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祖母が亡くなりました 編集

  • 2023-05-04

こちらでご報告もどうかと思ったのですが、気持ちの整理と故人の供養で。
以下は、個人的な祖母との歴史です。

昨日、祖母が亡くなりました。享年94歳。95歳の誕生日を来週に控えてのことでした。

私は幼少期、経済的な事情もあり、小学校半ばくらいまでのほとんどを祖母に育てられました。
おやつを用意してくれるのも、保育園の送り迎えも、初めての童話や本の全集を買い与えてくれたのも、夏休みの宿題をみてくれたのも、祖母でした。

祖母は優しいよりは厳しい人でしたが、忍耐強くて物事の道理もよくわかっていた人で、孫相手でもむやみに甘やかさず、かといって理不尽に怒ることもなく、黙ってこどもの面倒を見つつ躾はきちっとする。頑なすぎず柔軟すぎず、ごく普通の等身大感覚を持った真面目な人でした。
どちらかというと骨太のかっちりした顔立ちでしたが、色白で実はお洒落で服のセンスも良かったです。女優の草笛光子さんみたいな背筋の伸びたきりっとしたタイプの老女でした。

小学校の途中まで同居していましたが、その後、祖母は今度は生まれたばかりの叔父の息子(私のいとこ)の世話のため、叔父の家に移ることになり、私は大学進学時に家を出ました。その後孫の世話を終えた祖母は、再び私の実家に戻り、70歳を過ぎてようやくゆっくりと悠々自適の日々を過ごしていました。私は時々顔を見に祖母のもとを訪れたり、たまに一緒に旅行にでかけたりしました。

驚くほど元気で丈夫で、90歳になるまで大病らしい大病もなく、健康で毎年の同窓会や旅に出歩いていた祖母でしたが、2020年コロナ禍の最中大腿骨を骨折し、手術は経たものの歩行困難となり、介助が必要な身となりました。
当時の世情では施設などに入った場合、面会も難しくなります。万一の時はそのまま生き別れになってしまう可能性もあったため、家族で相談して在宅介護を選びました。私も転職・転居して地元に帰り、以来祖母と家族と同居生活となりました。

それから3年弱を経て、祖母が亡くなりました。
在宅介護を選んだ時から、いつか看取るときが来るとは思っていましたし、先月末からは食も細くなっていました。背骨も圧迫骨折をしていてほぼ寝たきりになっていたことを思えば、おそらくとても頑張ってくれていたのだと思います。
亡くなる直前まで車椅子に座って、一緒に食卓についてくれていました。

どんな人とも別れの時は来るので、それまでの間自分が何を選び、どう過ごせるかなのだろうと思います。
私はこの先は祖母のいない人生を過ごすことになります。
いまだに馬鹿なことばかりしてしまうし、愚かな選択をしたまま、ある日突然価値観や技術が変わったり、昨日とは違う社会情勢になったり、見事に巻き込まれて右往左往したりしています。
祖母のようには全然なれませんが、それでも私も何とか生きていかなくちゃならないんだよなあと、ぼんやりしたり、気を引き締めたりしてます。

うちの家では、身内に「お」をつけないで呼ぶので、両親はとうさん・かあさん呼びだし、祖母のことは、ばあちゃんとずっと呼んでいました。
ばあちゃん、たくさんの良い思い出と人生のお手本をありがとう。



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