MEMO

孤独な罪人 編集

たくさんの拍手ありがとうございました~!!

先日ツイッターでのエリストークについて語りましたが、
この新しいエリス像をもらって楽しかったのは、
エリス自身のとらえ方も変わったと同時に、
エリス周辺の人物像への見方も変わったことです。

夫であるセルモノーに関しても、
ちょっとした心象の変化がありまして。
以下、少し呟いてみます。

エリスの夫でありロストール王・セルモノー。
ごめんなさい。実はちゃんと考えたことありませんでした。
あまりゲーム本編で関わりがない(=台詞・設定自体も少なめ)
ということもあって、
どう切り込んで良いのか切り口が分からず。

そんな彼ですが、それでも印象に残ったのが、
サムソン戦挟む最期の台詞でした。 →  

当初は、セルモノーの身勝手な自己弁護として聞いてました。
あるいは、小心で劣等感に苛まれた王の遅すぎる後悔。

(実際、サイトに乗せたのはティアナ生存版ですが、
最初に聞いたのは、ティアナ闇落ちルートでした。
「時間を浪費した。すまんな…エリス。今すぐ、お前にわびにゆく」
「我が娘ティアナを…た、頼…みま…す」
い、今さらすぎる……!もう姫さん闇落ちっス!!!
と脳内ツッコミ入れました)


ですが『エリスの非』を感じてから、
セルモノーのこの台詞を聞いてみると、
打ちのめされたというか、感じ入るところがあったというか。

……これは小心で劣等感に苛まれた王の、せめてもの自己弁護、じゃなく、
本気で、本心からの、台詞なんじゃ……?

これまでこの台詞を、セルモノーの劣等感から出たと思ってたのです。
エリスに対してはずっと「あれ」呼ばわりだし、
「ティアナが、もしも余の娘でなければ、余はあれと対等になれた」
エリスを貶める感覚も混じっていたというか、
エリスが自分と同じ場所に堕ちてくれれば
エリスと自分は同じ穴の狢になれる……
そういう自虐的な意味から生じた台詞かと。

更にそれを開き直ることもできなくらいに臆病で小心者なわけです。
「余はやっと解放されると思った」
「だが、もはや取り返しが付かぬという思いが、
なおさら余を苦しめるようになった」
劣等感を感じながら、罪悪感を覚えずにはいられない。
それくらいには良識が失われておらず、だからこその自縄自縛。

でも。これらを「鋼の修道女を妻にもらってしまった夫」視点で聞くと
血を吐くような男の本音、という回答がでてきまして。

ティアナ、お前さえ余の娘でなかったら、
余は孤独な罪人とはならなかったろうに。
余とエリスはふたりでお互いの罪を見ながら、
醜く共存できたろうに…。

もしエリスが不貞という罪を犯していたなら、
それは実際のところ、裏切り行為であるはずなのに、
セルモノーにとって、「孤独」ではなくなる……んですよね。
罪を抱けば醜くも共存できた。
鋼の修道女に対するその思いの裏にあるものは、
ねじれた関係というより――むしろ切実な希求、かもしれない。

ここで改めて、
『エリスは自分の夫を愛していただけであって、
セルモノーを愛していたわけではない』
という指摘の鋭さと重さがのしかかるわけです。

会話がなくても、当人たちでさえ無自覚・無意識であっても、
それでも通じてしまう、悟ってしまうものがある。
「理想に無自覚に邁進するのは罪ではないけれども、
周囲にとっては非になる気がする」
エリスに対してこう述べましたが、
それに応対しているのが、
セルモノーの「孤独な罪人」の文句である気がします。
無自覚な理想の光は、知らずに罪を求めるネガを生むのかもしれません。

そういう形で構成される関係もある……というか、
本当の理由は、多分当人達も分かってない、
それでも何かに対応するようにバランスをとってしまう、という点で、
人の直感の鋭さと、人間関係の不思議さを思うのです。


……と、ここまで語っておいてなんですが、これだとセルモノーが
「実はエリスに愛されたかった」感満載になりますね。
正直言うと、セルモノーは、そこまではまだ至ってない気がします(笑)
上記のセルモノー解釈は、かなり恣意的(力業的)という自覚はあるので、
『一人のキャラ観が変わると、
相乗効果で他のキャラの台詞までも違って聞こえることがある』
その例として、お納めくださいませ。

追記:ここから先はご都合主義な夢です。

そういう形でポジとネガを形作ってしまった夫婦ですが、
最後のセルモノーの台詞に夢見るとしたら、
互いに罪を見つめる共存方法ではなく、
次の日から愛そうとすれば良かった、その共存方法の行方です。

理想に燃えるエリスに、慎ましく地道な現実を教えていくことは、
理想を愛と錯覚しがちな夢見る乙女を、
現実的でしなやかな妻や母親に育てあげる行為な気がします。

これ、やれたら、セルモノーにとっても自信になるというか、
男の意義と誇りが、あっぱれなものとして花開く気がします。
そしたら全然違った未来が生まれたでしょう。
ただ、もうこうなると『ロストール』ではない気もしますが(笑)

共存は、愛とは出発点が違うでしょうが、
愛に近いものになっていく可能性は、あるかもしれません。

……ちなみに半内輪ネタで恐縮ですが、
「共に罪を抱えて生きることを愛にした」のが
ミイスの兄姉だと思ってます(笑)

愛の花はどこで咲くかわからない。



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