷ましとお腹をなだめる効果があるんだからね!」
 もう一度押しつけるようにして、器を突き出された。
「セラって時々食べ物にうるさいよね。食べたって死なない物の方が多いんだから、安心して食べればいいのに」

 その基準はどうかと思ったが、この娘はあの自然雑学豊富な兄に仕込まれたらしく、旅に出てからは持ち前の好奇心も手伝って、やたらと色んな食べ物に詳しい。
 それでも病人扱いされることと、素直に好意を受け取るのが癪に障って、セラが言った。

「元はといえば、貴様のせいだろう」
「あたしのせいでもない気がするけど、悪いなあと思ったから、こうやってお粥を作ったんじゃない」
 ほんのわずかにルシカの声が小さくなった。
 
 
 たしかに誰が悪いというわけでもない出来事だったのだろう。
 請け負っていた配達品は食心の壷だった。たまたま盗賊と遭遇した場所が川べりだった。昨日までの雨のせいで、水かさは増していた。足下もぬかるんでいた。
 相手のナイフを避けようとしたルシカが、浮かんだ幻覚に気を、地面のぬかるみに足をとられて、よろめいた。とっさにセラが手を伸ばしたのは、ルシカと壷と、どっちのためだったか分からない。どちらも荷物みたいなものなので、あまり頭で区別しなかった気がする。

 ――強いていえば、壷は落としたら割れる。ルシカは勝手に動く。
「きゃあ」という悲鳴を上げながら、どうしてそこで『しゃがみこむ』という選択をしたのか、セラには分からなかった。肩にかけようとした手が空を掴み、勢い余ってセラの足が滑った。
「せ、セラ!」
 しゃがみこんだまま壷をしっかり抱きかかえていたルシカの声が聞こえ、次いで水音が、打ち付けるように響いた。
 それが一昨日、いや三日前のことだった。そして風邪をひいた。
 
 
「もしかして、フェティの言ったこと、気にしてたりする?」
「誰があんなエルフの小娘など」

  風邪をひいたセラに、かの高貴なエルフ様は容赦がなかった。
『当然の結果ね。そぉーんなふざけた格好をしているからよ。毎日の腹筋も何の役にも立たなかったというわけね』
 高笑いと共にフェティがそう言ったのは、彼女が仲間に入ったときのセラの最初の一声『なんだその高慢ちきなエルフは』という言葉を、未だにしぶとく覚えているからだろう。
 挙げ句、うつすんじゃないわよ、という、とどめの一言を放って、さっさとセラを隔離して、自分は別の部屋でぐっすりとおやすみになった。

「でもフェティもちょっとは気にしてたみたいだよ? 一晩中咳してたわね、あの男って、言ってたし」

 それは、うるさくてよく眠れなかった、という意味ではなかろうか。
 これ以上くだらない言い合いを続けていたら、更に体力が奪われそうな気がしたので、セラは諦めて匙を手に取る。

「珍しい薬草だから、手にはいるか分からなかったんだけど、生えている場所を教えてくれたの、フェティだよ。食べやすいように苦みは取ったし、厨房を借りたら、ある材料なら何でも使っていいって言ってくれたから、調味料や香辛料で味付けしてあるんだけど……」

  元より味など期待してはいなかった。
 観念して一口食べる。見た目は悪いし、期待もしていなかったが、中身は正反対だった。
 ……うまい。
 思わず隣のルシカに尋ねる。

「これは、本当にお前がつくったのか?」
「そうだけど」

 どうして、この娘はどうでもよい腕は良いのだろう。
 そういえば兄もそうだった。この手の小さなことに長けていた。ただロイの場合は、何でもできそうに見えるし、実際に色々できる男だったが、妙に抜けているところもあって、そちらの印象が強かった。
 何はともあれ、まずいよりもうまい方がいいに決まっている。
 実際に食べ物が胃にはいると、身体が空腹だったことを思い出したようで、セラはそのまま匙を動かし続けた。



 もくもくと粥を口に運ぶセラを見て、ルシカはそっと尋ねた。
「美味しい?」
「ああ」
 素直に答えられてルシカが驚く。照れ隠しで続けた。

「セラのお姉さんがつくるものとは味が違うだろうけど……」
「姉さんは別に悪気があったわけじゃない」
 きっぱりと言って、セラがルシカを見る。いつになく眼差しが真剣だった。
「ただちょっと料理が苦手なだけだ」

 いつもと様子の違うセラに、ルシカが今度は本当に疑いを含んだ眼差しを向けた。

「……セラ?」
「誕生日のあのときだって張り切っていただけだ」
「誕生日って……」
「フッ、俺の12歳の誕生日祝いだ。たまたま珍しい魚をわけてもらって、姉は朝から張り切っていた。今夜は腕によりをかけて御馳走をつくるから楽しみにしてくれと言ったのだ」

 突然語り出したセラを、ルシカは困惑して見つめた。
 たまにセラはこういう風になるときがある。普段の一言二言の返事の反動なのか、妙に饒舌になるのだ。もっとも陽気になるわけではなく、偉そうな語り口は変わらないので、お喋りをしているとも言い難いのだが。

