剣の主
「お兄ちゃん。この短剣あたしに譲ってくれない?」
机に置いておいた聖剣日光を目にした妹の言葉に、ロイは珍しいなと苦笑する。
正直な妹なので、思ったことは割と素直に口にする。頼み事をされることも多かったが、それはこれを教えて、あれをやってと、主に知識や行動面でのことだった。物欲があまりないのかもしれないが、物をねだられることは滅多になかった。どうやらこの短剣は妹の気に召したらしい。
「珍しいな。気に入ったのかい?」
「綺麗だし。あと短剣だから、軽くて使いやすそうだし。その短剣の方が、あたしの長剣より強そうだもの。お兄ちゃんの方が強い武器を使うなんてずるいよ」
「ルシカ。武器を変えても腕は良くならないよ。まずはその剣を使いこなせるようになりなさい」
諭すようなロイの言葉に、わずかにむくれて言い訳をするようにルシカが呟いた。
「別に強そうだから欲しい訳じゃないんだけど。お兄ちゃんが旅先で見つけた剣なんでしょ? 今じゃなくてもいいから、いつかあたしに渡してくれたらいいなって」
――自分がいつか、旅に出る時に。
言われなかった言葉を聞き取った気がしたが、ロイはあえて穏やかに笑って答えた。
「駄目だよ。これは私だけのものではないから」
「? お兄ちゃんの剣じゃないの?」
「片割れなんだ。もう一本、対となる剣がある」
* * *
ふわふわと周囲を飛び回っていたウィル・オ・ウィスプが、青白く輝く刃によって両断される。影は呻くように一度大きく震えて、そのまま実体を失い、かき消えた。
セラは特に表情を変えず、剣を一振りして汚れを払うとそのまま鞘へと戻した。キンと澄んだ氷を思わせる音を立て、精神を斬るという月光の刃が鞘の中に収まる。
セラと同じように武器をしまっていたルシカはその音に顔を上げると、セラの腰に下げられた剣に目を据えた。
「そういえば月光って、お兄ちゃんの聖剣日光と対の武器なんだよね」
「それがどうした」
探るようなルシカの視線から、愛剣を隠すように、セラはぷいっと身体をひねった。
とたんにミイスの妹は、いつもの口調でうるさく吠えた。
「セラのケチ! 眺めてたって減らないでしょ!」
「お前の今の視線は鬱陶しい」
ルシカは口を尖らせてセラをにらんだが、やや口調を改めて続けた。
「日光と似てないね。対っていうから月光も日光みたいな短剣だと思ってた」
「俺のこの剣は闇の属性の武器だ。ロイの日光とは正反対の品だからな」
セラの言葉にルシカが瞬きをする。セラも答えながら、記憶を呼び戻す。
ロイと二人で、この剣を見つけたときのことを思い出した。
かつてノトゥーン神施文院派の神殿だったという遺跡。
もうほとんど知る者のいない遺跡だった。セラとロイがこの遺跡を見つけ、その奥にまで踏み込めたのは、いくつかの偶然が重なったからに過ぎない。
ロイがミイスという特殊な環境の育ちで施文院派の知識を持っていたこと。遺跡内には魔物が徘徊しており、場所の探索にはそれなりの腕が必要であること。この遺跡には所々仕掛けが施されていおり、その仕掛けの多くは多人数での同時操作――最低でも、二人以上の人間を必要とするものであったこと。神殿内は術封じが施されているようで、武器や道具のみの戦闘を強いられ、探索者を選ぶことなど。
そんな様々な条件を満たし、ようやくたどり着いた遺跡の最奥部には、今にも蔦に飲み込まれてしまいそうな古びた台座があった。
そこには二本の剣が並べて置かれていた。
外観的には全く異なる剣。だが明らかに対として作られたものだと、一目で分かる二振りの剣だった。元は祭祀のために作られた品らしく、不思議な呪力も宿しているという。
聖剣・日光の方は、その名にふさわしく昼の明るさを。
妖刀・月光の方は、その名に似合うような夜の深遠さを。
