素朴な味 

 ノーブルの宿はもう馴染みになっていた。
 何せ、宿はここ一軒しかないのだ。村全体に漂う、『よそ者不歓迎!』の雰囲気におされて、配達品を届けても、その日のうちに村を出てしまう冒険者も少なくない中で、村を訪れるたびに宿を利用しているルシカは、しっかりと顔を覚えられていた。

『通り名まで付いて、いつの間にいっちょまえになったんだな』
 宿の主人はそういって、夕食に大盤振る舞いをしてくれた。
 田舎ということもあって、部屋のしつらえは上等とは言い難いが、食事は下手な高級宿より遙かにうまい。だが、いくら料理自慢の宿といっても、活気があるという状態にはほど遠く、客は自分たちしかいなかった。
 貸し切り状態であればかえって気楽だと、部屋に戻り、思い思いにくつろいで寝支度に入っているパーティメンバーの顔を見渡して、ルシカが思い出したように告げた。

「そういえば、裏の麦畑に蜂が大量発生して困ってるんだって」

 ……それがどうした。
 セラは内心で切り返す。口に出さなかったのは、不本意ながらもルシカの相手には慣れてきたからだ。
 下手に何か言い返そうものなら、くるくる回る舌が動き出して、気づけば丸め込まれ、面倒事に巻き込まれているのだ。
 それが分かっているから、セラは黙々と自分の寝台を整える。
 荷物の中身を確かめて、枕元に置く。月光は手に届く位置に立てかけておく。シーツのシワを伸ばす。
 意外と几帳面だ、と言われているらしいが、セラからしてみれば、自分の身の回りは自分の手で整えておきたいだけだ。あくまでも自身の事柄に限った話だが。

 だが、セラほどこの少女の性格と言動を見切れていないエルフの娘は、無駄に高らかな声で、セラの言わなかった台詞を言った。

「それがどうしたって言うのよ。アタクシたちに何の関わりがあって?」
「麦は食べないけど、人を襲う蜂なんだって」
「こぉーれだから、田舎ってイヤなのよ! どこもかしこも野蛮で未開で騒々しくて呆れるわ。エルフの住む森には、そんなうるさい生き物は居なくってよ」
「ねえフェティ、一応聞くけど、この間ツィーネの森で遭遇した、巨大な羽根で飛びまわって太い針で襲いかかってきた、あの生き物は?」
「アタクシは見なかったわ」
「そんな調子だから、フェティって驚きが見つからないんだよ」

 正直なルシカの言葉を物ともせず、ごろりと寝台に寝転がると、フェティは耳と同様ツンと尖った鼻をあさっての方角に向けて笑った。

「くだらない、くだらない、くだらないわー! あんたの浅い考えなんて読めてよルシカ。どーせ、その蜂を退治しようとか何とか言い出すんでしょう。どうして高貴なエルフのアタクシが、見ず知らずの下等生物のために、蜂を追い払うようなマネをしなければならないのよ」
「うん、わかってるって。だからね。『あたしが』行ってくるよ」

 予想を外されてフェティは微かにひるんだが、虚勢を張るように、腕を頭の後ろに組み、横目だけでじろりとルシカを眺める。
 寝台に腰掛けたまま、ルシカが説明した。

「どうもその蜂って、タイガーワスプみたいなんだよね。それくらいなら、あたし一人でも何とかなると思うから、明日の朝、ちょっと行って退治してくるね」
 改良したばかりの愛剣を手にとり、ルシカが告げる。
 馬鹿じゃないの、とフェティが呟いた。だが、ルシカと同じように寝台に腰掛けて話を聞いていたナッジは、おずおずと名乗りを上げた。
「あの、ルシカ、僕も手伝うよ」
 ぱっと瞳を輝かせて、ルシカがナッジに笑いかけた。
「ありがとうナッジ、すごく助かる」

 ――セラのルシカに対する評価は、『黙っていれば美少女で通してやってもいい』だった。
 本人に自覚があるかどうかは不明だが、顔と愛想だけは、無駄に良いのだ。
 だが、今のルシカの極上の笑みと無邪気な口調は、明らかに、わざとらしさが漂っていた。
 表向き無表情を保ちながら、セラは横目でルシカの様子をうかがい続けていた。
 嫌な予感は少しずつ強くなっている。

 ナッジは何も気付かぬまま、ルシカの笑顔に、興奮した口調で応じた。
「僕がんばるよ! タイガーワスプだけじゃなくて、クイーンワスプも一緒に来るかもしれないし、空を飛ぶ相手なら槍が役に立てるかもしれないしね」
「うん。頼りにしてるね」
 ナッジがぐっと拳を握り固めた。
 ルシカは、そんなナッジからフェティへと視線を移して告げた。
「ナッジも一緒に来てくれるって言うし、だからフェティは、ここで待っててよ」
 ね、とナッジに向かって頷いて、さらりと続けた。
「フェティの魔法がなくても、あたしたちだけで平気だよね?」

