MEMO

キャラメルボックス 編集

あんまり……自分自身に関する事柄、趣味や環境のことを書くのも、得意ではないのですが。
演劇集団キャラメルボックスが、5月31日活動休止を発表しました。その雑感というか話です。

 

私は縁もあり、北のNACS、東のキャラメルボックス、西の新感線と、メジャーどころのお芝居を見る機会がありました。
と言っても、リアルタイム――生の舞台で見たのは、キャラメルボックスだけなのですが。
ただ、キャラメルボックスだけは、演目や役者の名前を知ってるというだけではなく……本当にご縁があって。
舞台も拝見したし、いろんなイベントにも参加させていただきました。

(今思い返せば、不思議な縁でした)
(ZABADAK繋がりでもありました。加藤さんのご厚意でのkatamiwakeは忘れられない……)


友人は『生モノを追いかけている以上、突然の別れは覚悟している』と言っていました。
私自身、その言葉の意味も知っているし、何度か実体験しています。
それは解散や休止という別れだけではなく……当然の訃報という形で幕を下ろさざるえなかったアーティストやクリエイターの姿としてでも。
悲しむ間もない関係者や、製作途中で止まってしまった作品群、それに携わっていた人々が奔走する場面も見てます。

『当たり前』が、ある日突然なくなる、ということの意味を、改めて考えさせられました。

でも今回のそれは、不意の別れ、とかそういうドラマチックな意味ではなく……もう少し、じわじわ迫るリアルな危機感とか、そういう感覚で。
というのも、決して本当の意味での、突然でもなかったからです。
番組終了、チケット販売状況など予兆はあったし――休止の一報を聞いた時、私は違う方面での想像もしました。
(公式からの続報は出ていないので、憶測になってしまうから控えます)
なんというか「予感ある突然」という感覚に近かったというか。

近年、マクロな視点でエンターティナーを見た時、この時世だと、もしかしたらキャラメルボックスの作風には厳しいかもなあと思ったことがあります。
創作関連や、エンターテインメントにも流行というものはあって、ハートフルがもてはやされる時代もあれば、それが子供じみた薄いものとして笑い飛ばされてしまう時代情勢もあります。
今の時代だと、後者の方で――キャラメルボックスにとっては厳しいかもなあと。

キャラメルボックスだけではなく、創作業界全般を見て、そういう体感を抱いていました。
そんなことを感じていた中での、この休止の一報で。
この急報という形、劇団員さんのコメントやブログを追いながら、本当にいろんなことを考えています。


クリエイターや創作者は……今の時代、すごく厳しいです。
読者や受け手にしてみれば、『突然』と思うかもしれないです。
でも作者当人や業界や関係者は、じわじわと壁や臨界点は、感じています。
おそらく、どの業界と限定されるわけでもなく、モノづくりをする、あらゆる業界は感じているかもしれないです。

けれど『モノを作って送り出す』というときに、できるだけそうした『裏側を見せない』という部分もあります。
だから、あんまり視聴者には気づかれないかもしれないです。
声優・女優の緒方恵美さんが「推しがいつまでもそこにいると思わないでください」とおっしゃってましたが……あれは、ファンに向けてでもあるけれど、現場を知る人の言葉である部分も重いです。

アイデアを種として、時間と労力と人力をかけて、夢を形にするという作業や、商業形態の現場は――たぶん想像以上にきついし儚いです。あっという間になくなります。
本当に、水際というか、自転車操業に近い部分があります。見えない水面下で、溺れないように泳いでることが大半です。

『当たり前は、突然なくなる』それは『当たり前が、維持できなくなる』でもあります。

だからどうか、いたわって、いつくしんで、おうえんしてあげてください、とも思うんです。

当たり前だと思って油断していると、失われるものはかなり多いです。
そして、今の時代情勢だと、それはどちらかというと、地味なもの、ピュアなもの、心情……没個性であり普遍性なものに多い気がします。
一番当たり前にありそうで、お金にならないもの、です。
クリエイターの端くれとして、それが真っ先に失われていくのは、あまりに悲しい。



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