MEMO

2015年01月27日の記事は以下のとおりです。

拍手ありがとうございました!

  • 2015-01-27
遅くなりましたが、拍手&コメントありがとうございました!

twitterでさわいでいました。
いやああ、楽しい&エネルギーもらったジルトークでした!
もとはイズ略奪の素朴な疑問だったのですが、
そこからディンガル帝国三角関係に発展しまして、
ネメア・イズ・エリュマルクの関係図、
立ち位置や心情に対してあれこれと会話しました。

それまで殆ど眼中になかったエリュマルクに対して、
色々示唆を頂いたというか、違った視点を得た気がします。
まあ、最終的には彼は不憫な人だ、で終わったのですが(笑)
もしご興味ありましたらどうぞ。一応もう少しおいておきます。
(先日のジルトークまとめ → http://togetter.com/li/773749

* * *

イズ話へのメッセージもありがとうございました!
(私信になりますが、ツイッターでも楽しいお話ありがとうございました!)

帝国内での皇后イズは悲しい想像になってしまいましたが、
彼女は多面的な人なのだろうと思います。
人によって見せる顔が違う。求められる彼女自身の姿も違っている。
それは、あがめれる場所に常に立っているからこそで、
そこが彼女の信念であり誇りであり苦しさでもあったろうな、と。
だからきっと「抗うことをやめたおかげで、自由にもなれた」は
ネメアに告げる愛であり呪いであり、喜びでもあった……と願いたいです。

個人的にイズ様に関しては色々妄想設定があるのですが(笑)
今回書いたのはネメアに対峙するイズでしたが、
唯一心を許したであろう弟エルファスに向けたイズの顔も気になってます。

そこは、きっと美しいリアルーンとしての顔ではなく、
死と預言と呪いを駆使する施文院大神官イズでもなく、
もう少し血の通った情のある心がかいま見える、
姉としてのイズも確かに居たのだろうなと思うので。

だからこそエルファスにとって姉の思い出は、
美しくて懐かしくて、同時に切なくて苦いものにもなったかもしれない。
エルファスにとってイズは、
愛というより傷なのかな、とぼんやり思っています。
違いますね。エルファスにとっては愛と傷が一緒のものなんだろうな。
イズにとって、愛と死が一緒のように。

施文院姉弟の二人はその心も容姿も、
通常とは違った次元にあるのだと思っています。

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