半月 

 各地に点在している冒険者ギルドは、多くの噂や情報が集まる場所だ。
 冒険者の生計は、ギルドの依頼を請け負って立てることが多い。大抵の冒険者は、その集落内にギルドの看板が下がっていたら、一度くらいは立ち寄るものだ。そこで外界へ出る村人の護衛を請け負ったり、あるいは頼まれていた依頼の品を届けて報酬に変えたりして、再び旅立っていく。
 そのときついでに、別の土地の様子や、変わった出来事を、二言三言、場合によっては長々と語り落としていくのだ。

 ルシカが新たな土地を訪れるたびに、必ずギルドに顔を出し滞在中も足繁く通うのは、仕事の話よりはおまけとしてついてくる噂の方――行方不明の兄の手がかりを求めてのことだろう。
 今のところ、成果はあがっていないようだ。
 ギルドから帰ってくる顔を見れば分かる。

 宿の古びた階段がきしむ音がして、セラが顔を上げれば、戸が開いて、部屋に戻ってきたルシカと目があった。
 すぐにセラは、月光の手入れに意識を戻す。
 ルシカは、ただいま、と小さく告げると、寝台に荷物を投げ下ろし、それからセラの手の中の剣に目を落とした。

「ねえセラ。やっぱり、月光には何の反応もないの?」
「あったら教えている」

 窓辺の明かりのもと、セラは顔もあげずに告げた。
 手元の月光は、茜を帯びた夕陽を浴びて、沈黙を保ったままだ。

「本当に、分かるものなの?」

 ルシカの問いかけにじろりとセラが一瞥すると、ルシカは首をすくめて、ごめん、と謝った。
 剣を鞘に戻し、セラは素っ気なく告げた。

「この大陸に、どれだけの人間がいると思っている。そう簡単に、人一人の行方がわかるわけがないだろう。ましてやロイ本人が、話題になるのを避け、秘密裏に行動しているのであればな」

 セラは半ば確信を抱いていた。これだけ綺麗さっぱり、痕跡も連絡もない状況を見ると――どうもロイの方から、意図的に姿を消していると思えてくるのだ。
 闇の神器を守っていた隠れ里ミイス。そこを襲ったのは、アンティノ商会の極秘開発モンスター。
 おそらくロイは、そのデスギガースを何らかの方法で倒し、神器の行方を追っているのだろうが、こうした事情や経緯ができる限り表沙汰にならぬよう、極秘に行動しているに違いない。
 相手はあの魔人、アーギルシャイアだ。相当の危険を覚悟しなければならない。
 妹に何も告げず、また、セラのミイス訪問を予期していなかっただろうとはいえ、対の剣を分け合った親友にも理由を話さず行方をくらましているのは、事が事なだけに自分一人で片を付けようと思っているのかもしれなかった。

 ……俺には、困ったことがあったらいつでも来い、と言っておいてか、ロイ。

 そもそもデスギガースもアーギルシャイアも、自分の因縁だ。
 そうセラは思っていた。ミイスは、神器を守るよう定められた守護者の里とはいえ、魔人の身勝手な欲望に……巻き込まれただけだ。

 そこで、すぐ隣に居るミイスの妹のことに思考が移り、セラは微妙な心地になった。
 実を言えば、セラは、こうしてルシカと共にロイを探しているが、それが果たして、ロイの本意に沿うものなのかどうか、今ひとつつかみかねていた。
 もしかしたらロイは、妹が他の村人達と同じように、どこか平和な村に移住し、別の生き方をしてくれるようにとひそかに願って、黙って一人で立ったのかもしれない。
 それをこうして冒険者として、連れ回して、良かったものかどうか。

 今更言うことではないし、すべては成り行きだ。
 セラ自身、どうしてルシカを連れてきてしまったのか、よく分かってはいなかった。
 ただ――置いていけない、とは、思ったのだ。

 荒れ狂う炎になぶられ、両親も思い出もすべてが一夜にして奪われた村の残骸の中で、呆然と、途方にくれたようにすくんでいた姿。
 遠い記憶の中のそれと、ミイスで出会った妹の姿は、重なるようで。
 あるいは。
 不意に姿を消した肉親を捜さずには居られない、はやるようなその気持ちは……強く、覚えのあるものだから。
 誰と似ている、と思って、連れてきてしまったのか。


「そういえば、セラが探しているお姉さんって、セラと似てるの?」

 ルシカに話しかけられ、セラは我に返った。
 一瞬だけ、針で突かれたように胸が騒いだが、すぐにそれを飲み込む。
 急に違う場所へ飛躍する――そのくせ考えていたことを見抜いているように、核心に近い場所へと切り込んでくる――ルシカの話し方には慣れているつもりだったが、時折こうして不意打ちのような言葉を投げかけられると、やはり心臓に悪い。
 セラが不機嫌な表情で黙っていると、ルシカは説明が足りないと気づいたのか、言葉を継いだ。

