祈りの種・後編 

 かさかさと落ち葉を踏みしめる音が森に響く。間をあけて、足音を消して追いかけていたつもりだったが、一人の男が足を止め、仲間に声をかけた。
「つけられてるぞ」
 仲間たちが辺りを見渡す。なるほど。さすがに腕は立つらしい。
 カフィンは木陰から姿をあらわした。四人組の冒険者は一斉に武器を引き抜いた。
 カフィンに向けられた目は、人を見る目ではなかった。魔物を相手にするときと同じ目と動き。ためらいのない、あまりにも手慣れている様子に、冴え冴えとした怒りが身体に満ちた。
 ――ダルケニス狩りを専門とする冒険者。
 あんたたちは、こうやって、あたしの娘を、静かに暮らしている同族たちを殺したの?

 カフィンが薔薇の笑みを浮かべて、飛びかかってきた愚かな獲物を迎える。
 甘く香る頭の芯を溶かす熱が、男たちを包み込む。誘惑の術がきいたのは二人。一人は武器を取り落とし、一人はその場に立ちすくんで恍惚とした表情で中空を見つめる。
 仲間の一人が慌てて動きを止めて、七色のなんこうを取り出そうとする。目前の敵より、手元の道具に気をとられた瞬間を狙って、フリーズの術をたたき込む。悲鳴と共に男が倒れる。
 一人無事で立っている男が、いままで退治してきたダルケニスとは全く違う女の反応に、驚愕の表情を浮かべた。
 バカな獲物。その姿が滑稽で、この上なく憎かった。

 注意深く相手の動きを伺って、計算ずくで、刃の軌道の上へ。
 狩人の技術を駆使して、怯え、逃げまどう相手を、取り囲んで始末するのは楽だったでしょう?
 追いつめられ、狩られる者の立場を思い知ればいい!

 隙を見せたら、それは命を明け渡すのと同じ事。一息に相手の懐に飛び込み、胸の位置に合わせて下からロングソードを突き出す。確かな手応えがカフィンの 手にかえってきた。引き抜いた刃についた血糊を払い、しとめた獲物には見向きもせず、動きをつなげる。――まだ満足に動けないでいる、次の獲物へ。
 秋の空の下で、赤い風が舞う。



 最後の一人を相手にしたときは、カフィンの息も上がっていた。
 追いつめられた獣は牙をむく。突き出したカフィンの剣がはじきとばされ、体勢を崩して空いた脇腹に、刃を突き立てられる。
 身体を貫く苦痛に声を上げて、それでも渾身の力を振り絞って、カフィンは腕を伸ばして、相手の頭を包み込むようにして、意識を一気に集中させる。
 憎しみに歪んだ男の顔が、カフィンの目の前で大きくぶれた。葉の落ちかけた梢の間を裂いて、絶叫が空へと響く。意識がとぎれそうになったが、なおも気を 一点に集中させる。男の輪郭がぼやけていく。最後にカフィンの目に残ったのは、死の恐怖と苦痛に歪み、ぱくぱくと口を開いた男の顔だった。
 カフィンの腕の間をざらりとした灰の固まりが滑り落ちた。地面に降り積もった灰を、秋の風が吹き抜けて、少しずつ払っていく。
 脇腹からあふれる血が止まらない。たまらず座り込んだカフィンの身体も、灰にまみれる。

 ――この場所で、こいつらと一緒に終わるのは嫌だ。

 重い身体を引きずり、半ば這うようにして、カフィンは三つの遺体とわずかな灰の固まりをそこに残して、その場から離れる。自分でも呆れるほど、緩慢とした動作だった。身体に力が入らない。
 街道へ戻る気はなかった。立ち並ぶ木々の幹にすがるようにして、ふらつく身体を支え、森の奥へと足を進める。

 このばけものが。

 断末魔の余韻が身体の奥で鳴っている。灰に変えるほどに精気を吸い尽くせば、相手の精神が自分に流れ込む。安酒に悪酔いしたように意識が混濁する。
 どこか水辺へ行きたい。灰にまみれたこの身体を洗いたい。
 明るい、綺麗な空気を吸いたい。この心をとりだして、丸ごと洗い清めたい。
 憎しみと悲しみが心を食い荒らす。

 おぞましい生き物。退治しなければ人間に危害が及ぶ。
 違う! 違う、あたしたちは!