時の流れの昼と夜、それぞれ象ったもの。
片方が西に沈もうとするそのときには相手を呼ぶ。この二本の剣は二つで一つ。離れていても、互いの存在を関知しあうのだ。
セラが淡々とそういった趣旨のことを告げると、ルシカも納得した様子だったが、それから小首をかしげた。
「対の剣を二人で発見したのは分かったけど、どうしてお兄ちゃんが日光を、セラは月光を選んだの?」
セラは目を上げる。さらさらと軽く揺れる青い髪と青い瞳、今となっては隣にいることに見慣れた少女の姿がそこにある。
――よく晴れた、青空のような娘。
なぜか可笑しくなった。
神なぞ信じてはいないが、この剣を見つけたことを、神のはからいと表現したロイの言葉は、わかるような気がした。
* * *
台座に置かれた古びた櫃の中には、二本の剣が納められていた。
やや大振りで直線的な形状をした肉厚の刃を持つ短剣と、どちらかといえば細身で柄も刃も緩やかな曲線を描いている長剣。短剣の柄には太陽の意匠が刻まれており、長剣の柄は月の弧を描いていた。
「さて。どちらがどちらをとる?」
様相の異なる、だがそれぞれ独特の美しさを秘めた剣を前に、ロイが尋ねてきた。
神殿のおそらくは祭具であったであろう品だ。持ち去っても平気なのかとセラが問うと、ロイはここで私たちがこれを見つけることができたことが縁だろう、と答えた。
二人で来なければ開かぬ仕掛けがあり、そこにたまたま旅を共にすることとなった自分たちがたどり着いた。おそらくノトゥーン神のはからいだろう、と。
「それに傲慢な考えかもしれないが、これだけ由緒ある武器ならば、できれば信の置ける人物の手にゆだねたい。使い方によっては、危険な品ともなるようだ。月光の方は……妖刀…精神を…斬る…とある」
剣の納められていた櫃の蓋に記されていた神聖語の単語を、一つ一つ訳しながらロイが告げる。
同じように聖剣日光について記された部分も解読しようとしたが、剣を台座に納めるときに灯火の粉でも落ちたのか、文章の後半部分が黒く焼け焦げ、判別不能となっていた。ロイは身を起こし、、セラに向き直った。
「セラ。お前はどちらが欲しい?」
「俺はどちらでも良い。もともとこの遺跡に関心があったのはお前だ。お前が好きな方をとればいい」
「だからだよ。ここまで付き合ってもらった御礼だ」
ロイの言葉に、わずかにセラは迷った。だが優美ながらどこか冷たく蒼白い輝きを放っている長剣と、明快な形状でほのかな白い光を宿している短剣を見比べ、そのまま視線をずらして隣に立っている白い鎧姿のロイを見たら、あっさり決まった。
「俺は月光をもらう。お前が日光をとれ」
「いいのか? そちらは精神を斬る武器――『妖刀』と書かれている剣だぞ」
「構わん。それくらいの剣の方が使い慣らす甲斐もある。俺には長剣の方が性に合う」
「そうか」
セラの自信に満ちた言葉につられるように笑みを浮かべ、では私はこちらの聖剣をいただこうとロイは手を伸ばし日光を手にした。
感触を確かめるように、軽く握りしめ、宙に文字を書くように、軽く二、三度、降ってみせた。太陽の意匠で飾られた刃が暖かな金の軌跡を描く。ロイは賛嘆を込めた声で手元の剣を見つめた。
「素晴らしい品だな」
「ロイ、お前、短剣の心得もあるのか?」
何でもできる男だなと半ば呆れてセラが尋ねると、ロイは困ったように肩をすくめた。
「妹の相手をするときに、短剣を使うこともあるんだ」
「何故だ?」
「…………手加減をするため、かな? 同じ剣を使うと、どうしても私の方が経験上有利だからな」
「馬鹿か貴様。そんなこと何の意味もないだろう。獲物の長さの差では長剣の方に利があるだろうが、懐に入り込まれてしまえば逆になる」
「まあ、それもそうなんだが。どう説明すれば良いのかな。色々な武器を知っておくのも悪くはないだろう?
