エリスの非
前回ツイッターでエリストークが楽しかったと書きましたが、
もう死語なのかな…コペルニクス的転換を味わって、
(自分の中でもやもや引っかかっていた部分も解けて)
すごく気持ちが良かったのでした。
こういう、キャラ像がガラッとひっくり返される感じは、
ジルジャンルでは、結構頻繁に味わう体験ではあるのですが、
久々にこれを感じて、やっぱり深いなあ楽しいなあと思いました。
というわけで、エリスのことです。
エリスというと、
・美貌も才能もあるが、その鋭い知略と手段故に、雌狐と恐れられてしまう。
・外向的には辣腕。料理・裁縫の腕前も抜群で、内面的にも非常に女性的かつ家庭的。
・なのに、夫にも娘にもつれなくされ、家族愛に恵まれない。
・また常に自分自身の存在を誤解されており、周囲に自分を理解されない。
上記より、私の中でエリスのイメージは、
不幸なキャリアウーマンであり、報われない不遇の女王。
そういうイメージでした。
勝手な想像ですが、
ゼネテスがエリスに抱いているイメージも、こういう像である気がします。
エリスの美しさ、才能、誇り高さ、強さを慕う一方で、
その献身が報われないことへの同情心や、
孤立無援である彼女の力になりたい・守ってやりたい。
そういう想いがあったのかなと。
才能や美や強さ、外的なものは全て持ってるのに、
内的な充実、愛や幸せを得ることができない。
そんな彼女に、幸せを与える存在…とまでいかなくても、
幸せを掴む手助けができれば、と。
うがった見方ですが、
エリスが政治的にも家庭的にも成功を収めた幸せなロストール女王だったら、
ゼネテスはたぶんここまで叔母貴熱をこじらせなかった。そんな気がします。
――このように、エリスの立ち位置に花を添えているのは、
才能、美しさ、強さ、その表裏一体にある孤独であり不運、報われなさ、のような気がしていました。
エリスは一生懸命やっていて、それにセルモノーやティアナは国民は応じない。
そう思ってたんですが。
ジルジャンル先輩の、ツイッターでのエリスへの鋭く深い人物評。
・エリスはセルモノーを愛していた訳じゃなく、「自分の夫」を愛していた人
・本当はいい人なのは確かだけれど、理想に固執して現実見なかった感ある。
・情操部分だけはずっと乙女
という指摘がね……!!!
脳天撃ち抜かれるくらい衝撃受けつつ、
すっっっごくすっきり納得してしまったのでした。
あああ分かる気がするー!! と、
ああ、だからか……!! が同時に来ました。
私は今までずっとエリスの立ち居ちがすごく好きだったのですが、
その陰の 「エリスの非」 について、考えたことがなかったんだわ!
一度違う視点をもらうと、それまで見えなかったものが見える気がします。
理想を掲げ、努力して突き進むことは悪いことではない、のですが、
Rさんは「乙女」という表現使いましたが、
エリスの、あの外敵を追い落とすための冷徹な策略と一途な努力、
厳しい教えや態度をとる一方の、裁縫、料理、家族への献身っぷりは、
私の中では 「鋼の修道女」 という言葉に変換されて、頭抱えました(笑)
そういう姿は、周囲には迷惑・心理的負担になるかもしれないです。
かもしれない、じゃなく実際セルモノー、ティアナはもろに煽り食らってる。
どうして二人が、あれだけエリスを嫌うのかわからなかったんですが、
(コンプレックスを刺激されるからかな? とは一応思ってたんですが、
出てくる台詞――感情の矛先と言い回し――で釈然としない部分があって。
劣等感・嫌悪感から生じたものなら、もっと違う言い方になる気がする、
ちょっとした齟齬感、もやもやしたブラックボックスめいた感じがあったんですが)、
その理由というか起因が、わかった気がしました。
セルモノーやティアナは、一方的にエリスを拒絶してたわけではなく、
エリス自身が、夫や娘のそのままの存在を受け入れていたわけではなかった、んですね……。
セルモノーとティアナは、そんなエリスに対する拒否反応だったともとれる。
セルモノーとティアナは無意識の中で、
本来の自分自身の姿ではなく理想の姿を追い求められることへの嫌悪を感じて、
エリスに拒否反応を示していたのかもしれない。
一方エリスは、無意識のうちに理想を現実に重ねて追いながら、
自己理解されることは、意識的に諦めてしまった部分があるように思います。
エリス自身、誤解されることについて悩み、
本当の自分が理解されない寂しさも知っていたろうに、と思うと、
分かり合いたいと思いながらも、すれ違うこの構図は……皮肉というより、切ない納得をもって迫ります。
そして、ああこの部分が彼女の非なんだな、とも。
無自覚は罪ではないかもしれないけれど、やっぱり非ではあるんですよね。
それが他人を巻き込んでしまう質のものならば特に。
新しい視点をもらって、エリスへの見方が変わっただけじゃなく、
セルモノーやティアナに関する見方、感じ方も変わって、
自分の中でもやもやしてた解釈できなかった部分が、するっと腑に落ちた感覚でした。
そういう意味で、すごく意義深いエリストークでございました。
(この場を借りて、本当にありがとうございました! 楽しかったです)