 本気でダルケニスは恐ろしい生き物だと思いこんで、潔癖なまでの無知な正義感で『退治』を行っていた愚か者たち。金目当てだったら蔑みで終われたのに。 甘く熱い血の香りがする。確かにこれはとても甘美で私たちの心も身体も満たすもの。けれど、だからといって、それだけで。
 同じ世界で生きていくためのルールを、あたしたちは守って生きている。

 似た外見であるということを利用して、人間を欺き続けているくせに。
 あんたたちがそれを強要するんじゃないの!

 嘘をついて場に溶け込む。そうしなければ生きていけない。けれど、それだけではなく――。
 バカなカミラ。どうして人間の男なんか。遊びなら、一時の慰めなら、傷つかずにすむのに。
 あたしたちは時の流れが違う。あたしたちは迫害される。精気を吸い血を吸う、姿が似ているだけの「違う生き物」であるあたしたちは、人間の社会の中で目立たないように生きていくだけで精一杯。誰か特定の一人と、一緒に暮らしていけるわけがないでしょう。
 人間は変わるのよ。
 理想に燃えていたバロルだって闇に落ちた。仲間たちだって、みんなバラバラ。

 私は母さんとは違う。

 違う生き方を選んだ娘なら。言葉だけは予想がつく。
 カフィンを否定しているのか。責めているのか。その言葉の意味は、もう手に入らない。
 娘が何を考えていたのかなんて分からない。それを知る機会は永遠に失われてしまった。



 どこを歩いているのかも分からず、森の中をさまよい歩く。目がかすみ、気が遠くなりかけたカフィンの耳に足音が聞こえた。小さな軽い足音。獣とは違う、二本足の人間の気配が近づく。
 悲鳴と共に人を呼ぶ声がした。逃げようにも、動くことすらできなくなっていた。その場に、崩れ落ちる。
 ――どうせ終わるなら、人間の手の及ばない、静かな場所で静かに消えていきたかった。
 足音が増える。重みのある大人の男の足音が、一つ二つ、もっと……。頭上で騒ぎ立てる声がする。
 伸ばされた手の気配を背に感じて、カフィンは最後の力で、それを振り払って叫ぶ。
「触らないで!」
 あんたたちの精気は、この身を、心を汚す。
 そこまでが限界だった。必死につないでいた意識がそこでとぎれた。

 

 暖かな柔らかなものに包まれている。薄いカーテンのひかれた窓から、淡い光が差し込んで、カフィンの寝かされている寝台の上にゆらめくような影を落としていた。
 外は良い天気らしい。
 見知らぬ部屋で目を覚ましたカフィンは、首だけを巡らせて窓を見つめた。
 とんとんと軽やかな階段をあがる音が近づいて、部屋の戸が開いた。
 明るい栗色の髪をした少女が、カフィンの視線を受けて、笑顔を浮かべた。

「良かった。気がついたんですね! あなた森で倒れていたんですよ。町の人たちがここまで運んできたんです。三日も意識がないから、とても心配しました」
 カフィンの不安を払おうというのか、問いかけを受ける前に少女は、はきはきとした口調で説明してくれた。人なつこい明るい瞳を、まっすぐにカフィンに向けて笑う。
 それを聞いても、カフィンは何の感慨もわかなかった。ぼんやりと窓へと目を向ける。
 カフィンの視線を追って、少女が窓辺に駆け寄る。
「カーテン開きますね。窓、開けた方が良いですか?」
「風が、欲しいわ」
 少女は頷くと、小さな手で留め金を外し、そっと窓を開けた。
 秋風がカーテンを揺らし、部屋の中を吹き抜けた。息を吸い込む。まだ胸の奥が、濁ったように重かった。
 胸の濁りを抱えたまま、カフィンは少女に尋ねた。

「どうしてあたしを助けたの?」
「……だって、とてもひどい怪我で……放っておけなかったから」
 少女の戸惑ったような声を受け、薄くカフィンは笑う。
 人間はそういうことをする。自分の手で傷を付けておいて、憐れみを覚えると気まぐれに手を差し伸べる。
「あたしは、ダルケニスよ」
 上半身を起こすと、脇腹を中心に焼けたような痛みが身体を走った。歪んだカフィンの顔を見て、少女が慌てて駆け寄ってきた。
 まだ幼い少女だ。ダルケニスという言葉を知らないのかもしれない。わざわざ聞かせるようなことでもないから、誰も教えないのか。追いつめられ殺され、過去の生き物として封印されつつある種族のことなど。
 少女に手を伸ばす。
 精気が足りない。血が足りない。ここでこの子の精気を吸ったら、あたしは本物の化け物として、心おきなく人間と敵対することができるかしら。
 心の底に残った濁りが、暗い誘惑を呼び込む。半ばは無意識、半ばは故意的だった。
 伸ばした指の先から、少女の精気がかすかに流れ込んでくる――。

