例外と特別
ぶっきらぼうで無愛想。馴れ合うことを嫌って、単独行動を好む。他人には基本的に無関心。
そういう人だからこそ、なんとなく嬉しかったりもする。
セラの自分への態度は、例外的なものだとわかるので。
こんな人が不本意ながらも赤の他人を連れて、意見や会話を交わし合って歩いてるだけで、それはもう稀なことなのだ。
でもそれは、自分が「ロイの妹」だからだ。
ロイの妹じゃなかったら、多分放っておかれたろう。そんなこと最初から分かっていた。
そもそもの始まりが、その一点なのだ。だから、そこを崩す事なんて、できなかった。
「ロイの妹」でいれば、「お兄ちゃんの親友」であれば、接し方に悩まなくてもいい。面倒なことを考えなくて済む。互いにうまくやっていけてるんだから、それでいい。
そう言い聞かせることで、自分の中で、何かが伸びていこうとするのを押しとどめた。
* * *
角を曲がれば曲がった分だけ、見知らぬ建造物が現れる。
揺れる緑の中の小さな村しか知らないルシカにとって、都会というのは、ずいぶんと四角い、にぎやかな場所という印象だった。
通りの両脇をうめる建物の群れに圧倒され、期待と興奮と少しの不安でどきどきしながら、戦神ソリアス像のある広場から、放射状に伸びる通りの一本を選んで歩いていく。
街の喧噪がわずかに遠ざかり、木立の間から、赤い屋根がのぞく。
……あれだ。
エンシャントに来たら、是非とも訪れてみたい場所があったのだ。
観光名所でもある、ノトゥーン神殿。
同じ宗派の神殿でも、神を祀るというよりも、祭物を祀るという性質からか、ミイスの神殿は、細く高く天へとそびえる塔の形をしていた。
中に入ると外の光が天窓を通って、静かにまっすぐに床に降り落ちている。ほのかに光が満ちる静かな空間は、確かに厳かなものではあったが、どこか薄暗く 寂しい場所という感覚も、否めなかった。一日座って祈りを捧げるよりも、外の空気を吸い込んで走り回る方が、ずっとルシカは好きだった。
仮にも神官家の娘なのに、不信心だということはよく分かっている。だが、これはもう性格としか言いようがない。
父は、娘のそういうところを分かっていて、あまりルシカが神殿に居着かなくても、とりたてて小言を言うようなことはなかった。
滅多に怒ることのない、穏やかな人だった。司祭服に身を包み、神殿の中で、いつも静かに祈りを捧げていた。たまに祈りに没頭しすぎている時など、ルシカが声をかけると、振り返って照れくさそうに笑った。ロイにそっくり受け継がれた、相手を柔らかく包み込むような笑顔で。
懐かしい情景の中に、炎の影が踊って、ルシカは考えるのをやめた。
道の先に、堂々とした白壁の建物が現れる。
気を落ち着かせるように息を吸い込んで、建物へと向かい――ふと、ルシカは眉をひそめた。
*
とぼとぼと神殿を出て歩き続けているうちに、立派な建物を取り囲む外壁へと突き当たった。特に何も考えず、そこに沿って歩いていると、壁の一部が崩れた跡に出くわした。
不思議に思って、ルシカは顔あげて中を見る。広い敷地内をローブを纏った姿が多く行き交っている。どうも学校らしいのだが、その校舎の一部が、見事に崩壊していた。
ここも被害を受けたのだろうかと思ったが、それにしては、なんとなく様子というか、壊れ方が違うような気もした。
手がかりを求めて辺りを見回すと、外壁に背を向けて立ち去ろうとする、見覚えのある黒い姿が視界に入った。考えるよりも先に、ルシカは呼び止めていた。
「セラ!」
面倒くさげな表情を浮かべながらも、セラがこちらを振り返った。
「何してるの?」
「貴様には関係ない」
近づいてきたルシカに、セラはためらいなく答える。
いつもなら『教えてくれたって損しないのに!』くらいは言い返すのだが、そんな気も失せていたルシカは、校舎の方を見て小さく呟いた。
「ここも、地震で?」
「何を言っている。よく分からんが、この学院の問題児がやったらしい」
