うつろいゆくもの 

1.body

 粉塵も悲鳴も、すでに収まりを見せている。
 小さな国の首都だったというその王城都市は、空から降り注いだ火の雨と、街路に解き放たれた魔物に蹂躙され、一夜にして、見る影もなくなった。
 血と煙が巻き起こす死の匂いから離れるように、ヴァシュタールは中空に浮かび、街と人間の残骸を見下ろしていた。

 ――あまりにも脆いものだ。日常とやらは。

 達成感を覚えるには、簡単すぎる作業だったし、快感を味わうほど、破壊衝動に餓えているわけでもない。
 別に、魔人の仕事は、殺戮というわけではない。
 最優先されるのは、主君ウルグの命であり、主君の悲願の成就だ。その過程で敵対者を壊滅させることも多々あったが、それはあくまでも目的達成のための、一つの作業にしか過ぎない。
 少なくともヴァシュタールは、そう位置づけていた。

 ヴァシュタールは、眼下の廃墟に目を落とす。
 薄汚れた大地からは、ソウルもほとんど立ち上らなくなっている。ヴァシュタールは、同じように帰参の頃合いを伺っている、長身の同胞の姿を見つけ、空から降りた。
 音も立てずに近づく気配は、敏感に察せられたようだ。
 バルザーは、振り返らぬまま、口を開いた。

「高みの見物か」
「我が手を煩わせるほどのこともなかろう」

 眉一つ動かさず、ヴァシュタールは告げた。
 一瞬沈黙が訪れる。それを打ち消すように、場違いに高く響く女の笑い声が、死臭混じりの風に乗って流れてきた。
 そちらに目を向けて、バルザーは素っ気なく呟いた。

「……対極の者もいるようだが」
「アーギルシャイアか。あれはこの手のことには熱心だ」
「久しぶりの参戦のせいか、血に酔っているようだ」

 その言葉の意味を確かめるように、ヴァシュタールは風上に目を向けた。
 静寂を破り、瓦礫の山の向こうで大きな爆風が起こる。しばらくしてから、何もなかったはずの空間に、右腕を赤く染めた薄着の女が現れた。軽やかな足取りで、こちらへと歩いてくる。
 長い金の髪が、風に揺れる。
 彼女は足を止めて、唇をつり上げた。

「ウフフ。二人とも、こんなところで休憩でもしているのかしら?」
「そろそろ引き上げる」

 ヴァシュタールの言葉に、アーギルシャイアの興奮で上気していた頬が、見る間に色褪せた。
 不満を赤い瞳に浮かべ、彼女は吐き捨てるように言った。

「まだ終わってないわ」
「際限がない」

 口を挟んだバルザーを睨み返し、アーギルシャイアは首を振って、金の髪を背に払い、媚めいた色を唇に浮かべた。

「新しい身体を手に入れたばかりなんだもの。少し運動しないとね、馴染まないのよ」
「軽率な真似は慎んだ方がいい。人間への無闇な憑依は、高くつくぞ」
「サムスンのことを言っているのかしら? あんなのと一緒にしないで。私は、ちゃんと仲良くなれる子を選んでいるの」
 バルザーの忠告を笑って流し、アーギルシャイアは右の指先についたままだった血を舐めた。
「ウフフ、さっきの男の絶望した顔、すごく良かったわ。親しい者に殺されるときの人間は、違う声で泣くのね。この身体の昔の恋人だったんですって。丁寧に遊んでいると、素敵な偶然に出会えることだってあるのよ」
 アーギルシャイアは、ひらりと飛ぶように身を宙に躍らせた。

「あと一つ燃やしたら、帰るわよ」
「また同じ過ちを犯す気か?」

 ヴァシュタールの嫌味に、アーギルシャイアは肩をそびやかして答えず、背を向けて再び廃墟の中へ消えていった。
 つい最近まで、彼女は違う肉体に宿っていた。
 その器が駄目になったのは、他でもない、今のように個別に人間を嬲り殺している最中に、相手から思わぬ反撃をくらってのことだった。
 追いつめられた生き物は、思いもかけない暴挙に出ることもある。
 そのことをアーギルシャイアは、身をもって思い知ったはずなのだが。