『水辺へ行きたい。明るい綺麗な空気を吸いたい』

 願いをかなえるような清らかな青。
 ぱっとカフィンは手を引っ込めた。少女が不思議そうな顔で自分を見ている。
 身体を軽やかにかけぬけた、溢れて満ちていく清冽な光の源をカフィンは見つめる。
「あなたは……?」
「あ、ノエルです。この町の町長の娘です」
 そんなことを聞いてるんじゃないの。
 そう思いながら、カフィンもつられたように答える。
「そう。あたしはカフィン」
 屈託なく笑うノエルの顔を見ているうちに、自分がとても卑小な存在に思えた。何をしようとしたか思えば自分が恐ろしかった。目をそらしてたずねた。
「……あなた、あたしが怖くないの? ダルケニスのことを知らない?」
 ノエルは、困ったような色を瞳に浮かべた。
 知らないから簡単に近づけるのねと、なぜか軽い落胆を感じたところへ、ノエルの答えがかえってきた。
「この町は、けっこう歴史が古くて。私の先祖が創始者だそうですが、ここを作る前は冒険者として世界を旅していたそうです。そのご先祖様の話が、たくさん残っていて。ずいぶんあちこちにでかけて、いろんなものを見てきた人で……ダルケニスにもあったことがあるそうです」
 ご先祖様。まだダルケニスが世界に多くいた頃のことなら、さぞかし悪い迷信が流行っていたことだろう。
 そんな話が持ち込まれて、今でも脈々と間違った形で語り継がれる。
 きつく唇を噛みしめ、顔をそむけているカフィンを、ノエルがいたわるように、憐れむように見つめている。いや、相手はまだ子供だ。他人にいたわりや憐れみを与えるには、経験が足りない。
 一番近いそれは悲しみ。
「カフィンさん、あなたを見つけたの、私なんです」


 ――誰か、誰か来て!
 自分に近づいてきた、小さく軽い足音と、あがった高い子供の声。


「怖い……とは思いました。本当に大怪我で、たくさん血があふれていたから。でも」
 泣いていたんですよ、とノエルが続けた。差しのばされた手を振り払って、触るな!と叫びながら。
 ざらついたものが心に刺さった。人間は、そうやって気まぐれに手を差し伸べる。所詮は憐れみだ。狩られて追いつめられる立場なんか、絶対にわからない。
 心の内で声を上げながら、目の前の少女の言葉を、素直に聞いている自分もいる。
 放っておけなかった、と彼女は言った。それは一時の、言葉だけの淡いものでしかないのかもしれないのに。
 伸ばした手がかすかに触れた、彼女の内側に宿っている清めの光が、カフィンの身体の内で響く。
 拾われた時の自分は、手負いの獣と変わらなかった。
 そんなにひどい有様だったのだろうか。
 同情を誘うほど――救わなければならないと思わせるほど?

 ふいに糸が切れた。叫び声をあげたくなるような衝動のままに、目の前のノエルに腕を伸ばし、小さな細い肩に、そっと腕を回して引き寄せて……抱きしめる。
 柔らかなノエルの髪が、カフィンの頬に触れる。
 いきなりのカフィンの行動にノエルは驚いたようだ。身体が硬直するのがわかったが、すぐに力を抜いて、一生懸命に言う。
「カフィンさん、な、泣かないでください」
 その声が新たな雫を呼ぶ。身体の内側の澱を溶かす。
 ダルケニスは、恐れられ、狩られる存在だ。姿を偽って、人間のふりをしていかなければ生きていけない。
 そうやって過ごしていく間に、誰かと共に生きたいと思ってしまうことさえある。生きていけるような錯覚を覚えてしまう。裏切られて、叶わない願いだと見切りをつけながら、諦めもつかずに。
 ダルケニスは、精気を吸い、血を吸う生き物。
 ――だから、感情の揺れにも、肌のぬくもりにも、敏感になるのだ。

