焼け跡
――最後のクエストは無事終了。
セラとロイは、報酬をもらって酒場で祝杯をあげていた。
ロイの落ち着いた朗らかな様子はいつも通りだ。
だが、いつにもまして口数が多いのは、飲んだ麦酒の量によるものだけでもないだろう。
「気づけば二年か。私一人なら、もっと早く村に帰っていたかもしれないな。一人よりも二人のときの方が、世界は予想外の面白い姿を見せてくれる」
「村に帰ってどうするのだ? もう冒険には……」
「さあ。しばらくは父が神官の職に留まり続けるだろうし、状況が許せば再び出歩いてみたいとは思っている。もしかしたら、今度は妹の旅に付き合うことになるかもしれない」
ロイの目が、一瞬だけ懐かしそうに遠くを向いた。
だがすぐに目の前のセラに視線を戻して、話を続ける。
「どちらにしても先のことなど分からないからな。
お前の方こそ、困ったことがあったらと言ったが、別に用事などなくてもいいさ。気軽に遊びにくるといい。ルシカにも会わせてみたい」
この親友は、妹のことを話すときいつも嬉しそうに語る。
自然と口調ににじみ出る親愛の情は、セラにとっては不思議と不快なものではなかった。
全く性格の違うこの男とうまくやれたのは、そうしたロイの態度に、どことなく安心できるものを感じていたからかもしれない。
互いにこれほど、長い付き合いになるとは思ってもいなかった。
人の縁とは、不思議なものだ。
「お前と似ているのか?」
「どうかな。男と女は違うし、歳も10歳近く離れているからな。私が言うのもなんだが、美人だぞ」
セラの様子をうかがいながらロイは言ったが、セラは真面目な口調で返した。
「ロイ。そういう妹は手元で大事にしておけ。気軽に男に紹介するものではない」
ロイがこらえきれなくなったように吹き出した。
「お前の姉上は、さぞかし苦労しているだろうな」
その姉が行方不明になった――。
ロイと別れた直後、セラは姉に無事でいる自分の姿を見せに帰ったが、シェスターは姿を消していた。
手を尽くして探しまわり、やがて破壊神ウルグの円卓騎士、心をなくすもの・アーギルシャイアへと辿り着いたとき、セラは因縁めいたものを覚えずにはいられなかった。
円卓騎士はそれぞれ闇の神器を持つ。
かつて数々の冒険を共にしたあの男は、その闇の神器の一つを守る、隠れ里の神官の息子だった。
ロイと別れて半年後、運命に導かれるようにして、セラはミイスの村を訪れたのだ。
*
セラがミイスへと続く山道に足を踏み入れたとき、すでに周囲は異様な緊迫感に包まれていた。
鳥たちは騒がしく鳴き立てながら空をかけ、動物たちは落ち着きをなくして、ひとかたまりの群れとなって逃げ去ろうとしている。どこから湧いてきたのか、魔物の群ればかりがいきいきと目を光らせて、煙の匂いが薄く漂う森の中を、我が物顔でうろつき回っていた。
村一つ呑み込んで燃える炎の明るさは、遠くからでもこの上ない目印となる。
焦りと苛立ちをぶつけるように、立ちふさがる魔物を月光で切り捨てながら、セラは駆け足で森を通り抜けた。
ようやく目指す村の前に辿り着いたとき、村の入り口では戦闘が行われていた。
相手は三匹のホブゴブリンだった。
村人たちを背後に守り、先頭に立って剣を振るう剣士は、ずいぶん小柄で年若い少年のように見えた。
俊敏な動作で的確に急所を突く手並みは、なかなか見事で鮮やかなものだ。
加勢しようとセラは近づいていったが、その必要もなく、剣士は三匹目をしとめ、息をついて剣をおろした。
思わずセラの足が止まった。
よくよく見れば、身体の線が違った。剣を振るっていた白い腕は細く伸び、肩幅も腰回りも男性よりもずっと華奢だった。肩の辺りに触れるか触れないかの長さの髪が、炎に照らし出されて青く浮かび上がる。
戦闘と炎の熱で頬はうっすらと上気し、青い瞳だけが凛と涼しげな光を放っていた。
青い髪に青い瞳。
特徴らしいものは、それしか聞いていなかった。
だが、それがロイの妹・ルシカであることに、なぜかセラは疑いを持たなかった。
*
――その妹は今、灰と泥まみれになって、廃墟となった村の後片づけをしている。