 途端に、がばりとフェティが起きあがった。
 向かいの寝台に座っているルシカに、指先を突きつけて叫んだ。

「ちょっとお待ちなさいっ! さっきから聞いていれば、このアタクシを抜いて話を進めるなんて、どういう了見をしているの? あとでアタクシの実力を思い出して、後悔するわよ!」
「……でも魔法なら、あたしも使えるし……」
「下等生物ごときの魔法と、高貴なエルフの魔法を一緒にするんじゃなくってよ。効果も威力も迫力も一段も二段も違うのよ」
「確かにフェティが来てくれたら、楽だろうとは思うけど……でも、いいよ、わざわざ来なくても」
「うるさいわね、せっかくこのアタクシが、力を貸してあげるって言ってるのよ。これだから礼儀知らずはイヤなのよ!」
「本当に、良いの?」
「ごちゃごちゃうるさいわね。あんたはアタクシの言うことを聞けばいいの! わかっていて!?」
「わかったよ、じゃよろしく頼むね」

 青い目には、素直な返事とはひと味違うものが、一緒に光っていた。
 呆れているセラに、その青い目を向けて、ルシカが問いかけてくる。

「こういうことになったけど、セラはどうする?」

 ……俺は知らん、勝手にしろ。
 付き合いきれない。そう切り捨てて、セラは放っておこうと思ったが、ふと部屋の中の顔ぶれを見た。

 好奇心が発達していて、外に出れば何かしら面倒を持ち帰ってくる子供。
 お人好しで正義感は強いが、どこか空回りするコーンス。
 世間知らずで高慢で自信過剰なエルフ。

『ねえセラ、ねえセラ! 麦畑の蜂は何とかなったけど、蜂の群れって、いつも南の方から湧いてくるんだって。あっちには未開の森があって、多分そこに蜂の巣があるんじゃないかと思うの。それでね……』
『困っている人がいたら、助けないと。ガルドランみたいな冒険者ばかりじゃないってことを、もっとたくさんの人に知ってもらわなきゃ』
『当然といえば当然だけど、アタクシの実力をもってすれば、こんな仕事は楽に片づくに決まってるのよ。さすが田舎の村ね、こんな事でありがたがるなんてレベルが低いわ』

 放っておけば、明日の今頃には、小さな村の中で片づく出来事が三倍の大仕事になってかえってくるのだ。
 仕方なく低い声でセラは答えた。

「…………。いいだろう。俺も行く」
「あら、アタクシがいるのよ。あんたの力なんか必要なくってよ」
「仲間なんだし、みんなで力を合わせれば、きっと早く片づくよ」

 続いたフェティとナッジの台詞を無視して、セラがルシカを睨む。
 ルシカは知らん顔で、ころりとベットに横になると毛布を被ってしまった。

 翌朝、ルシカが皆を連れて向かったのは、宿の裏手に広がる麦畑――ではなくて、未開の森ほど遠くはないが、その手前に広がる小さな森の中にある蜂の巣だった。



* * *



 村を貫く短い通りの先には、石造りの小さな円形の広場がある。
 半ば崩れかけた石柱で囲われた広場は、たまに親子連れやリルビーが通り過ぎる程度で、人影はまばらだった。
 倒れた石柱の残骸に腰をかけ、セラは何をするでもなく、過ぎゆく雲を見送っていた。時折吹く風が、そっと彼の黒髪をなびかせて、吹き抜けていく。
 悠々と白い雲が青空を渡っていく。住人が少ないせいもあるが、広大な麦畑を有するこの村は、視界を遮る建物が少ない。視界の先には、ゆるく金色の波が続いている。日の光を受けて、穏やかに広がる麦畑。

 ……くだらんことで時間を潰しているな。

 蜂退治に付き合ったせいで、結局もう一日この村に滞在することになった。だからといって、することも、出来ることもほとんどない。
 ノーブルは鄙びた村だ。村自体に、冒険者の気を引くような、目立つ特色はない。近くには古代遺跡が数多くあり、この広場もその名残であるらしいが、セラはあまり興味がなかった。
 かつての相棒は、学識にも富んでいて、こういった遺跡探索にも興味を示していたが。
 思えば、腰に下げている月光も、そんな親友に付き合って向かった遺跡の奥で見つけたものだった。

