雨の休暇・秘密
現在バイアシオン大陸は雨期に入っている。
連日の雨に冒険に出ることもできず、部屋に籠もりがちの日々が続いていた。今日も例外ではなく、商業都市リベルダムでは、朝から静かに雨が降り続いていた。
セラは宿屋の二階の談話室の窓辺に立って、外を眺めていた。そんなセラの側らでは、ルシカがうろうろと所在なさげに歩き回っていた。時間と体力を持てあましているらしい。
やがて耐えきれなくなったのか、ルシカが口を開いた。
「こんなに雨ばかりで息が詰まりそう。あたし、街へ出てみるけど……」
「わかった」
いつにも増して素っ気ない響きをもったセラの返事を受けて、ルシカがこれ見よがしに大きな溜息をつくのがわかった。
だが気を取り直したらしく、早口で告げる。
「それじゃあたし、出かけてくるね。闘技場でものぞいてくる」
雨続きの陰気な空気を振り払うかのように、さっと軽やかに身を翻して部屋を出て行く。空気の滞った部屋の中に微かな涼風が吹き込んで通り抜けていった、そんな印象を抱かせる。
共に旅をしていて、ルシカのこだわりのなさは、たしかに一種の風の役割を果たしていた。
宿の主人に傘を借りたルシカが、宿を出て闘技場の方へ歩いていく後ろ姿が窓から見えた。セラはその後ろ姿を無意識のうちに見送る。
窓の外に広がる鉛色の雲は、いっこうに切れる気配はない。
まだしばらく、雨は続くだろう。
*
「困ったことがあったら、いつでも村に立ち寄ってくれ」
そう言って、ロイは自分にミイス村へ入るための秘密の言葉――結界内部への立ち入りを許可する認証呪文を教えてくれた。
隠れ里ミイスは古くから伝わる神器を守っているという。その正確な場所を知るものは、村人以外にほとんどない。不用意な旅人や魔物の侵入が拒まれているのは、村の周囲にその存在を隠すための強固な結界が張られているからだ。
「そんなに重大な秘密を、俺のような部外者に教えて平気なのか?」
「それほど厳格な掟があるわけでもない。現に私だって、こうして村の外で自由に冒険をしているし、村内の人間が外へ出て行くのは自由だ。旅の行商人やノ トゥーン系神官の一部も、村の場所を知っている。隠さなければならないものがあるのは事実だが、だからといって隠し通せるものでもないだろうし……万が一 の時、救援を頼めるように、信用できる人物は頼りにしておきたいよ」
何かを考え込むようにロイは言った。
その言葉に、どう反応を返せばよいのか分からず、セラが無言のままでいると、それを困惑しているととったのか、ロイが明るい口調で続けた。
「必要以上の警戒や禁止は、かえって秘密を漏らすきっかけとなるからな。もっとも内容が内容だから、みな自分の中の秘密にしてくれる。お前だってこのことを他人に不用意に漏らしたりはしないだろう?」
「まあな。姉には手紙で、お前がミイスという誰も知らないような辺境から出てきた修行中の神官だとは伝えたが……」
「辺境とはひどいな。そんな言い方をされたら、面識のないお前の姉上には、まるで私が何も知らない田舎者のように思われるじゃないか」
「違うとでも言いたいのか?」
散々苦労済みのセラの冷たい目に、ロイは少しひるんだが、言い訳をするように続けた。
「意外かもしれないが、村の場所自体は大都市から遠くはないし、主要街道からもそれほど離れてはいないんだぞ」
「そうか。問題は場所ではなくて性格か」
「……その言葉は色々納得できないぞ、セラ」
姉が行方不明になったとき、ミイスの村へ出かける気になったのは、ロイのこの言葉があったからだ。
だが壊滅状態のミイスの村に親友の姿はなく、代わりに妹のルシカを拾い、親友の行方も探さなくてはならなくなった。
*
今までセラは、てっきりロイもアーギルシャイアを追っていったのだと思っていた。
村を滅ぼされた恨みもあったろうし、放っておくことのできない危険な相手だとの認識もあったろう。そんな危険な相手を追う旅に、大事な妹を巻き込むことはできないと考えたのかもしれない。
それが、あんな形で再会することになるとは思いもしなかった。
自分の愛用の剣が告げている。
たとえ顔を隠し、人格が変わり、セラのことも妹のことも、自分自身のことすら忘れているとしても、それでもあの仮面の男は、お前の探していた人物に間違いないと。
本当に、アーギルシャイアは、何もかもを狂わせる。
燃えているミイスの村を見たとき、先を越されたという苦々しさと怒りがこみあげた。だがミイスの村を出てから考えた。どうして闇の神器の在処が――隠れ里ミイスの場所が――アーギルシャイアに知られたのか。