時々その手が止まり、虚ろな目でぼんやりしていることがあったが、それも仕方がないことだろうと、セラは、特に声を掛けることもなく、黙々と作業を続けていた。
すでにセラは五日間、ミイスの村に滞在している。
正確に言うなら、村の跡地――村からやや離れたところに設けた、仮の避難所に滞在して、五日となる。
生き残った村人たちは、様々な後処理を行っていた。
主に、焼けた家の解体や、遺品整理、死者の埋葬などだ。
『ついてくるならそれもいいだろう』
そう言って、旅につれて行く約束をしてしまったが、一通りの処理が終わらなければ、ルシカはここを離れることができない。自分には関わりのないことだが、さすがのセラも、親友の村をこの状態で放置して行くのは忍びなかった。
それほど大きな村ではないし、村人たちは全員別の集落に移ることが決まっている。
これは復興作業ではなくて、解体作業なのだ。長くても一週間というところだ。
それくらいなら、と成り行きで、セラはルシカの側に残って、その手伝いをしていた。
よそ者のセラに不審な目を向ける村人もいたが、ルシカはそんな村人に対して、最初に言った。
『兄の親友だそうです。あたしも話に聞いてました。信用できる人です』と。
何をどう思って、そんなことを言ったのか、セラは聞いていない。
ただ単に、面倒を起こしたくなかっただけなのかもしれない。
生き残った村人の新たな落ち着き先は、驚くほど問題なく、決まっていった。
もともと「何かあったとき」、親戚などがいる者は、そこに連絡をとることが決まっていたらしい。
親類の居ない者に関しては、難民のための救援組織――昔、ロセン王国の略奪戦争が起こったときに結成されたものだったが、現在では幅広く難民を救うための大々的な救援組織に発展していた――に、救助を請うことになっていた。
ロイとルシカの父親であり村長であるダディアスが、事前に自分の名前で、そういった時が来たときのための備えとして、救援を申請していたらしい。
そのための寄付金も、以前から毎年少しずつ払われていたそうだ。
おかげでミイスの村人は、かなりの好条件で、新たな集落への受け入れが決まっていった。
この事件の死亡者は、村の人口の約三分の一。
あの中で、この数字は立派なものだと思う。
しかも、命を落とした者は、大神官ダディアスをはじめとして、ほとんどが神官一族のもの。
巫女、神殿警護など関連職務に従事していたものだった。
自分たちの命を引き替えにしても、とにかく無関係である村人たちを逃がすことを最優先とする。こうした事態が事前に予測されていて、そのための行動が忠実に守られた結果だ。
――呆れるほどの、準備の良さ、だった。
だから今、本当に行き場を無くしているのは、神官一族の唯一の生き残りである娘だけだった。
ルシカは、それについて何も言わなかった。
ただ黙々と、毎日朝から晩まで、皆にまじって、村の跡地へ出かけて作業するだけだ。
立場上、作業に当たる村人の先頭に立って指示を出しながら、遺体を埋葬し、灰の中から遺品を掘り集め、分類していく。
気が滅入るだけの作業だったが、ルシカは手を休めることも、文句を言うこともなかった。
ただし。
嘆くことも、怒りをぶつけることも、泣くことも、しなかった。
食べたり飲んだり眠ったり必要最低限のことはしているが、それだけ。
ただ毎日、黙々と作業をする。魂が抜けてしまっているような、危うい気配は見ている側にも伝わってきて、ひそひそと村人たちが心配している声も、セラの耳には入ってきた。
……ああいう子じゃないんだ。ルシカは本当は、もっと明るくて、うるさいくらいなんだ。
よそ者であるセラに、そっと打ち明けるように、ルシカの幼なじみだという青年が告げた。
正直、今の少女の様子が普通じゃないことはわかるが、その前の姿を知らないセラにとって、そんなことを告げられても、答えようがない。
ただ、その言葉で疑問が解けたようには思った。
生き残ったルシカを責めたり、暴動が起こったりする気配がなかったのだ。
理不尽な八つ当たり以外の何物でもないが、突然の災厄で気が立っている状況下なら、そういうこともありえるかもしれないと思っていた。それは心配に終わりそうだった。
