Remembrance 

 テーブル、陳列棚、部屋を横切る梁から窓の枠にいたるまで、飾れる場所は埋めつくそうとばかりに、指輪やら首飾りやらが展示され、色とりどりの光を放っている。
 ギルドの依頼を終えて、懐は暖かかった。酒場にでも行くかと提案をすると、それならその前にどうしても行っておかねばならない場所があると、ロイは言った。
 いつになく断固とした口調で言うから、何だと思ってついて来てみれば、ただの買い物ときた。

「もうすぐ妹の誕生日なんだ」
「そうか。良かったな」

 素気なく答えて、先に店を出ようとすると、ロイが肩に手をかけてそれを遮った。
 振り返ると、にこやかな顔で告げられた。

「お前もついでに姉上に贈る品を求めたらどうだ」
「姉の誕生日はまだまだ先だ。どうして会ったこともないお前の妹のために、俺まで祝い品選びに付き合わなければならん」
「一人で酒場に行っていてもつまらないだろう? せっかく報酬が入ったのだし、大切なことは最初に済ませたい」

 相変わらず笑顔を浮かべたままロイが言う。
 この男の笑顔は、強固な意思表示のあらわれだ――何を言っても無駄。
 なるほど自覚はあるようだな、と、けして浪費家でもないのに金銭感覚が少しずれているせいで、すぐさま財布が軽くなるロイへの評価を修正して、渋々とセラはその場にとどまった。この男のせいで、自分はずいぶん面倒見と付き合いが良くなった。

 きらきらしい装飾品の光の渦は、見てるだけで眩暈がしてくる。
 ここまで数があると、どれもこれも同じに見えてくるが、セラの苦々しい表情など気にすることもなく、ロイは真剣な目で品を見定めている。視線があちこちと忙しなく動いていた。
 本気で付き合っていたら、夕食時などあっという間に逃してしまいそうで、セラは一番近くにあった髪留めを指して言った。

「こんなのはどうだ。値段も手頃だし、子供相手にもいいだろう」
「……歳が離れているとは言ったが、子供でもないぞ。14歳になる」
「そうなのか。お前の話を聞いていると、もっと小さな妹のように思ったが」
 ロイは言葉に詰まったが、セラの指した髪留めに文句はなかったらしい。
「指輪でも首飾りでも何でも似合うと思うが、確かにこっちの方があの子には相応しいかもしれない」
 兄バカが。
 セラの心の声が聞こえたわけでもないだろうが、ロイは顔を上げ、セラの腰まである黒髪に目をとめて、付け足すように言った。
「綺麗な色の、長い髪をしているんだ。ちょうどお前くらいの長さだった」

 貝細工の髪留めは、光の加減によっては、純白にも鈍い灰色にも薄い虹色にも色を変えた。
 ――海の色の長い髪をしているんだ。だから、きっと似合うだろう。
 そう言って、奴はそれを買い求めた。



* * *



 船が来るまで間があった。竜王の島の浜辺には自分たちしかいなかった。
 暇を持てあましたルルアンタが貝殻拾いをはじめ、ルシカがそれに付き合って、いつのまにかフェティも一緒になって負けじと拾いはじめている。くだらない光景だったが、それを言うとフェティと同じになる気がして、あえてセラは沈黙を守っていた。
 協力ではなく競争らしい。集められた貝殻が三つの小山をつくっている。見たところ、ルルアンタの山が一番高いようだった。

「そろそろ船が来るころだ」

 だから終わりにしろ、という前に、三人が振り返った。
 はーいと元気な返事をしたのは、ルルアンタとルシカだった。
 セラの本意ではなかったが、どうも結果として子守をしている気分になる。
 ルルアンタが何か言っている。ルシカも応じて、貝の山をさんざん眺めた挙げ句、何個かを手に取ると、海水で洗っていた。記念品にするらしい。フェティはぷいと顔を背けていたが、そのあとに続いて、やっぱり貝を一個洗って、荷物袋に入れていた。