「泣かないで、カフィン」
 囁くようなノエルの声が、自分の娘の声と重なって聞こえた。

 



 



 ああ、いい風。
 千年樹の枝が翻る。差別の強いこの国で、堂々と天へ腕を伸ばし、エルフにすら故郷を偲ばせるという樹を、愛しく見つめる。
 軽く息を吸い――精気を、わけてもらう。カフィン一人では枯らすことのできない強い生命力に安心して、注意深くそのみずみずしさをわけてもらう。

「カフィン!」
 聞き慣れた声が響いた。首だけ回して、通りを見つめる。
 ノエルが手を振りながら、大通りの向こうから走ってくる。お供の男二人がノエルの後ろからついてくる。
「遅くなってごめんなさい! ギルドが混んでいて」
「あら、別に良いのよ。あたしがここでのんびりしてる、って言ったんだから」
 上機嫌なカフィンに、ノエルは栗色の目を少しだけ見張って、笑った。
「カフィンって、緑の木の下にいると、すごく映えるね」
「悪目立ちの間違いだろう」
 ノエルの言葉の上に、すらりと皮肉の刃をかぶせたのはナーシェスだ。
 カフィンが片眉をつり上げて、ナーシェスを睨む。
「この陽気に、そんな暑苦しそうな格好で動き回る神官殿の気が知れないわね」
「あいにく私は竜王様に仕える身なのでね」
「……竜王様、ねえ……」
 ナーシェスの口から語られる竜王の名前は、どうも胡散臭く聞こえる。カフィンのさぐるような視線を、ナーシェスは取り澄ました表情で受け流す。
 そんな二人の様子などおかまいなく、勢い込んでノエルはカフィンに報告する。
「面白そうな探索依頼を受けてきたんです。もしみんながいいなら、すぐに出発したいと思うんですけど」
「やる気ねえ、ノエル。いいわよ、行きましょ」
 カフィンは立ち上がり、広場を出ようとして、丘の麓に並ぶ壮麗な貴族の住宅街の方を見た。
「カフィン?」
 自分を見上げるノエルに、カフィンは笑みを返す。
「昔ね。あそこのお屋敷に忍びこんだことがあるのよ。とても綺麗な子が居て、その子目当てに。フラれちゃったけどね」
「綺麗な子って……男の人?」
「まだ若くて可愛い子だったわ。一緒に来ないって一生懸命誘ったけど、行かないって言われちゃって」
「カフィン! 変なことをノエルに教えないでくれ!」
 レイヴンが注意を飛ばす。どうもこの男は、ノエルを天使のように思っているらしく、カフィンが悪影響を与えると密かに心配しているらしい。
「まったく、失礼な男ね」
「もしかしてカフィンがここに居たのって……」
「違うわ。気を回さなくていいのよ」
「え、あの、カフィン、その人に会って行かなくていいの? 用事があるなら出発は明日でもかまいません」
「いいのよ。あの子はあの子で、ちゃんとやっているみたいだし。それに今のあたしには、ノエルが居てくれるしね」
「え? え? え?」

 戸惑うノエルを見て笑い、そよぐ緑の風を受けながら、カフィンはレムオンのことを思う。
 残されたものに勝手に意味を見いだすのは、自分に都合の良い想像でしかないのかもしれないけれど、自分と違う生き方を選んだ娘が、娘の方法で種族の血を背負って、この世界で確かに生きていたのだと。
 そこにカミラの祈りを見て、一緒に祈る。
 憎しみを薄める清めの光。天へとのびゆく枯れない緑の枝。
 どうか、こういうものが、あなたの傍らにもあるように。あなたも見つけられるように。

 祈りを宿し、育て、残して、また、蒔いていく。
 あたしの中にある、そういうものが、あなたの中にもありますように。
 厳しく重い世界だからこそ、あなたの中でも芽を吹いてくれますように。
 あなたの中の、小さな救いとなりますように。

 

2006-11-05

エンサイクロペディアのカフィンの設定があまりにも凄すぎたので(笑)ついSS化しました。「バロル五星として活躍」とか「アンギルダンと恋愛してた」とか「娘がいた」とか、そして何よりレムオンのおばあちゃんだなんて!! カフィンは、今はノエルがいるから、昔の悲しみを懐かしく思い返せるような気がしています。