アーギルシャイアは記憶を読む。
アーギルシャイアが読んだのは、器として借りているシェスターの記憶。
そして、シェスターに、ミイスのことを教えたのは。
アーギルシャイアを許せなかった。自分から姉を奪っただけでなく、親友を奪い、その妹から家族を奪い、故郷を奪った。
だが今は、アーギルシャイアに対する憎しみの片隅に、自分への苛立ちも混じるようになっていた。
過去のことをいつまでも悔いていても仕方ないから、償いは親友を探し出すことで返そうと思った。親友の妹の面倒を自分が見ることで果たそうと思った。
ロイを探し出し、ルシカの元へ兄を返してやることで、ミイスの村の兄妹に償いをするつもりだったのに。
自分の目的のためには、親友に刃を向けることになるのかもしれない。
「まだ奪い足りないか、アーギルシャイア?」
やまない雨の向こうを睨むようにして、セラは呟いた。
*
街に出ていたルシカが戻ってきたのは、深夜近くになってからのことだった。
『夕食は外でとる』と連絡を受けていたし、特に心配はしていなかった。基本的に街中では別行動というのが冒険者の暗黙の了解で、どこで何をしていようが本人の自由だ。門限など定めているわけではない。
旅に出た当初は、単独行動や夕方以降の外出に対して、それとなく注意だけは払っていた。放っておけば、うっかりスラムなど治安の悪い場所で絡まれていたりするようなこともあったのだ。
そこでナメクジを退治したり、行き場をなくしたリルビーの娘を拾ってきたりと色々やらかしてくれたが、さすがに最近は、ルシカ自身で判断がきくようになっていて、注意を払う必要もなくなった。
それでもルシカは、遅くなりそうな時には宿に連絡を入れる。心配をかけないようにというよりは、多分、居場所を知らせておくことも一つのルールだと考えているのだろう。不意の出来事に対しての備えのようなものだ。
そういう細かい部分で、気遣いをする娘だった。
それを相手に悟らせないだけの、要領の良さや計算力も持ち合わせている。
他人に関心を抱くことなど滅多にないセラだが、相手がロイの妹なので、それとなく観察をしていた。この妹が、見かけほど子供じみていないことにも気づいていた。
ひょっとしたら、子供じみた態度は、わざとなのかもしれない。防衛本能による擬態のように。
賢くて、勘がいい。多少良すぎるほどに。
知らなくてもいいことまで感づいてしまいかねないほどに。
ルシカの軽い足音が、雨音に混じって部屋に響いた。
その足音がふいに止まる。気づかれぬように首だけ動かして様子をうかがえば、ルシカが窓辺に立てかけておいた月光を握っていた。鞘から抜いて、魅入られたように刃を見つめている。
その姿を見たとき、自分の武器をいじられた不快感よりも、すべてを見抜かれているような落ち着かない気持ちが先に立った。
苦いような重いような、不安に近い感覚。
……馬鹿馬鹿しい。
「勝手に触るな」
声をかけるとルシカがぱっと振り向いた。
「ごめん」
口ではそう言いながらも、手は月光を握ったままだった。
言葉よりも態度が語ることもある。近づいていって月光を取りあげる。抵抗はされなかったが、ルシカのもの問いたげな様子に、つい口を滑らせた。
ずっと気にかかっているであろうこと。
「あの仮面の騎士だが、俺の考えに間違いがなければ……」
とたんにルシカが、勢いよく顔を上げる。
期待と不安の混じったその目を見たら、告げる気が失せた。
――気づいている。
だからこそ、今この状態で口に出せば、それは予想をこえた事実になってしまう。
「いや。間違いであれば、いいのだが」
自分らしくないと思いながらも、明言する気はなれなかった。
物事を曖昧なままにしておくのは嫌いだったが――見たくない物はセラの中にもあるのだ。
そのままベットに戻る。背中にルシカの小さな声が届いた。
「……おやすみ、セラ」
ロイは生きている。確信はあったから、この妹に兄を返してやりたかった。
そうすることで奪われた物の欠片くらいは、埋められると思っていたのだ。
やまない雨に何かを重ねるようにして、セラはそっと目を閉じた。
2006-07-22
これが理由ではなくても、セラが妹の面倒を見ている理由の一つには罪悪感もあると思います。アーギルシャイアがミイスを焼いたのは事実で、だからこそ彼は「これ以上罪を重ねさせるわけにはいかない」と思い詰めているのかもしれないなと。