MEMO

2015年08月の記事は以下のとおりです。

点と線

  • 2015-08-24
お、お久しぶりです!(最近この前フリばかりですね)
約一ヶ月ぶりになってしまいました。ひええ。
例によって例のごとく、半年に一度のこき使われ期の到来で、
お盆まで忙しく過ごしておりました。
お盆過ぎたら抜け殻になってました。真人間に戻りたい。

さっぱり音沙汰ない間も、拍手等ありがとうございました!
というかすみません!!
もうかれこれ一ヶ月前になってしまうのですが、コメントもありがとうございました。
すごく元気でました&やっぱり精神的な活力源って必要だよなーと
しみじみと感じました。

イズ、ネメア、エリュマルク、この三人の関係図は、
自分でも好きというか、いつか書いてみたいテーマとして
ずっとずっと温め続けているものではあるので、
もうちょっと丁寧に、きちんと形にできたらいいなーと思います。

私はエリス王妃が大好きで、
セルモノーとの関係も含めた上でのそのキャラクター性・設定に惹かれるんですが、
ディンガル王家三者の関係は、ちょうどその鏡とも言うべきもの、
ロストール王夫婦の正反対にあたるような気がしています。

イズ・ネメア・エリュマルクは、いわゆる三角関係なのですが、
実体としては、そこまで至らなかった――愛憎劇未満だったゆえの関係図で、
そこに悲劇(愛憎劇未満なので、哀切、かな?)があるかなと。
ロストールは、愛憎で橋が架かっていて、それがクーデターで崩落するわけですが、
ディンガルは、そもそも愛でも憎でも架け橋を構築できなかった……
トライアングルにならずに、途中分解したような図。
ロストール夫婦は『線』で、その線がもつれ合うのが問題なんですが、
ディンガル勢は『点』で、その点が結ばれないのが問題、のような。

あ、だからこの三人の面白みを、
簡単に言うときには 「すれ違い」 という言葉で言ってしまうんですが、
厳密に言えば、すれ違いでは、ないんですよね。

エリュマルク→イズ、イズ→ネメアの矢印はあるんですが、
想いは……確かに相手に向いているけど、
自分自身の存在を相手に寄り添わせているわけではないような気がして。
むしろ相手に自分の方を向いて欲しい、という引き寄せ型(笑) のような。

イズはネメアに惹かれたけど、ネメアの絶対性を信頼したわけではなかったろうし、
(施紋院の大神官として、ネメアではなく、レオニック文書の未来に従った)
エリュマルクはエリュマルクで、イズを得ることで、ネメアも得たかったというか。
イズを得ることで、ネメアと肩を並べられる存在になろうとした、ような気がするんですよね。
(『美しさに虜になった』のは『愛していた』とは違うわけで。
そして美しいものに惹かれる……自分の隣に並べたい、と思うのは、
鑑賞や憧憬の充足を求める一方で、権力誇示の意味もあると思う。
イズはもしかしたらエリュマルクのそんな人間的な部分を見抜いていて、
愛や憎しみ以前の段階、哀れみで片づけてしまっていたかもしれない)

そして問題の火種のネメアは、
そんなイズの思いも、エリュマルクの思いも届いてなかったのかもしれない……
それ以上に大切なこと(運命に抗うこと)があったので、
その思いに応じている場合ではなかった、というか。

私の中でのネメアのイメージ、というかシンボルめいたものが、
王者という星→ 北極星(揺るがない定点)なのですが、
ネメアは自分が留まっていて、自分の周りが動いていく図を見て、
なぜ世界は回っているんだろう? と不思議がってしまいそうだな、と思ってしまって。
自分は揺らがないが、世界はこんなに闇の気配で動じている!!
なんとかせねばなるまい→自分を中心に更に動乱が広がっていく(笑)

この辺がネメアという人の、英雄性であり火種性というか。
それがディンガルトライアングル(笑)にも表れているような気がします。



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