目薬 

 道具屋の陳列棚には、所狭しと様々な品物が並べられている。
 いつも使っているなじみのある品、まだ使ったことはない高価な傷薬、一見しただけでは何に使うのかも分からない古ぼけた小道具などが並ぶ中、手早く必要な物を必要な数だけとって、セラがカウンターに運ぶ。
 だがルシカは棚の前に立ったまま、あれこれ目移りしながら、珍しげな品の数々を見つめていた。
 こうしていろんなものを見ていると、どれもこれも必要なものに思えて欲しくなってくる。

「ねえ、セラ、『心の水』があると便利だと思うんだけど!」
「この間宝箱で手に入れたからいいだろう」
「余分にあってもいいものじゃない。精神力を使い果たすと気絶しちゃうんだよ」
「気絶したら置いていく。そうならないように、剣の腕を磨いておけ」

 振り返りもせずに、セラが答える。所持金の管理はすべてセラがしている。その流れで道具の買い足しも全部セラが行っていた。そしてセラは、余分な物は買わない主義だった。
 その背中に軽くしかめっ面をおくって、ルシカは名残惜しそうに棚を見た。一番手前の小さな品に目がとまった。
 ――七色のなんこう。
 そういえば、前から疑問に思っていたことがあったのだ。

「あのさ、七色のなんこうの使い方って……」
「塗るに決まっているだろう」

 買い物に集中しているセラはいつにもまして冷たい。ルシカはこっそりため息をつく。軟膏なのだから塗り薬だということは分かっている。
 ……もうちょっと、会話を発展させようよ。
 セラの素っ気ない反応には慣れている。嫌われているわけでも、悪気があってやっているのではないということも承知している。けれどそれでもやっぱり時々、セラのこういうところは、もうちょっと何とかならないのかなあと思ってしまう。
 せめてもう少し、愛想がよくて、会話を楽しむような人物だったら。

 セラは考えていることを、ほとんど言葉に出さない。何も言わないまま、自分の中の基準に基づいた行動で処理してしまうから、側にいる者にはセラが何を考 えているのかつかめなかったりする。そういうセラの態度は誤解を招きやすいし、対人関係において色々損することが多いんじゃないかと思うのだ。
 今でもセラがよく分からないと思うことは多い。

「目にも?」

 七色のなんこうを一つ手に取り、目の前にかざすようにして、ルシカが問いかける。
 セラが面倒くさそうにルシカの方を振り返った。
「暗闇状態にも効くんでしょ? 目に、塗るの?」
 そのとき奥から店の主人が出てきた。笑いながら教えてくれる。
「水に溶かすんだよ、お嬢ちゃん」
「……ああ。なるほど」
 水に溶かして目に流し込むということか。

 上からセラの手が伸びてきた。ルシカの手の中から、七色のなんこうをとって、そのままカウンターに乗せる。
「まいどどうも」
 主人に代金を支払うセラの横顔を見上げていると、お前の道具袋にも入れておけと、今買ったばかりの七色のなんこうを返された。



 ――水に溶かして使う。
 それがどういう感じなのか知ったのは、実際に盲目状態で七色のなんこうを使われたときだった。





 目の前には巨大蜘蛛――プレデターがいる。
 常にない緊張感を強いられたまま、ルシカは剣を構えなおした。
 森の間を抜ける街道で行く手を遮ったのは、二匹のプレデターだった。そのうち一匹はセラが相手をしているが、セラの様子をうかがう余裕は、今のルシカにはなかった。
 無造作に打ち下ろされてきた巨大蜘蛛の脚を、紙一重でよける。素早く、余裕をもって動いたつもりだったのに、身体が重たく感じられて、思い描いた動きにならないことに冷や汗をかいた。
 いつもなら簡単にかわせるはずの攻撃が、あやうく鼻先をかすめそうになる。急所をとらえたと思って突き出した剣が、狙った瞬間とはずれてしまう。
 戦闘開始直後、目の前の蜘蛛から吐き出された糸を、うっかり浴びてしまったのがいけなかった。すかさず身を離したが、身体に降りかかった糸は少量ながら、粘着をもって腕に脚にまとわりついて、ルシカの動きをさまたげる。
 今のルシカは攻撃を避けるだけで精一杯になってしまっていた。

 プレデターはちょこまかうるさく動き回る相手に焦れたらしい。
 大きく脚を振り上げた……と思ったとたん、ルシカの視界が黒く塗りつぶされた。ダストの術をかけられ、敵の姿をいきなり見失って思わずルシカがよろめく。
 そこへ、プレデターのねらい澄ました強烈な一打がやってきた。背中にまともにくらって、ルシカは地面に転がった。
 起きあがろうとしたが、真っ暗な視界に平衡感覚が大きく狂って、地面に膝をつく。そのままの状態で、今度は真横から蹴り飛ばされた。息がつまって、立ち上がれなくなる。
 やばい、と思ったところに、聞き覚えのある声が響いた。
「そのまま伏せてろ!」
 ぱっと身を平たくしたのは、半ば条件反射的なものだった。
 同時に風を感じた。魔物の悲鳴が上がり、背中に覆い被さっていた重い気配が消えた。セラが追撃をかけたのか、間髪を置かず、鈍くくぐもった肉を断つ音と、魔物の絶叫が空を裂いて響き、どさりと重たいものが地面に落ちる音が地面を通じて伝わってきた。
 あとはただ草が風に揺れてかすかにざわめく音と、遠くをさまよう獣の気配がわずかに感じられるだけになる。