「……何故、同じ事を飽きもせずに繰り返せるのか、理解に苦しむ」
「生まれた理由が、そこにあるからだろう」

 呆れたように呟いたヴァシュタールに、隣から答えがあがった。
 思わぬ返答にヴァシュタールが目を向けると、バルザーは淡々と続けた。

「元は人格なき、微力な存在たる精霊の化身だと聞いている。復讐のために生まれ、それしか知らぬと思えば、哀れな女と言えるかもしれぬ」
「ほう。お前の口から、情けが出るとは、思っていなかったが」
「情けではないが。アーギルシャイアは、『女』にしか宿れぬのかもしれぬと思ってな。そうであれば、あの気性や言動もわからぬでもない」

 魔人は、死なない存在とは言え、例外はある。
 魂は死なないが、肉体はその限りではない。特にアーギルシャイアの場合、それが顕著だった。他の魔人と違い、彼女だけは、物資界と異なる次元――精霊の嘆きから生まれた新参の魔人であるために、元から、実体をもっていなかった。
 そもそも『彼女』という性別も、便宜上のものに過ぎない。乗り移った身体が、すべて女だったせいだ。
 もっとも身体に現れ出る人格は、明らかに女を強く匂わせるものではあったから、自分に似た属性を持つ器を、本能的に選んでいるのかも知れなかった。
 駄目になるたびに、彼女は身体を変えて、殺戮に明け暮れる。

「ずいぶん知った口をきくな、バルザーよ。貴様が興味があるのは、魔人の方か、それとも人間の方かな」
「人間の影響力や精神力を、軽んぜぬ方がいい。アーギルシャイアの言葉ではないが、サムスンの例がある」

 人間に憑依を繰り返した結果、精神を崩壊させた同胞の名に、ヴァシュタールは不快な気分になった。人間が強かったのではなく、あれはサムスンの精神の方が脆弱であったと思っている。
 強力な魔力を求めて身体をさまよい、精神に変調をきたすなど、本末転倒も甚だしい。惨めな醜態をさらした部下に、同情はわいてこなかった。

「愚かしい。精神の迷妄は、真理を遠ざける。所詮すべては、運命の輪の中で躍っているに過ぎぬ」
「……。ただ生きるだけでは、世界は停滞する。変化を生むために、物資界の肉体には精神が与えられたと聞いているが」
「ほう。誰からだ?」

 ヴァシュタールの問いかけに、バルザーは答えなかった。





 2.mind

 久しぶりに会ったその女は、やはり記憶とは違う顔をしていた。
 だが魔人にとって、顔の違いなど、どうでもよいことだ。
 大切なのは、円卓の騎士としての役目を果たしているかどうかだ。

「また随分似合いの身体を見つけたようだな、アーギルシャイアよ」
 砂埃にまみれ、地面に這い蹲ってあえぐ黒髪の女に、ヴァシュタールは冷たく告げた。
「私に教えてくれ。ウルグ様に秘密で、何をしていた?」
「………ふ、ふ……おもしろいことよ……」

 アーギルシャイアは、乱れた黒髪の隙間から、こちらを睨み返し、顔を歪ませて笑った。
 不遜な態度の返礼にヴァシュタールは再び衝撃波を放つ。
 見えない風が、女の身体を鞭打ち、跳ねとばす。無防備に晒していた白い肌に、いくつもの赤い傷が刻まれる。アーギルシャイアは悲鳴を上げて、膝をついた。
 人間の身体は――特に女の柔肌は、薄くて脆い。簡単に駄目になる。

「アスティアに続いて、貴様も背信するか? 私の配下の円卓騎士に、ふたりも裏切り者が出るとはな」

 荒い息を吐きながら、起きあがろうとするアーギルシャイアを眺める。
 おそらく元は優秀な魔道士だったのだろう。非力で、従順で、それでいて精神だけは尊大で。美貌を持ちながらも、それが生かされず、結果として闇に惹かれる素養を持った――かつてのアーギルシャイアの器たちと、似通った雰囲気を持つ女の名残を、そこに見た。
 相変わらず、器の好みは変わっていないらしい。
 ヴァシュタールの脳裏に、過去のバルザーとの会話が蘇った。
 興味を覚え、攻撃の手を止めると、ヴァシュタールは口を開いた。

