若さと勢い
白い手が握っているカップの中身は、蜂蜜とお湯で割った酒だ。
暖炉の火を青い瞳に映して、ルシカがぼそっと呟いた。
「……お兄ちゃん、とられちゃった……」
「人聞きの悪いこと言うな!」
――とられたのは姉さんだ。
もちろん言葉に出しはしなかった。だが、ルシカは耳ではないところで、その声を聞いたらしい。
「セラだって同じ事思ってるくせに」
生意気にもそう答えて、ルシカはセラから外した視線を廊下の先へ向けた。
先ほどロイは、照れくさそうに二人に告げた。
『じゃあ私たちは先に休んでいるから』
そう言ってシェスターの背に手を回せば、シェスターも慣れた様子で椅子から立ち上がり、はにかんだ笑みを浮かべて『あなた達は、ゆっくりしてくれていいのよ』と残して去っていった。
復興途中のミイスの村は閑散としているが、廃村となっていた頃と比べれば、だいぶ集落らしさを取り戻してきている。
復興作業の先頭に立つロイが、疲れているであろうことは想像できる。早々と就寝というのも分からなくはない。
だが、二人の目に映ったロイは、疲れているようには――見えなかった。
ロイがシェスターの背に手を回したとき、ルシカには兄の頭に花が咲いているのが見え、セラにはロイに獣の耳としっぽがついているのが見えた。
まあ、夫婦なのだ。
シェスターの方もまんざらではなさそうだし、別に誰に迷惑をかけているわけでもない。ぴったりと寄り添ったロイとシェスターの背を、どうしようもない気持ちで、ルシカとセラは見送ることしかできなかった。
ぱたんと突き当たりの部屋のドアが閉じる音が、夜の中に響いて、それっきりだ。
「……里帰りなんかしなきゃ良かった。歓迎されてない」
「貴様が言い出したことだろう」
「だってセラが、お姉さんに会いたがってたから」
「ふざけるな」
「道で黒髪の女の人とすれ違うと、ちょっとだけセラ、眉が動くんだよ。で次の瞬間、『違った。姉さんはもっと美人だ』って顔に出るの。エンシャントだと特に」
「知らん」
実は思い当たる節があったりする。復興途中のミイスは物資も大量に不足している。ロイとシェスターは、エンシャントにまで足を伸ばして、色々買い出しにくるらしい。
ということを、エンシャントに居ると、つい思い出してしまう。
だが、認める必要などないことだ。セラが睨むと、ルシカはつまらなさそうに、手の中のカップを弄びながら、唇を尖らせた。
その顔が、暖炉の火のせいだけではなく、うっすらと上気している。とくに頬骨のあたりが、赤く色づいている。
よくよく見ると、目つきもなんだか少し怪しい。
「……お前、酔ってるだろう?」
「酔ってるよ!」
むくれてルシカが言い返した。
「セラのお姉さんのせいだよ。お兄ちゃんが昔と違って色々おかしい!」
そんなことこっちが言いたい。きっかけは姉かもしれないが、多分素養は昔からだ。
不機嫌になってきたセラが、もう寝る、と言いかけて隣を見ると、ルシカがこちらを向いて、目を閉じていた。
寝てるのかと一瞬思ったが、にやけるのを必死にこらえた澄ました顔で、ほんのすこし顔を上向け、心持ち唇を突き出した表情は――何かを待っている顔だ。
「……何のつもりだ」
「お兄ちゃんの代わりにー」
寝る前のキス。
あきらかに酔っぱらった上での悪ふざけだ。そんなこと承知している。
だが、セラは虫の居所の悪かった。むしゃくしゃするというか、腹立たしいというか、その一方で、いい加減大人になれと自分に言い聞かせる冷静な声もあったりして、面倒なことは考えたくない心境だった。
面倒は考えたくなかったので。
目の前のルシカの顎をひょいと指先でつまむと、無造作に唇を寄せてやった。
――たまにはセラが、ルシカの小賢しさの上を行くこともあるのだ。
・
・
・
「寝る前の挨拶代わりの、軽い物で良かったのに」
どこか悶々と、それでいて興奮さめやらぬ早口でルシカがうめく。
深さなど求めてなかった。
ましてやそれ以上など――頼んだ覚えもなかった。
あまりの恥ずかしさに、昨夜のあれこれを反芻することもできない。ルシカにしてみれば冗談のつもりだったが、全然期待していなかったといえば嘘になる。
しかし期待が10倍になってかえってきたら、それはもう期待していたものとは別物なのだ。
失念していた。時々セラは冗談と常識が通じなくなる人物だということを。
火照った耳元に手を当てて、腹立ち紛れに叫ぶ。
「信じられない、セラのバカ!」
……お前、自分から誘っておいて、それはないだろう。
思わず言い返したくなったが、さすがに気が引けて、セラはルシカの非難を受け流した。セラから言わせれば、強要した覚えなど一かけらもない。だいたい嫌だったら、もっと本気で抵抗されている。
卑怯なのはどっちだ。
そう思ったが、いつになく悶々としているルシカに、『羞じらい』という遠くに置き忘れていた言葉を見つけ――。
勝ち誇ったように、フッ、とセラは鼻で笑った。
「!!!!」
その笑みをめざとく見つけたルシカが、ぎっ、とセラを睨む。
「セラって普段は寄るな・触るな・近づくななのに! 場所が変わると意外としつこいというか粘着……」
「黙れ」
感想は。
嬉しいじゃなくて、悔しい、だったようだ。
- もしもあなたが記憶喪失だったら
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- 五色の短冊