 波打ち際で無邪気に笑っているルシカと、それを眺めていたセラの目があった。
 ルシカが笑顔を浮かべ、裸足のまま軽やかに跳ねた。小波で洗った足に砂が着かないよう、濡れた足跡を点々と残しながら、乾いた木材や岩の上を小猿のようにうまく伝いながら向かってくる。
 セラの居る岩場までくると得意そうに言った。

「はい、セラ。綺麗でしょ。一個あげる」
 そういって手のひらにのせた貝殻を見せる。
「そんなものいらん」
「言うと思った」

 その場に座り込むと、脱ぎ捨てていたブーツに素足を通す。
 海風が吹き抜け、セラの髪を吹きなぜていった。
 傍らを見下ろすと、同じように青い髪がゆるやかに軽く踊っていた。

 ――海の色の長い髪だから――。

「昔は髪が長かったそうだな」
 ルシカが瞬きして、セラを見上げた。
「俺と同じくらいだったとロイが言っていた。想像もつかんが」
「そんなこと言ってたんだ」
 ルシカの目が海の向こうに向けられた。
「お前、誕生日にロイから貝細工の髪飾りをもらっただろう。それを買ったとき、奴が言っていた」

 記憶のままに口にしたが、ルシカの顔つきが少し硬いものになった。
 ブーツを掃き終えたルシカは、やおら立ち上がると、息を吸い込み、勢いよく肩を引いて、セラに見せた貝殻を空高く放り投げた。

「髪を切ったのはね。お兄ちゃんが修行の旅に出てすぐ。あの髪留め、あたしは一度も使わなかったんだ」

 白く光りながら飛んでいった貝殻が、見事な線を描いて、波打ち際に落ちる。
 ルシカは、海の向こうに目をやったまま、少年のような真っ直ぐな口調で告げた。

「時々思ったよ。もしあたしが男だったら、もう少し違っていたんだろうって」



* * *



「剣士なのか? お前の妹も」
「そんなに大層なものではない。私の一族は村を守護することを生業としている。剣は扱えるにこしたことはない……いざというとき、身を守る役には立つかもしれないからな」

 酒に口を付けながら、ロイはあっさりと告げた。
 いい買い物をしたと上機嫌で、いつもよりも酒の回りが早いように思えた。
 頬に刻まれた微苦笑が、ロイの妹は剣の腕はまだ未熟なのだとセラに教えた。言葉の端から、剣を教えたのは、戦士として鍛えるためというより護身の趣が強いこともしれた。

「なぜそんな必要がある? 小さな村なのだろう、お前の故郷とやらは」
「ひとたび争乱になれば、村の大きい小さいは関係ないだろう。運悪く巻き込まれることだってある」
「……それは、たしかにそうだが」
「今は、世界も落ち着いているようだがな」

 ぽつりともらした言葉に、セラは再びロイを見た。
 この男はどうにも分からなかった。自分と同様かつての戦乱で苦い記憶をもつのだろうかと考えたが、どこか感触が違った。
 小さな村で神官戦士を努めていると言った。それなりに歴史のある村らしく、昔ながらの風習が残るようで、旅に出たのは村の習わしだからなのだそうだ。
 それが嘘でないことは性格と態度が示していた。
 だが時々、実感ある危機感と得体のしれない経験を覗かせる。不信感を芽生えさせるものではなく、それも能力の一部だと認められるものではあったが、それだけに好奇心ではなく気になった。

 何度か共にクエストを重ねて、見える以上にロイが強いことを、セラは肌で感じていた。手合わせをしてみれば正確な力量が測れるかもしれなかったが、正面から申し出たところで、笑ってはぐらかすような男だ。
 ロイはそういう部分が多かった。
 手を抜いているわけではないが、必要以上のことはしない。見せて出すものは嘘ではないが、全部を見せるわけではない。