 ルシカの困惑をよそに、セラは粥を食べながら、誕生日の思い出を語っている。
 端的に言えば、出された魚料理はまずかった。それだけで済まないのが生ものの怖さだ。体中がかゆくなって、三日間ほど酷い目にあったのだそうだ。
 一緒に食べたお姉さんが無事だったのは、たぶん「おかわりをしてね」と言われて、素直に応じたセラが、悪い物を全部引き受けたからだろう。健気と言えば健気だし、不運と言えば不運だ。
 森育ちだったルシカは、たまに川魚を焼いて食べるくらいのことしかしなかったが、生ものが傷みやすいことは知っているし、陸地より海洋の生物の方が毒を含んでいるものが多いことは知識として知っていた。
 魚料理は難しいと、アミラルでも聞いた。猛毒を持つ貝にあたって死んだ海賊の話もあった。

「シールミア貝が食卓にのりそうになったこともあった」
 たった今思い浮かべた貝の名前が出て、ルシカは目を回しそうになった。
「調理をする前に気づいて止めさせたが」
「未遂に終わって良かったね……」

 セラは魚料理が苦手だったが、なんだかその理由が見えてきた。
 両親を亡くし、幼い頃から姉と二人で暮らしてきて、色々苦労したらしいとは察していたが、その苦労も小さなものから大きなものまで種類に富むらしい。
 ……それにしてもどうしちゃったんだろう、セラ。
 熱があるような語りっぷりだ。いや確かに熱はあるのだが。
 疑問に思いつつ、綺麗に空になった器をセラから渡されて、ルシカは昔聞いた兄の言葉を思いだした。

『この薬草は、効果は高いんだが、副作用があるんだ。扱うときには、十分気をつけるんだよ』
『副作用?』
『そのまま使うと、お酒を飲んだ人みたいに酔うんだ。妙に浮かれたり、昔のことを話し出したりするんだ。よく熱を加えれば平気なんだが』

 煮足りなかった、かな?
 セラのお姉さんと似たようなことをしてしまったらしいことに気づいて、ルシカはおそるおそるセラを見たが、セラはまるで気づいていない。
 ただ、姉語りはまだ続いている。しばらくは止みそうになかった。
 どうしようかと思ったが、なんとなく聞き役を務めてしまったのは、後ろめたさもあったからに違いない。



* * *



 くしゅん、と小さなくしゃみが、宿屋一階の食堂に響いた。
 寝込むまでは至らなかったが、明らかに具合の悪そうなルシカにフェティが呆れて言った。

「バっカじゃないの。病人に付き合って、くだらない話を延々夜中まで聞いてたりなんかするからよ」
 セラが無言でフェティを睨む。フェティは澄ました顔をしていたが、ふと気が向いたように席を立ち、厨房でルシカのために野菜ジュースを作成中のルルアンタの様子を見に行った。
 鼻をすすりつつ、ルシカがしみじみ言った。
「セラって、お姉さん、大好きだよね」
「…………」

 セラは隣の少女を見る。
 どうも昨夜あれこれ話したらしいし、その覚えもあるのだが、何故そんなことになったのかが良く分からない。
 セラの方は、十分休養をとったのが良かったのか、ルシカ手製の粥がきいたのか、目が覚めたらすっかり風邪は治っていた。だがリーダーがこれでは、今日も出発は無理だろう。
 さすがに今回ばかりは自分に非があると思ったのか、セラはそれに関しては何も言わず、厨房に視線を向けて言った。

「いいのか? お前が自分で作った方が、たぶんうまいぞ」
 ルルアンタはともかく、フェティまで押しかけたのでは、ひょっとすると今頃、野菜ジュースの中に怪しげな隠し味が混ぜられているかもしれない。
 だが、ルシカは小さくくしゃみをして、首を横に振った。
「自分で自分のために作ったっておいしくないよ。誰かに作ってもらうのがいいんじゃない」

 ふいに思い出す。
 二人で暮らしていた頃 、料理は姉がつくってくれていたが、今になってときどき思うのだ。
 本当は姉自身、料理が苦手なことは自覚してたんじゃないかと。
 それでも料理当番を譲らなかったのは、責任感とは別の心情があったからかもしれない。
 それに本当に下手というわけでもないのだ。食材への好奇心が強いのと、味のつけかたに失敗するだけで……たぶん。

 ルシカとセラのテーブルの脇を、別の冒険者の一行が通りかかった。
 顔なじみになっていたのか、そのうちの一人が軽くルシカに挨拶して、厨房から聞こえてくる笑い声を聞いて、むっつりと不機嫌そうなセラに向かって言った。
「あんたらのパーティは仲が良いな」
 笑って通り過ぎていった。

 ――なぜそうなる?
 セラはその後ろ姿に問いかけたかったが、ルシカは気をつけてね、と手を振ってその姿を見送っていた。

「できたよー!」
 ルルアンタが明るい声を上げて、ぱたぱたと上機嫌な足取りで、ルシカのために綺麗な人参色の飲み物を運んできた。 

2007-07-13