銀の祝福
※2018年レムオンお誕生日に書いた短文『二十年目の可能性』『百年目の可能性』を下敷きとしています(読まなくても平気です)。このお話と同じ時間軸上の女主・レムオンを想定してます。
「ねえレム……レムオン・リューガ」
不意に彼女が呼んだ名に、息が止まり、返事ができなかった。
久しく聞いていなかった名前だった。
その名で呼ばれていた金髪の貴公子はもういない。冒険者として生きる銀髪のダルケニスは、レムと呼ばれる別人だ。そう思って生きていた。
冒険者となったとき、名は捨てたつもりだった。
名乗れば残された者たちに累が及ぶ、忌まわしき名だ。惜しいとは思わなかった。自分の祖母や今も人間に混じっている同族のように、自分も生きる場所が変われば、名を変え、姿を変えていかなくてはならないのだろう。
それに今なら、昔の名を名乗り続けることは苦痛であることも、少し分かる。
自分の名を呼んでいた者たちは、次々と世を去っていく。昔の名を知るものがいなくなるのも時間の問題だろう。
誰に名乗ることもなく、誰かに呼ばれる名も持たない。所詮自分は名もない闇の生き物だ。それが呪われた血を持つ種族の運命だと諦めていた。
視線の先の、寝台の上の彼女に改めて目を戻す。
初めて会ったときより、一回り小さくなったように見えた。腕も声も細くなった気がする。自分だけは、昔と変わらぬままだというのに。
出会ってから、すでに半世紀以上が流れていた。
十年、二十年と過ごすほど時の隔たりは大きくなり、彼女が寄る年波には勝てず冒険者家業を引退するころには、もう埋めようがないほど遠くなっていた。等しくなったのは髪の色だけだ。少しずつ色が抜けていった彼女の髪は、今は自分と同じ白く輝く銀の色をしている。
彼女が不思議そうに瞬きした。
「何?」
「いや寝言かと……」
「違うわ。ちゃんと、起きているわよ」
むくれたような彼女への返答がわりに、彼女の言葉を近くで聞けるよう寝台の枕もとに置いてある椅子を引いて腰掛ける。
顔の位置が間近になると、彼女はこちらを向いて、穏やかに笑った。
「ふふ、私はね。こうして寝台の上で余生を過ごせるなんて、思っていなかった。守護妖精《ガーディアン》が、常に私を守っていてくれていたおかげね」
「……守護妖精?」
冒険者はただでさえ危険な職業だ。ましてや彼女は、無限のソウルの持ち主だ。神が去り混沌とした世界の中で、彼女を担ぎ上げようとする者、名のために命を狙う者。秩序や利益を求め、神殺しである彼女の周りは、絶えず波乱に満ちていた。命を狙われたことも一度や二度ではなかった。
「さっき呼んだのは、その守護妖精の名前よ。私を守り、そしてロストールのリューガ家を今も見守り続ける者の名。レムオン・リューガ」
最近では寝台から起き上がることも稀になっていた彼女が、身を起こそうとするのを見て、慌てて手を貸す。
差し出した手のひらに、彼女の小さな手がのせられた。同じ目線の高さになった彼女が、ふわりと笑う。
「前に話したことを覚えている? ダルケニスは妖精族の一種なのよ」
――花や草木や植物や人の精気を吸って生きるということは、きっと様々な喜びや悲しみや生きた時間を、その身に取り込んで、伝えていってくれるということでしょう?
いつか聞いた、彼女の言葉が脳裏に蘇る。
長い歳月が刻まれたその顔が、目を止めるほど瑞々しく、明るく見えた。今でも強く輝く瞳の光に、金色の麦畑で出会ったばかりの、あのときの姿が重なる。
これほど歳月が流れたのに、変わらないものがある。
若い時のあの笑顔で、彼女が笑う。
「これから先、名を変えて姿を変えて生きても構わない。でも貴方は私にとっても、リューガ家にとっても、この先の世界にとっても、銀の守護妖精レムオン・リューガなの。どうか、それだけは忘れないでいて」
金の髪をしていた自分が、黄金色の麦畑で彼女に遭遇した。それから目まぐるしい変遷を経て、自分は銀髪のダルケニスとして生まれ変わった。それは彼女の尽力があってこそだ。
だから、彼女がこの世を去ったら。
自分は名を変えるつもりでいた。完全にこの名を捨て、全く別の名を名乗り、闇に生きるものとして残りの生を終えようと。
けれど可能性の女神は、やはり欺けないらしい。
たとえ名乗る名を変えて、これから先の世にその名を知る者がいなくなっても。レムオン・リューガ――それは血塗られた政争に敗北した禁忌の銀のダルケニスの名ではなく、あの激動の時代を知り、見届けた銀の守護者の名前だと。
最後まで、未来の姿を変えて見せる。
「……全く、お前には適わんな」
苦笑のような言葉が漏れる。それを聞いた彼女が微笑んだ。
「私に金の麦畑以外の世界を最初に見せてくれたのは貴方よ。私の銀の守護妖精レムオン」
だからあなたは、この先の世界を見守っていて。
彼女が広い世界に出たことで、様々な人間が彼女と出会い、その運命を変えたのだ。そんな可変性に満ちた世界を彼女の代わりに見続ける。それもまた自分の贖罪であり、役目なのだろう。
彼女が名を呼べば、呪いが時を越える祝福へと変わる。
ささやかにして未来が変わる。それが彼女の持つ力だ。
2018-06-24
レムオンと女主です。このリク企画の直前がレムオンの誕生日で、そのとき20年と100年という『時間』をテーマにして書いたので、同じ時間軸での二人です。レムオンは「その後」が一番心配になったキャラで。女主はたぶんレムオンに「優しい世界」はあげられないんですが「世界を生き抜く優しさ」ならあげられる気がして。自ら呪いにかかるレムオンに、無限のソウルが、呪いを祝福に変えてあげる。そんなイメージでした。
楽屋落ちですが『金と銀』は金婚式(50年)銀婚式(25年)を意識したものでした。といっても前SS同様、特に関係性は明示してないので、婚姻関係というより「銀と金の期間を過ごした」という意味で。