「あ、セラ、発見!」
 その親友の妹が声をかけてきた。
 振り返って一瞬眉をしかめたのは、相手が麻袋を両手で抱えて顔がよく見えなかったからだ。
 袋の脇からひょいと顔をのぞかせて、ルシカが言った。
「これ、お礼だって」
「…………。それが報酬とでもいうつもりか?」
「報酬も何もギルドを介して受けた仕事じゃないもの。ただのお手伝いだったじゃない、だからこれは好意だよ」
 袋の中に手を入れ、中のものをセラに手渡した。
 パリパリに焼き上がった皮の感触と、香ばしい香りが食欲をそそる。焼きたての大きな麦パンだった。
 うさんくさげな眼差しを向けるセラに説明するように、ルシカは得意げに言った。
「ノーブルの麦パンって貴重なんだよ! 美味しいって評判だけど、ほとんど村人しか食べることができないんだから」
 あとでエステルに自慢しよう、と一緒にいるときは美味食べ歩き、離れているときは地方名産食情報交換をしている仲間の名を出して、ルシカが笑った。
 ――脳天気なその姿は、思いの外、セラを苛立たせた。

「調子に乗るのも、いい加減にしろ」
 ルシカが瞬きした。驚いた顔の娘に、セラが冷たく続けた。
「通り名がついて、あちこちの宿でちやほやされるようになったからといって、いい気になるな。だいたいお前は、いつも余計な事ばかりしている。名を売るのも結構だが、くだらん頼み事など引き受けている場合か?」

 セラの厳しい言葉に、ルシカは真面目な顔つきで、何かを測るように目を細めた。
 それから何を思ったか、妙に場違いな台詞を吐いた。

「……もしかして、セラ、あたしのこと、心配してくれてる?」
「貴様の耳は飾り物か」
「あたし、耳も目も、自信あるけど?」

 舌打ちして、セラは髪をかき上げた。話にならない。なるほど、計算尽くなら調子に乗っているのとは違うのかもしれない。
 肝心なことは笑ってはぐらかす。つかみ所のないところは兄そっくりだ。
 怒りか諦めか、吐き出されたセラのため息を打ち消すように、ルシカが言った。

「ギルドには、あたしやセラが欲しがるような情報は、なかったよ」
 怪訝そうなセラに向かって、ルシカは淡々と続けた。
「喋るゴブリンを見たという情報もない。古の怪物に襲われたという話もない。新しい戦闘用モンスターが開発されたなんて噂もなければ、どこかの村が焼き払われたという話も、聞かない」
 息を整えるように、ルシカはかるく口をつぐんでから言った。
「平和なのは……良いこと、でしょう?」

 穏やかな口調だったが、閉じた唇の端が、少しだけ笑みとは違う形を浮かべていた。
 不幸や悲報を望んでいるわけでは決してない。だが、はやる気持ちが、それらの情報を求めさせてしまうことはある。
 ――聞きたくはないが知りたい。その出来事の犯人の、行方。
 押し黙ってしまったセラを、ルシカが見つめる。

「……フン。本当にお前は、くだらないことばかりしている」

 セラは不機嫌そうに言ってパンを一口囓ったが、驚いたように手を止めた。
 今朝宿で出されたパンと見た目が同じだったから、中身も当然同じものだと思いこんでいたが。
 思った通りのセラの反応に満足したのか、ルシカが言った。

「ね! 美味しいでしょ。あ、セラ、フェティ見なかった? せっかくだから焼きたてを届けたいし。ナッジにはさっき渡したんだけど。届けたら、あたしも落ち着いて食べられるし!」
「あの味の分からんエルフに、これは勿体ないだろう」

 あれは味が分からないのではなく、一言何か言わないと気が済まないのだろうが。
『何よこの芋ばっかりのスープ!』『サラダ、豆しか入ってないじゃない!』
 朝食に文句を付けていたフェティの姿を思い出したらしく、ルシカも苦笑した。

「あー、でもパンは気に入ったみたいだったよ。添えられてたオレンジのジャムが気に入ったのかもしれないけど」
 ルシカの言葉に、セラはもう一度ため息をつく。
 ……本当に、この娘は色々見ていて、気ばかり回る。
「畑の方かな。行ってみよう」

 そういってルシカは袋を抱えて、今度は遺跡の反対側の麦畑の方へと歩いていく。
 その後ろ姿を見送って、セラは囓ったパンを見た。
 中身が白と黄色のまだら模様になっている。名物らしく工夫を凝らしてみたのか、働いてくれたルシカへの感謝の気持ちだったのか、ルシカが自分で注文を付けてみたのか。
 中にオレンジの皮を薄く削いだものが練り込んであるらしく、囓れば、麦の素朴さと、爽やかな風味が口の中に広がった。
 当たり前のような、それでいて小さな刺激をもつような、不思議な味わいで。

2007-11-10

冒険時の日常風景。フェティ様もっと書きたいです。