「質問を変えよう。教えてくれ、アーギルシャイアよ。女とは、裏切るものなのか?」

 それを嘲笑ととったのか、誇りを傷つけられたような朱の色が、アーギルシャイアの顔に走る。だが彼女が答えるよりも先に、第三者が割って入ってきた。

「……アーギルシャイア様!」
「サイフォス、来ては駄目!」

 すかさずヴァシュタールは、右腕をかざし、小剣をかざして斬りかかってきた男を魔法で跳ね飛ばした。背中から地面に落ちた男に、起きあがる暇を与えず、続けざまに衝撃波を打ち込む。
 うめき声をあげる仮面の男に、とどめをさそうとヴァシュタールは手を挙げたが、そこに黒い影が滑り込んできた。

「……何の真似だ」
「うるさいわ!」

 倒れた男をかばうように、男と自分の間に立ちはだかったアーギルシャイアの姿は、ヴァシュタールには信じ難いものだった。
 さきほどの制止の声を思い出し、確認するようにヴァシュタールは尋ねる。

「アーギルシャイア、貴様、たわむれに人間を飼っているのか?」

 あれほど人間を憎悪していた、この女が。
 問いかけながらも、期せずして答えを得た気がした。
 女が、何をもって、裏切るのか。
 そして、それは絶対に自分には理解できぬものであることも、同時に悟る。

「飼っているのではないわ。私のサイフォスに手をかけるなら……あなたを殺すわ、ヴァシュタール!」

 叫びと共に、アーギルシャイアが呪文を放つ。
 だが、ヴァシュタールにはまるで脅威とならなかった。実力の差は歴然としている。
 無駄な真似を続ける部下に苛立ちを覚え、ヴァシュタールは光の風圧を閃かせて、アーギルシャイアの呪文を打ち消すと、逆に愚かな女にたたきつけた。
 絶叫が響き渡る。魔人の魂にも傷を付ける、制裁の刃だった。
 アーギルシャイアは膝をつくと、そのまま力なく地面に崩れ落ちた。

「アーギルシャイア様!」

 慌てて仮面の男が駆け寄り、腕にアーギルシャイアを抱き上げ呼びかけた。
 アーギルシャイアは、応じるように目を開け、男の肩を借りて身を起こすと、荒い息づかいながらも気丈にヴァシュタールを睨みつける。
 そこで初めてヴァシュタールは、アーギルシャイアの瞳に浮かんでいるのが、憎悪以外の色だと気がついた。
 支えてくれる男を得て、反抗を覚えた女の目は、憎悪一色に駆られ、盲目的に享楽的に殺戮を繰り返したあの頃とは、わずかに向かう先が違うらしい。

 ヴァシュタールは、気が抜けるのを感じた。
 ――まるで児戯のような一幕。繰り返される、光と闇の茶番劇。
 手を下ろし、素っ気なく告げる。

「おもしろい冗談の礼だ。今は殺さぬ。二度と私の前に顔を出すな」
「……ふ、ふ……何の真似かしら?」

 なおも強がる声をあげるアーギルシャイアに、ヴァシュタールは物憂げに言った。

「ただの女に成り下がった円卓の騎士など、殺すにも値せぬ。
 分かっているだろうが、身体は取り替えられても、その傷は癒えぬ。来るべきウルグ様の終末の業火に、その人間ともども焼かれて同じ時に死ぬるがよい」

 そう告げると、ヴァシュタールは身を翻した。
 最後に一言、置きみやげのように、言い残す。

「深入りしすぎるとつらいだけだぞ。愚か者が」



3.soul

 ――人間の影響力や精神力を、軽んぜぬ方がいい。
 その一つが、愛だとでも、言うつもりだろうか。
 アーギルシャイアの変貌を苦々しく思い返し、同時にヴァシュタールの脳裏に、いくつかの顔が閃いた。
 預言通り、人間の女との間に子を設け、息子に討たれた男。
 人間の子を育てるうちに、情が移り、己の役目を放棄した妹。
 愛した女を殺され、復讐に身を焦がし、闇に落ち、破壊神となった……かつての神々の英雄。