よほど、神官一族の人柄が信頼されていたのだろう。
いざというときの、準備の良さも助けとなったのかもしれない。
あまりといえばあまりな徹底ぶりに、薄ら寒いものすら感じたが。
「……慣れているんですね」
黙々と、淡々と。作業をしているセラに、声がかかった。
顔を上げれば、ルシカが青い目で、じっとこっちを見ていた。
不思議な娘だと思う。こんな状態で、そういうことを発見できる目の鋭さを持っている。
確かにセラは、こういった死と空虚の充満する、寒々しい村の残骸を知っていた。
「経験者だ」
いつもの自分なら黙っているところだが、特に気負いもせず、正直に告げていた。
今この場所で、相手はロイの妹だから、抵抗がなかったのかもしれない。
ルシカが軽く眉をひそめた。
「先ロストール王フェロヒアが、ディンガルに攻め込んだことがあった。知っているか?」
「いいえ」
セラが微かに笑った。それも仕方のないことなのかもしれない。
この少女が生まれたばかりのころの話だ。
目の前にいるこの少女は――本当に、まだ若い、のだ。
「戦だから、いくつか村が焼かれた。俺が住んでいた場所も、その一つだ」
闇夜を焦がして踊り狂った炎は、命も思い出も、呆気ないほど簡単に呑み込んだ。
あのとき以来、自分の手を握りしめていた姿だけが、たった一つの支えとなった。
それを取り戻すためになら、なんだってする。
セラのこの話を、ルシカが何と思ったのかはわからない。
ただ、ふっと微かな表情浮かべたような――そんな気がした。
六日目。村は、あらかた片づいた。
ルシカは村の入り口に立って、次々新しい居場所へと帰って行く村人たちを見送っていた。
最後の一人の背が見えなくなって、ようやく息をついた。
そして隣に立っていたセラに向きなおり、深く頭を下げた。
「ありがとうございました。色々と、手伝ってくれて」
そこまで言うと、気が抜けたように、その場に座り込んだ。
「……終わっちゃった」
ぼんやりとした口調で、村人が出て行った村の入り口を見つめて呟く。
しばらく沈黙が続いた。このままこの調子が続いたら、まずいだろうなと思い始めた頃、ルシカは膝頭に顔を埋めた。
伏せた顔から、くぐもった嗚咽のようなものが聞こえてきて、変な話だが、少しセラは安堵する。
「たいしたものだな」
「何が?」
「ロイも、お前の父親も、お前も」
「…………。あたしは、本当はよく知らないの」
本当に気が抜けたらしい。口調が、少し幼いものに変わっていた。
「何にも教わらなかった。この村が何を守っていたのか、いつの間に、みんなこれだけの準備をしていたのか。教わったのは今あたしがしていることだけ。お葬式のたびにお父さんが言っていた。後を担うのは生きている者の務めだって」
「…………」
「あたしは、何の役にも立たない、一族の落ちこぼれだったから。これくらいしか、できることがなかったんだろうね」
そうではないだろう。ルシカも多分、分かっているはずだ。
せめてお前だけでも生き延びてくれというのは、当たり前の祈りだ。
役目があるということは、そんな祈りの手助けとなる。
そして、生きていくためには、もう一つ。
顔を伏せたまま、ルシカは尋ねてくる。
「……お兄ちゃんは、本当に、生きているの?」
「少なくとも、俺は、そう信じている」
「……そう」
何かが切れたのか、ルシカの嗚咽が大きくなる。
村を喪ったあのとき、握りしめていたシェスターの手が、自分の中の生きる糧となったように。
生き残ったその後を支えるためには、一滴でも良いから希望が必要なのだろう。
自分がそれを与えてやれるとも、与えなくてはならないとも思っていない。嘘でしかない希望は、かえって残酷な結果を生むこともあるからだ。
けれど、不確定の未来があって、一つの可能性が残されていて。
それが希望のかわりになるなら――利用してもよいとは思う。
「出立は、明日の朝だ。いいな」
セラの言葉に、ルシカが顔を上げた。涙で潤んだ目が海のように見える。
それでも、彼女ははっきりとした声で答えた。
「はい」
2006-06-18