「へえ、そうなんだ……」
いつもとまるで様子の違う気乗りのないルシカの言葉に、セラの端正な眉の根元に、しわが一本入る。
滅多にないことだが、その必要でも感じたかのように、話をつないだ。
「実験が失敗した結果だそうだ。いったい、何を教えているところなのか分からん」
きびすを返したセラにつられるようにして、ルシカもその場を離れ、セラの隣に並んだ。
二人で一緒に、エンシャントの大通りへ戻る道を歩く。
「ノトゥーン神殿に行ってきたの。エンシャントのノトゥーン神殿は、ミイスとは違う趣があって素晴らしかったって、お兄ちゃんが言ってたから」
歩きながら、ルシカがそっと切り出すと、セラが一瞬だけルシカを見やって、また前を向いた。
話の行方はつかんだようだが、止めることも、うながすこともなく、黙って歩いている。
最初こそ、セラは話し相手に向いていないと思ったが、今ではそうでもないと思っている。共感めいた反応は全く返してくれないが、こちらが一方的に話していると、案外ちゃんと耳を傾けてくれていたりするのだ。
慰めることはしてくれないし、厳しい一言が返ってきたりもするが、それでも聞いてくれるだけで良かった。
だからルシカは、気にすることなく、独り言のように続ける。
「同じ神殿でも、エンシャントは全然違うんだね。天井一面を覆っていたっていうステンドグラス、すごく見たかったのに。全部割れちゃったんだってね、あの日に」
悲鳴をあげるように、光に満ちていた色ガラスは一斉に砕けて、雨となって降り注いだという。
不意の災厄に、美しかった色も光も形も、無惨にひび割れ、消え失せた――。
ルシカは言葉を切った。そのまま二人並んで歩き続ける。
道はいつの間にか整備された石畳に変わっており、そびえる建物が空を区切っている。
もうすぐ宿屋が見えてくるところまでさしかかると、セラが不意に口を開いた。
「俺には、姉がいると言ったろう?」
「? うん」
「あそこに姉が居た。魔道アカデミーに通っていた」
思わずまじまじとセラを見上げると、珍しいことにセラは、少しだけばつの悪そうな顔になった。
「何だ?」
「だってセラ、魔法は全然……」
じろりとセラに睨まれ、慌ててルシカが口をつぐむと、セラは続けた。
「俺のことはどうでもいい。姉さんは、魔道アカデミーを首席で卒業した」
姉の名誉のためか、そう付け加えたセラに、今度こそ本当に驚いてルシカが目を見張ると、セラは宿の方へと視線をそらした。黒い髪に縁取られた表情はいつものセラだったが、照れ隠しのように見えなくもなかった。
「セラのお姉さんって、すごく優秀だったんだ」
「……。ああ」
ルシカが感心して呟くと、わずかな間があったが、返ってきたのは、思いの外、素直な肯定の言葉だった。
* * *
エンシャントのノトゥーン神殿に足を踏み入れ、そんな会話を交わしたことを、懐かしくルシカは思いだした。
ステンドグラスの修復工事は、はかどっていないらしい。莫大な費用と時間がかかるということが分かるだけで、いつ完成するかは、誰にも分からないそうだ。
できることなら、早く元のような光を見てみたい。
未来のことを思ってルシカが笑う。小さく微笑むくらいしかできなかった。
あのときのセラは、いつになく優しかった。
だからそのときは、気づかなかった。
お姉さんのことを語るときの、セラの表情と声音は――ずいぶんいつもと違っていた。
基本的に、ほとんど他人に関心を抱かない人だ。
だからこそ自分への態度は、例外だと分かると嬉しかった。
セラがそういう風に態度を変えるのは、兄のことを語るときと、お姉さんのことを語るとき。
けれど、その二つの間には、大きな差があるのだろう。
セラのルシカへの態度は、すべて兄の存在に負うものだ。ルシカに対するそれは、ロイに対するものの延長線上、義理でしかない。
例外はいくつかあるが、特別はほんのわずか。
……そして例外の妹は、特別の姉には、負けるのだ。
2007-01-30