「ギルドのおじさんに、『ずいぶん熱心な冒険者だな。それとも難度の高い依頼はこなせない、駆け出し冒険者の冷やかしかい?』ってからかわれて、つい『仕事じゃなくて、人を捜しているんです』って、答えちゃって」
「…………。ロイのことを話したのか?」
「え、あ、ミイスのことは黙っていたけど、『行方の分からない兄を捜してる』とだけ」
 そこでルシカは、大きくため息をついた。
「で。たぶん、からかったことを悪いと思ったのか、慌てて元気づけようとして『大丈夫! あんたみたいな珍しい髪の色をしたお兄さんなら、すぐに見つかるよ!』って言われて」

 流れがわかって、セラも、目の前の少女を見る。
 確かに青い髪をした娘は珍しい。早合点で、きっと兄も同じ色の髪をしている――妹と多少似ている人物だと、思ってしまったのだろう。

  たいてい血の繋がった家族は、同じ髪の色、もしくは似た色になることは多い。
 ただ、それはそういう場合が多い、というだけの話だ。
 血ではなく、住んでいる地 方が関係することもある。ディンガルやロセンを含む北方や東方は、黒髪や茶髪、褐色など、全体的に見ると色素が濃い者が多くなる傾向があるらしい。反面、 ロストールを含む南地方は、金髪や碧眼など、色素が薄いと聞いたことがある。
 もちろん例外はあるし、余所の土地からやってきた者同士が結婚することも多いから、当然血はどんどん入り混じる。
 ましてやバイアシオン大陸には、人間以外の種族も多く暮らしている。珍しいことだが、他種族の血が混じることもある。そうなれば、さらに髪の色や瞳の色の違いも生じる。
 だからなのか、突然変わった色の髪の子供が生まれた、という話もよく聞く。黒髪の両親から、燃えるような赤毛の子供が生まれる話はよくある。青髪も珍しいが、銀髪も珍しいがいないわけでもない。
 金髪と黒髪の両親の元に、銀の髪をした子供が生まれ、ダルケニスと間違えられて迫害されたという話も、聞いたことがある。

 そこでルシカの問いに戻るのだ。
 たぶん、ルシカにしてみれば、『セラと姉は同じ色の髪なのか』程度の問いかけなのだろうが。
 似ているかどうかと、聞かれたら。

「……よく相手と取り違えられた。双子かと問われることもあった」
 ぼそりとセラが答えると、ルシカが目を丸くした。
「セラって、確かに男の人にしては細身だって気はするけど、女の人には、見えないよ? あ、お姉さんが中性的というか、男っぽい人な」
「姉はたおやかで、優しく、大人しい性格だ! お前と違ってとても女らしい。一緒にするな!」

 言葉を遮るようにぴしゃりとセラに言い切られ、再びルシカは首をすくめた。

「じゃ何で」
「ロストールの先王フェロヒアがディンガルに侵攻した時、幼かった俺達は両親を失った。
 それから、俺達は姉弟ふたりきりで生きていた。
 あの時代は、どこもかしこも似たものだったが、着の身着のままで焼け出されて、手に入るものと言えば、男女の別もない薄汚れた野良着くらいしかなかった。年も近かった俺と姉は、いつも似たような格好で共にいた。髪の色も目の色も同じだったし、体格の差もまだほとんどなかったから、遠目には同じに見えたのだろう」

 双子のようにそっくりな。一対の、鏡のような。
 そんな姉を、自分が守らねばならないと思った。
 自分とよく似た、けれど自分と正反対の、自分の半身。  

「姉がいなければ、今の俺はいなかった。俺にとって、姉はかけがえのない存在だった。
 その姉が姿を消した。
 姉はディンガル魔道アカデミーを卒業したあと、アンティノ商会で研究員として働くと言っていた。だが、リベルダムのアンティノ商会に姉はいなかった。
 俺は姉を捜して旅を続けた。そしてロイの言葉を思い出し、ロイの助力を得るために、ミイスへと向かった。あとはお前も知っての通りだ」

 そこで出会ったのは、姉ではなくて、ロイの妹。
 かつて炎の中で呆然と虚空を見ていた姉の姿は消えたまま。
 そして、黒髪をなびかせ、炎の中で高笑いをあげたであろう魔人の姿もなく。
 ……さらに姉と魔人を追って、親友もまた、姿を消していた

「……どこに行ったんだろうね」 
「さあな。だが姉が今、非常に危険な奴の手の内にあることは変わらん。
 俺は奴から姉を救い出す。たとえ、どんな手を使っても」
「セラ?」