『哀れなものね。ヴァシュタール』

 あの森の奥の封印の村で再会した妹は、静かに言った。
 最初こそ絶望に顔を引きつらせていたアスティアは、ヴァシュタールの言葉を聞く最中に、態度を変えたのだ。

「人間に情が移ったか、愚かな妹よ。運命は変えられぬ。ウルグ様が蘇れば、全ては意味亡きこととなるものを」
「意味は消えないわ。意味は生み出すものであり、いつまでも残るものよ。たとえウルグ様が目覚めようとも、あの子と過ごした16年の思い出は、私の中に残り続けるわ」
「それが何だと言う? 愛など都合の良い自己弁護。己だけの真実を得たと錯覚したに過ぎぬ」

 ヴァシュタールの言葉に、不意にアスティアは肩の力を抜いた。
 ゆっくりと静かな眼差しを、双子の兄に向ける。

「……哀れなものね、ヴァシュタール。そうやって、あなたは全てを高見から見ようとする。外から眺めることしかできないあなたに、私のこの気持ちは分からない。
 だから、あなたは輪から降りられないんだわ。無限の時を生きながら、あなたは有限を生かす方法を知らない」
「詭弁に過ぎぬ」

 ヴァシュタールは、あっさりと切り捨てた。
 妹が指摘しようとしていることは理解できるが、共感はできない。
 それが主観であって、真実ではないことを、ヴァシュタールはよく知っている。
 迷いを開け放ち、生の営みを越えた場所にある真理をもたらすもの。第三の目を持つ故に、自他を交えぬ、透徹した目を持つ彼は、自分自身をも正しくとらえていた。
 感情で道理は曲がらない。
 情に流され、それに支配されるということは、この月蝕の神には、馴じみのないものだった。
 ――あのときの妹は、もはや地獄の女王ではなかった。おそらく、一介の『母親』と呼ばれるものにまで、落ちていたのだ。
 アーギルシャイアが、気づかぬ間に魔人たる存在に揺らぎを持ち始め、ただの女となったように。

 深入りしすぎるからだ。
 違う存在としての目が開かれ、それに飲まれてしまった、愚かな女たち。
 いや何も女には限るまい。
 魔人であることから降りつつある、かつての同胞たち。
 うつろいゆいては、もとにもどるばかりの世界の中で、揺るぎなく在ることの方が、難しいのかも知れない。

 実を言えば、ヴァシュタール自身も、昔ほど、ウルグの復活に積極的ではなくなっている。
 ウルグ自身もまた、運命の駒の一つに過ぎないのだろうと気づいてしまったからだ。
 だからと言って、それが何になる?
 所詮全ては茶番に過ぎぬのなら、どこに居ようと同じではないか。
 本当は破壊神の復活など、どうでもよかった。だが自分は『開け放つ者』であり、それ以外の何者でもない。他の魔人たちのように、己を見失うということは、真理を見通す天眼を持つ魔人には、あり得ないことだった。

 それに、この身は滅びない。
 どれほど世界に倦み疲れて飽きようとも、ウルグ以外に、この身を滅することは叶わないのだ。
 自分の生すら、おそらくは茶番に過ぎぬのだろう。
 どんな形であれ、光と闇の戦いに終止符が打たれるまで。



 ――終止符は、予想とは違う形で表れた。
 死より生まれし獅子に君臨するはずだったウルグは、今生では別の身体、アスティアが育て上げた無限のソウルに宿った。
 その者は、不死の魔人に死をもたらす者として、ヴァシュタールの前に姿を現す。
 微細にして大きなその変化を前に、ヴァシュタールが何を思ったのかは分からない。

2009-09-09

09年暴れ祭に出したものです。好きキャラへの愛を、妄想たっぷりに叫ぼうという主旨のお祭りでした。どうせならアーギルシャイアがいかに可愛いかを伝えようと思ったら、仕上がりが妙に渋いものに……ヴァシュタールとバルザーという組み合わせがいけなかったのでしょうか。

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