できるだけ一つではない状況に対応できるようにさせたいんだ。施文院系列の暗殺者たちのように、短剣を得手とする者も多いから」
ロイが一瞬わからない程度に顔をしかめたのを、セラは見逃さなかった。
相手のわずかな隙や気配の変化を見て取れぬようでは剣士としては失格だ。そういう意味では、セラは人並みかそれ以上の観察力は持ち合わせていた。
ロイは一見人なつこい、開けっぴろげな人物に見えるが、その一方で秘密めいた部分、自身に関する情報を小出しにしたり、ぼかして語るところがあった。セラ自身も決して饒舌な方ではないから感じるのかもしれないが、相手が本当に信頼できるかどうか、測られているように感じられることがあった。
その理由が判明したのはロイから、実は自分は闇の神器を守護する一族の長に連なる者であり、結界に守られた隠れ里を故郷としているのだとどこか浮世離れした話を聞いてのことだ。
だからお前は世間慣れしてないのか。そう納得できるようでもあるし、セラには想像もつかない、半信半疑というよりは自分とは全く異なる世界のことだととらえて、ロイが自ら話した以上のことには、セラは踏み込みも詮索もせずにいた。
だが、ふと今の会話から、自分が思ってた以上に世俗的な話なのではないか、という気もした。
世の中には精霊や魔法の力を秘めた道具や武器が多く存在する。かつて神が使った名品だとまことしやかに囁かれる逸品もあれば、どこかの魔道士が手慰みに造った手頃な魔法の指輪や水晶玉などが転がっている。
もしこの世に真なる力を秘めた強力な魔道具が存在するのだとすれば――それを狙うのは神や魔人といった存在よりも、むしろ盗賊や野心を抱く無頼、権力者といった者なのではないだろうか。
「お前の村の神器とやらを狙うのは、魔人だけとは限らん。そういうことか」
「まあ、そうだ。そういうこともある」
ロイはそれ以上語らなかったが、セラには想像がついた。ロイの言わなかった言葉の先にあったであろう出来事に推測がついた。
おそらく、その突然の人災の犠牲になったのは、目の前のこの男の方ではなく、その男が心を砕く相手の方だったのだろう。
ロイは何を語るでもなく手にした短剣を見つめていた。どこか湿っぽい沈黙を払うように、セラは乾いた口調で素っ気なく言った。
「不測の事態を考えておくのは大切だが、ずいぶん迂遠な方法だな。遠回しな備えよりも、もっと簡単な方法がいくらでもあるだろう。俺ならば守るための備えより、自分の力で相手を退け、守り通すことを考える。誰かを地道に鍛えるより、そちらの方がよほど手っ取り早い」
守りたいと思っている存在は、セラにもいる。 いつも自分の背中に隠れていた、大人しく理知的な、夜陰を思わせる横顔の白さ。
明朗さと暖かな輝き、白日の陽の光を思わせる聖剣日光は、ロイに似合いの武器だと思う。同様に、妖刀月光の氷を思わせるような冷たく密やかな輝きは、自分の性に合うだろう。だが、どちらかといえば細身の使い手を選ばない女性的な剣である月光は、セラ自身よりセラとよく似た半身の方に――似ている気がする。
だからこそ、この剣は自分にはふさわしい。
セラのきっぱりとした口調と真っ直ぐな態度の裏を読んだのかどうか定かではないが、ロイが苦笑めいた笑みを頬に刻んで言った。
「そう言い切られると返す言葉に困るが。お前らしいな」
だが言いたいことは伝わったのか、今度は誓いを込めるように、ロイは手元の剣を見つめていた。
その視線の先にあるのは、剣そのものではなく、この剣を捧げる相手の姿のはずだった。
*
『俺ならば守るための備えより、自分の力で相手を退け、守り通すことを考える。誰かを地道に鍛えるより、そちらの方がよほど手っ取り早い』
あのときは、そんなことを考えていたはずだ。
いや、今だってそう思っているはずなのだが。確かに生きていく上で不測の事態は数多い。その時々によってとる方法も考えも変わって当然だろう。
「セラ、何か思い出してるでしょ? なんとなく目が遠いよ。やっぱり、セラが月光で、お兄ちゃんが日光なのは理由があったんでしょ」
ルシカの声が耳に届く。セラはルシカに目を戻した。
さらりと当たり前の口調でルシカに告げる。
「それは俺ではなく、ロイに聞くんだな」
ルシカが虚をつかれたように目を見開いた。
セラは真面目な口調で、もう一度返した。
「ロイを見つけたとき、奴に聞けばいい」
――探している相手が見つかった、そのときに。
ロイが何を思っていたのか。隣にいた頃より、今の方がセラには分かる気がする。それはミイスの里の妹の方にも会い、その人となりを知ったからだろう。
ルシカは騒ぐのをやめて笑顔を浮かべた。それから穏やかな声音で短く答えた。
「わかった。そうする」
2011-12-29