 いぶかしげに挟み込まれたルシカの言葉に、セラは言葉を止めた。
 思わず舌打ちをしてしまい、それも失態だったと気づいたが、手遅れだった。
 知らず昔語りをはじめてしまい、余分なことまで喋りすぎた。ルシカは、セラの姉のこと、あるいは兄のことのつもりで話していたのだろうが、セラの脳裡では三者はきわめて近い場所にいた。そのせいで何気なく続けてしまったのだ。
 そして、この娘は、脳天気な気安さを漂わせながら、すぐさま手も顔も心も切り替え、鋭い刃を返してくるから、たちが悪い。
 時々舌打ちをしたくなるような、勘の良さを発揮するのだ。何気ないところから核心へと近づいてしまう不思議な目を持っている。
 その目が、まさにきらめくような鋭い青い光を帯びて、セラを見つめ返していた。

「セラは、お姉さんを捜すためじゃなく、救うために、お兄ちゃんに会いに来たの?
 手の内にあるってことは、お姉さんが、誰かに捕らわれていることまでは、突き止めてあるってこと? デスギガースを作ったアンティノ商会じゃなくて、それよりも、もっと危険な相手って――」
「…………」

 セラは黙ったまま、身を起こす。
 月光を腰に下げ、きびすを返し、部屋を横切る。

「セラ?」
「お前は知らなくてもいいことだ」

 ルシカの不満そうな表情が目の端に入ったが、それを無視して通り過ぎ、セラはそのまま部屋を出る。
 これ以上、ルシカの相手をしない方がよいと思った。
 勘の良い娘のことだ。下手に受け答えをしたら、さらに墓穴を掘りかねない。
 何より、いつになく、狼狽えている自分を感じていた。久しぶりに姉のことを思い出したせいかもしれない。
 すこし外で頭を冷やしてきた方がいいと思ったのだ。

 姉が誰に捕らわれているか。そのせいで何が起こったのか。
 ミイスの兄妹にとっても、あながち関係がない、とは言えない。
 だが教えたところで、事が好転するわけではない。いやミイスの兄妹の性格を考えれば、かえって悪い方向へ転がる可能性だってある。残虐で凶暴、更に精神を読むあの女を前に、ためらいを抱えて挑むなど、最悪の選択だ。ねずみが丸腰で、獰猛な山猫を生け捕りにしようとするようなものだ。結果、ねずみは猫に爪を立てられ、喰われて終わりだ。

 それからセラは考える。
 どうしてミイスの妹を連れ出してきてしまったのか自分でもよく分からなかったが、これから先、どうするのが良いのかは見えた気がした。
 なるべく早くロイにルシカを手渡し、自分はロイからアーギルシャイアを追討する役目を引き継ぐ。この兄妹を、これ以上魔人の件に深入りさせたくはなかった。
 ミイスの兄妹のためにも……自分のためにも。 


  * * *


 結局その晩、セラが宿に戻ってきたのは、夜も更けた頃――だったらしい。
 いつ戻ってくるか分からないセラを待っていられず、また戻ってきたところで、どう迎えればよいのかわからず、ルシカは先に就寝してしまった。
 翌朝早朝には、セラの姿はすでに隣のベッドの上になかった。寝た形跡はあるようだから、ルシカよりも遅く寝て、ルシカよりも早く起きたのだろう。大抵セラは、パーティでも一番の早起きだった。……無防備な姿や、寝顔を見られるのが、嫌なのかもしれない。
 セラは、いつも通りの早起きで、いつも通りの無愛想さで、いつも通りルシカよりも一歩先に身支度を調え終えていた。別段変わったところはなかったが、昨夜のことなど忘れたように、口は閉ざしたままだった。
 こうなると尋ねても無駄だと分かるので、昨夜の話題は、結局そのまま棚上げになっている。

 ――お前は知らなくてもいいことだ。

 宿から冒険者ギルドまでは、村の大通りを使えば目と鼻の先だ。だが少し考え事をしたくて、村の菜園や畑の周囲をぐるりと巡る遠回りの細道を選んで、ルシカは歩みを進める。
 歩きながら考えていたのは、昨夜のやりとりについてだった。
 セラの言葉に、腹が立たなかったと言えば嘘になる。だがいつもなら、一度無視を決め込んだら、ルシカの視線も問いかけも、断固として跳ね返すはずの鉄壁のセラが、昨日は逃げ出すように、その場を立ち去った。
 それだけこの話題がセラにとっては失言だったのだろうし、触れられたくない出来事だったのだろう。

 セラは、割と正直というか、思ったことを率直に言う性格だ。
 だからこそ、嘘やごまかしには、慣れていないのかもしれない。
 迷いがあるときは、迷いのある分だけ不用意に語ってしまうところがある。セラ自身もそれは自覚しているらしく、大事なことは自分の胸の奥に固く秘めているところがあった。
 特に、お姉さんのことに関して、そういう部分が強いような気がする。