「大丈夫か?」
「……うん。なんとか」

 ひとまず無事に戦闘が終わったことに一息ついて、ルシカは掌と膝を地面について、剣を杖がわりに立ち上がろうとした。だが暗闇状態、くわえてさっき蹴られた打撃が身体に残っているようで、足がもつれて、その場に座り込む。
「どうした?」
 セラの声の調子が少し変わる。それを頼りに、座り込んだままルシカは顔をあげた。方向はなんとなく分かるものの、どこにセラの顔があるかは分からない。
 ふとセラの気配が近くなった。さらりと頬をなでていった、くすぐったいような細い感触は多分セラの髪だろう。恐ろしいほど間近で、低い声が告げる。

「目つぶしか。まともにくらったようだな。……まったく、世話のかかる」

 声と同時に、セラの腕が膝の裏と背中に滑り込んできて、ひょいと抱き上げられた。真夏の雪のように、かけらも予測していなかった不意の事態に、頭の中が真っ白になる。
 思わず宙を泳ぐように手足をばたつかせたルシカに、セラの鋭い制止の声がかかった。

「動くな! 落とす! おとなしくつかまってろ」

 ……荷物じゃないんだから、せめて落ちると言って欲しい!
 だが文句を言い返すだけの余裕はとてもなく、言われたとおり、ルシカはセラの首に腕を回してしがみついた。セラの顔が見えない状態なのがせめてもの救いだが、かえって神経が鋭敏になっているらしく、触れた指先から熱が伝わってきて体中に回っている気がする。

 もちろんセラは、ルシカのそんな状態など知るはずもない。
 小柄なルシカはそれほど重くないのか、細い割にセラの腕力があるのか、特に危なげもなくセラはルシカを抱えたまま、しばらく歩いていった。
 目隠し状態で抱き上げられて運ばれて、方向感覚など働くはずもなかったが、聞こえてきた細い水音が、先ほど通った小川まで戻ってきたのだとルシカに教えた。
 目的地に着いたら、それこそ荷物のように落とされるんじゃないかと心配したが、予想に反して、注意深くセラは川の畔の岩石の上にルシカを下ろす。ルシカがおとなしく座って待っていると、唐突にセラが言った。

「上を向いてろ」

 素直に空を見上げるように顔を上向けたとたん、ぼたぼたと水滴が降りかかってきた。ただの水ではないらしく、とにかく――染みる。

「痛い痛い痛い!」
「いいからじっとしてろ」

 舌打ちが聞こえ、思わず顔を背けたルシカの顎に指がかけられ、乱暴に顔を上向けられた。違う意味で悲鳴をあげたくなったルシカの目の中で、七色の光が踊った。闇が拭われて、光と同時に、夜空を思わせる漆黒の瞳が目に入る。
 セラがじっと真剣な表情で、ルシカの目をのぞき込んでいる。指は顎にかけられたままだ。
 あたし、どうしたらいいですか……?
 声も出せずに息を詰めて、のぞき込むセラの目を凝視していると、セラがようやく手を離した。

「大丈夫なようだな」

 別に声に変わった調子もなく、いつも通りのセラだった。
 その口調と態度に、一気にルシカは脱力する。勝手に騒いでる自分が馬鹿みたいだが、それでも一連のセラのこの行動は……どうなんだろう。

「セラって女の人の相手、なれてる?」

 思ったことを不用意に口に出してしまったところに、色々引っかき回されたルシカの混乱具合があらわれている。しまった、とルシカが青ざめたときには、すでにセラは最悪に不機嫌な顔になっていた。
 呆れたのか、静かに怒っているのか、ぶっきらぼうに言われた。

「――俺には姉がいると言ったはずだが」

 それはどう解釈したらいいの!?
 思考停止に陥ったルシカを取り残し、セラは不機嫌な顔のままで続ける。

「くだらん手間をかけさせるな。冒険者としてやっていく気なら、夜中でも戦えるくらいに神経を鍛えておくんだな」

 治ったんだから用は済んだとばかりに、早くもセラはこの場を立ち去ろうとしている。つられてルシカも立ち上がって、あわててその背を追う。
 本当に、本当にセラって……分からない。
 後ろ姿を眺めながら、セラの態度には色々問題があると思っていたが、それはもしかして結構大変なレベルなのかもしれないと、くらくらする頭で考えていた。

 分からない人なので、ひとまず分かるところから埋めていくしかないのだろう。
 とりあえず、もしいつかセラが暗闇状態になったら、七色のなんこうで治してあげようかしら。
 それが仕返しのつもりなのか、別のものを期待していてなのかは、ルシカ自身にもよく分からなかった。

2006-10-18

七色の『なんこう』の脳内漢字変換ができなくて、「そうか軟膏か!」と気づいたのは一週目のプレイが終わる頃でした。『軟膏』と気づいたら今度は素朴な疑問がわいてネタにしてみました。同様に、混乱や幻覚や眠りもどうやって軟膏で治すのか不思議です。ナジラネの果実みたいに、実は臭いがきつくて覚醒作用もあるって代物なのかしら。
※公開後、「まぶたに塗るんだと思ってました」「軟膏は親油性なので水に溶けません」などのコメントを頂きました。物知らず加減が恥ずかしいですが、このままアップしておこうと思います。ツッコミありがとうございました~。