 ロイの妹は、話を聞く限りは、明るくて邪気のない――目の前の男と似た部分をもつ少女らしい。
 だがその言葉をそのまま信じてよいものかどうか、セラには判断できなかった。
 ロイの言葉だ。嘘ではないが、全部でもないだろうし、ロイと似ている妹なら、兄と同じように表向き素直だが、やはり内側にそれだけでもない部分を持っているのかもしれない。

 どうしてそんなことを考えたのか分からない。
 ただ、自分にも姉がいた。だから余計に思うのかもしれなかった。
 兄にも見せない秘密を抱えていることだって、あるかもしれないと。



* * *



「村の人たちはみんな優しかった。父も兄もあたしも、守護者の一族だからと敬って慕ってくれてた」

 海の香りがそう思わせるのかもしれないが、ルシカの言葉には懐かしさよりも、苦さに似たものが滲んでいた。あるいは悔しさか。
 焼かれた村の印象が強くて聞き流していたが、あの小さな村でルシカが様付けで呼ばれていたことを思い出した。ルシカをよく知らなかった頃だから違和感も感じなかったが、もし今そんな呼び方を聞こうものなら、セラは顔をしかめただろう。
 ――ずいぶん似合わん呼ばれ方をされているな。
 冒険者として呼び捨てにされることを、もう当たり前に聞いている。
 尊称は、この娘には似合わない。

「お父さんは大神官だから当然なのかも知れないし、お兄ちゃんは強くて優しくて何でも出来たから、みんなに頼りにされてた。あたしの場合は頼りにされてたんじゃない。妹で女だから『可愛がって』くれていただけ」
「贅沢な悩みだ」
「そうだよ。だから文句なんて言えないよ」

 さらりと返してセラに向けたルシカの目は、挑むような鋭さを持っていた。
 この娘のこの目をロイは知らないのだろうなと、半ば確信に近い思いで、セラは感じた。

「でも分からなくなるよ。肝心なことは知らされずに、ただ血筋だけで敬われて、でもあたしは兄にはなれない。お父さんも、お兄ちゃんばかり頼りにしてた。お兄ちゃんが早く戻ってきてくれるといいって、毎日言ってたわ」

 叫び出すかと思ったが、口調は海よりも静かだった。ただ響きだけが遠かった。
 言葉がとぎれれば、潮の音だけがざらざらと洗うように響いた。

「心がけは立派だが、髪を切ったくらいで、何が変わるわけでもなかろう」
「周りが変わってくれることを期待したんじゃない。あたしがそうしたかったからだよ」
 遠回しな意思表示なら、求めているものは同じだ。
 口にはしなかった。その前にルシカが言ったからだ。

「あたしが自分でそうしたかったことだけど……結局あたしは何も変われなかった」

 言葉をかけるよりも先に、ルルアンタの呼びかけに応じて、ルシカが駆けだした。
 呆れたことに――あるいは感服するべきかもしれないことに――もういつもの笑顔に戻っていた。
「早くしなさいよー!」
 フェティの声は、ルシカに向けたものではなく、遠い水平線に映りだした船影に向けたものだった。
 徐々に近づいてくる船に、セラも船着き場の方へと足を進める。
 途中で、さっきルシカが投げた貝殻を拾うと、無造作に海に向かって放り投げた。



 髪を切った妹に、兄から届いた髪留めは、何を感じさせただろうか。
 無言で求められていたからその姿に甘んじるのか、そういう姿を示していたから、側に居る者は錯覚を起こしてしまうのか。
 ロイが思っていたよりも、たぶんルシカの成長の方が早かったのだろう。
 だが、離れていれば、互いにそれが見えない。
 仲の良い兄妹だと思った。それは本当のことだし、嘘じゃない。
 しかし大切に思っていることと――そこに満足していることは、少し違うのだ。

 ちりちりと何かが胸でさざめいたが、セラはそれを無視した。
 誕生日が来れば、一つ年を取る。
 その一年一年の刻みは着実で、思いもかけず大きい。自分にも相手にも、お互いに。

2007-08-03