「俺にとって、姉はかけがえのない存在だった、か」 

 ぼそりと呟いてみて、なぜか少し不愉快な気分になって、ルシカは軽く頭を振った。
 セラの言葉を元に、お姉さんの姿を想像してみる。セラと双子のように似ていて、でも性格が正反対の姉。セラと正反対というと、社交的で、陽気で、お喋りな人なのだろうか。だが、セラは大人しくて優しい姉だったと言っていた。

 ……セラと似ている、だったら、まだ想像しやすいような気がするんだけど。

 口数はやっぱり少ないし、愛想もないのかもしれない。どこか頑なで、自分の意志に忠実。これと決めたことは貫き通す。どちらかといえばキツイ性格の女性だろうか。黒髪で、髪が長くて、肌の色も白くて――。
 …………?
 さらさらと流れた連想に違和感を覚えて、ルシカはきゅっと眉根を寄せた。
 似ているけど、似ていない。似ていない、けど、似ている。
 一瞬何かが照らし出されたような気がしたが、すぐにそれは雲の間に隠れてしまった。
 ルシカは気を取り直すように大きく息を吐き、視線を道の向こうに投げる。冒険者ギルドの看板が見えた。



 ギルドの扉をあけたところで、今日はマスターの方から声をかけられた。

「よう! 聡き風のルシカ!」
「へっ?」
 陽気な呼び声に、思わずルシカが身を引くと、すっかり顔馴染みになったマスターはひらひらと手を振って言った。
「あんた、あの有名な冒険者なんだな! だったら先に言ってくれりゃ良かったのによ。
 今さっき出て行ったパーティが、この村にあの噂の冒険者が来てるって言うから話を聞いてみたら、まー、あんたのことじゃねえか。人の容姿は、やっぱり噂と実物とじゃ隔たりがあるもんだねえ」

 ――通り名がつくようになって嬉しいものの、最近こうやってむやみやたら噂になることも増えたので、だから人捜しの時には黙っていたのだが、どうやら無駄な努力だったらしい。
 ついでに言うと、噂と実物の隔たりがどんなものなのかも気になるところだが、ルシカが口を開く前に、マスターが今し方届いたばかりの一枚の依頼書を拾い上げて言った。

「昨日は悪かったな。そのお詫びと言っちゃなんだが、ちょっと大物の仕事が入ってきたんだ。どうだい? 話を聞いてみないか」
「大物の仕事って、どんな?」
「腕の立つ冒険者が欲しいらしく、この辺り一帯の集落にも幅広く声がかかってるんだが、元はあの冒険者嫌いで有名なテラネから回ってきた依頼だな。
 あの村の北にある、紺碧の洞窟って知ってるか? あそこに妙な怪物が棲みついちまったみたいで、その怪物退治をするっていう仕事さ。どうもこれが、ただの怪物じゃないみたいで、不穏な噂が立っててさ。何人かの冒険者が挑んだんだが、みんな歯が立たずに帰ってきちまって。
 そいつらが言うには、あれは伝説の怪物ティラの娘だ、なんて言うのさ」
「ティラの娘?」

 聞き覚えのある名称に、ふっとルシカの目が鋭くなった。
 オルファウスから禁断の聖杯探しを頼まれたときに聞いた話が蘇った。

 ――合成怪物を作る素材をアーギルシャイアは求めています。
 最近、妖術宰相ゾフォルが古代の闇の怪物、ティラの娘たちを復活させています。
 もしかすると素材を求めて、それらの怪物たちを狩りに、彼女が現れるかもしれません。

 マスターは髭をこすりながら、手元の依頼書を眺めて話を続けた。

「帝国のコロル石採掘部門が、石の採掘ができなくて大弱りしてるんだとよ。
 報酬は5000ギアだ。最近の依頼の中では破格の値段だな。
 腕試しにはちょっと危険かもしれないが、あんたなら多分こなせるだろう。どうだい?」
「やるわ」
「そうかい、助かった!」

 マスターの感謝の声は、ルシカの耳には届いていなかった。
 あの魔人が、現れるかもしれない。
 ルシカはそっと、腰の剣の柄を握りしめて、村を焼き払った宿敵のことを考えていた。
 炎の中で笑っていた、長い黒髪で、肌の白い――。

2012-09-02

半月。セラにとって姉は自分の片割れ、もう半分の月なのだと思います。そしてルシカにとってセラのお姉さんは、半分見えていて、半分見えてない存在なのだと思います。時系列的には、ティラの娘退治の直前。……のつもりでしたが、この時点ではセラの昔語りは聞けないんですよね。うちのSSではこういうやりとりがありました、ってことで。